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きっとそれは日常が色付く魔法のようなもの

(今週のテーマ:手のひら)

日中の日差しが恋しくなる少し肌寒い日のこと。今日もいつもと変わらず1日アポ続きで、本日最後、4件目の打ち合わせだった。

夕方になる頃にはやや疲れが出てきたが、ジャケット一枚羽織って歩ける、心地よい気温が唯一の救いだった。

最後のアポイントは、とある大手企業との打ち合わせで、今回が2回目の訪問だった。このための準備はしっかりとしてきたし、何事もうまくいくような気がした。

不思議とそう思える商談は自分でも驚くほどスムーズに進むもので、話が終わる頃には次回の打合せの日程が決まり、先方と固い握手を交わした。

これからまた新たに大きなプロジェクトが始まろうとしている。かすかに残る手のひらの熱から、幸先の良いスタートが切れたと感じた。

思えば自然と握手を交わすようになったのは、いつからだろう。握手はむかしから、好きじゃなかった。

手のひらを相手と合わすというのは、どこか自分の心のうちを明かすようで、むかしから積極的に握手をする気にはなれなかった。

その逆もまたしかりで、相手の心のうちをすこし知った気になり、どこか小っ恥ずかしくて、あまり好きになれなかった。

そんなこともあって、いつぞやの占い師にあなたの手相を見てあげると声をかけられたときは、丁重にお断りした気がする。

もともと人と一定の距離感を保ちたがるぼくにとって、見知らぬだれかと握手をするのは本来苦手なんだと思う。

そんな自分が握手に抵抗がなくなったのは、たしか大学生になってからのことだった。

海外から来た留学生がたくさん身近にいたこともあり、自然と知り合う機会も増え、知り合うたびに握手を交わした。

とりわけ初めて海外を旅したときは、それはもう、両手で収まらないほど握手をした気がする。

道を親切に教えてくれた通りすがりのおじさんに、偶然となりの席で一緒になりご飯を食べた旅人、ウクレレの音色が美しくつい足を止めてしまったストリートミュージシャンたち。

これまでほとんど握手を交わさなかった自分が、たった数日間で、出会う人出会う人と握手を交わすのだから、内心軽くカルチャーショックだったのかもしれない。

日本でいうお辞儀が、自然と握手に入れ替わっていることに、気がついた。それが文化だからかどうかわからない。

決して閉ざしていたわけじゃないけれど、握手を交わすたびにどんどん心が開かれていくようで、これまで日の当たらなかった心に日が当たったような、妙に清々しい気持ちになった。

「信じてる・ありがとう・これからもよろしく・どうかお元気で」

握手はそのときどきで、いろんな気持ちが込められているように思う。そんな気持ちが少しでも伝わればと思い、握手を交わす。

手のひらに触れるか触れないか、それだけでこうも気持ちの変化が表れるなんて、とても不思議な気持ちになった。

旅では大なり小なりの出会いがある。いつもと変わらぬ日常に、お邪魔しているだけなのに、だ。

でもたぶん僕らは知っているのだ。握手ひとつで色付く日常を。それが突然恋しくなって、僕らはまた旅に出たくなるのかもしれない。


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