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さよなら、私の愛した東京武蔵野シティ。こんにちは、東京武蔵野ユナイテッド。

2021年1月15日。
私の愛したチームが無くなるというニュースが報じられた。


無くなるというのは事実としては正しくない。
実際には他チームと共同運営となり、新生チームに生まれ変わるのだ。

生まれ変わる。言い換えれば、チームは一度死ぬのだ。
その発表はあまりにも唐突で、あまりにも淡々とした報告だった。

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ただの短いおなじみの手紙は 1ページの長さにも足りなんだ

その日の朝から、SNSはざわついていた。
JFL開幕戦カードがいつまでたっても発表されないのもさることながら、サムネイル画像の武蔵野のチーム表記がおかしいのだ。

「東京武蔵野ユナイテッドFC」

シティとユナイテッドを間違えるなんて、国が違えば暴動ものだろう。

それとも、Jリーグを断念して運営会社が変わることに伴うチーム名変更なのか。それにしてもシティからユナイテッドとは、「こういうのつけとけばサッカーチームっぽくない?」とでも言わんばかりのセンスだ。東京ユナイテッドだっているし。

「誤記であってくれ。」

そんな願いも虚しく、14時丁度、ようやく発表された開幕戦カードと同時に、チーム名称が誤記でないことが判明する。
そして、時を同じくして、東京武蔵野シティと東京ユナイテッドの共同運営のニュースも同時に発表された。

武蔵野に、いやサッカー界に衝撃が走った。
そんなことが、あるのか。
動悸がする。
開幕戦のカードそっちのけで、ニュースを開く。

リリースの中身を要約すると下記のようになる。

・JFL所属の東京武蔵野シティFCと、関東1部リーグ所属の東京ユナイテッドFCは、提携の上新会社を設立し、お互いのトップチームを共同運営する。

・旧東京武蔵野シティは東京武蔵野ユナイテッドFCとしてJFLを、旧東京ユナイテッドはアマチュアチームとして関東リーグを戦う。


共同運営と書かれてはいるが、チーム名称、東京ユナイテッド側から見ればJFLへの飛び級昇格になりメリットが大きいこと、新会社の本拠地が東京ユナイテッド側であることを鑑みると実質的には武蔵野シティ側は合併(もしくは吸収)されたと捉えてもいいだろう。(実態はまだわからないので、あくまで仮定ではあるが)

両者のリリースを見ても、東京ユナイテッド側は図案やチームの目標を掲げている一方で、武蔵野側は1ページにも満たない、文字のみの「お知らせ」。この辺りからも、どちらが熱量を持って持ちかけた話なのかは透けて見えそうだ。

なお、お互いのホームタウンである武蔵野市と文京区は離れているが、クラブによるとこういうビションらしい。

武蔵野市以東 文京区を包含するエリア、すなわち「東京のど真ん中(the Heart of Tokyo)」から、都民の暮らし、そしてココロを豊かにし、多種多様な社会課題を解決する、新しい都市型スポーツコミュニティの創造を目指します。

確かに、武蔵野を中心に円を描けば、多摩地域東部+23区西部をカバーするので地理的に言えば東京のど真ん中というのは間違いではない。ただ、東京都は23区の人口が圧倒的に多いので、このエリアをど真ん中!と言われてもあまりピンと来ない。一方でJリーグのチームで言えば多摩地域に偏っているので、東京のど真ん中はサッカー的には激戦区。他のJリーグのチームと食い合う感もある。
まあ、こういうのはこじつけに近い話なので深掘りはしないでおこう。ちなみに、小笠原諸島などの離島まで含めた場合、東京のど真ん中は遥か太平洋上になる。

真ん中で思い出したが、岐阜県には日本真ん中センターなる施設がある。95年当時人口重心があった岐阜県美並村が建設したそうだが、当たり前ながら日本の人口は増減するので、その後人口重心は移動し今では別の市に移っているらしい。ハコモノ行政感に溢れていて大変趣深い。


話を戻して提携相手の東京ユナイテッドだが、東京大学と慶応大学のOBチームが元になったチームで元々はLB-BRB TOKYOという名前で活動をしていた。LBとBRBはお互いの大学のユニフォーム色を由来としている(東大は水色=Light Blue、慶應は青赤青=Blue Red Blue)。

現在は東京都文京区を中心に23区内で活動をしており、ホーム戦は小石川運動場が中心。リーグこそ関東リーグに所属しているが、共同代表の福田氏は東京大学のサッカー部総監督にして日本サッカー協会理事、人見氏は慶應大学のサッカー部コーチだ。そして理事の利重氏はシティグループの日本代表にして、ヴィッセル神戸の経営にも深く関わっていた経歴を持つ。Jだけでなく日本サッカー界の重鎮が並んでいる。


豪華なのは代表の経歴だけではない。スポンサーも大企業だ。胸スポンサーはメガバンクの一角、みずほ銀行。スポンサーに合わせたかのように、ユニフォームの色もみずほ銀行のコーポレートカラーだ。他にもコンサルタントや監査法人として世界的に名高いPwC(プライスウォーターハウスクーパース)や、文京区に本社を置くフクダ電子文化シャッターがユニフォームスポンサーだ。
地域リーグ、いやJリーグでもこれだけ豪華なユニフォームスポンサーを抱えたチームは珍しいだろう。さすが東大と慶應の連合チームといったところか。


ビジネスで言えば、伸び盛りの新興勢力が伸び悩む上場企業をM&Aするようなものだろうか。

Jリーグ参入を目指して大型スポンサーやコネクションを持っているものの関東リーグから昇格がなかなか達成できない東京ユナイテッドが、JFL所属かつ練習場や下部組織は揃っているがJリーグは断念し経営面的にも苦しくなってきた武蔵野シティに目をつけたと考えれば合点がいきそうだ。

気になるのは今後のチームの方向性だ。Jリーグを断念した武蔵野とJリーグを目指す東京ユナイテッドで方向性が180°異なっている。

現状のリリースでは、東京武蔵野ユナイテッドがJリーグを目指すとの明確な記載は無い。ただし、東京ユナイテッド側が主導権を握ればJリーグ参入へ舵を切るのは容易に想像できる。その場合には武蔵野市には現状J規格のスタジアムはないので、市外での試合開催となり、武蔵野としては非常に寂しくなる。(もっとも、2019年に仮にJリーグに昇格できていた場合にも、武蔵野陸上競技場はJ規格を満たせていないので市外開催のみになっていた可能性が高い点は留意しておきたい。)

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銭がなけりゃ、帰ったほうが身の為さ

東京武蔵野シティFCはもともと横河電機のサッカー部で、その名の通り2015年まで横河武蔵野FCという企業主体のチームだった。

当時のJFLはJ3が設立されてからしばらく経過した頃で、地盤沈下が起こっていた。目ぼしいJを目指すチームはJ3へと移行したことで観客数は目減りし、有力な選手の獲得もJへ流れて難しくなる一方。

そんなチームがJリーグ参入を標榜したのは、2015年冬のことだった。確かリーグ最終戦後の挨拶で、突然発表をされたと記憶している。そして2016年からチーム名から企業名を外して「東京武蔵野シティFC」に改名し、新たなスタートを切る。

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その後の数年間はJリーグ百年構想クラブの承認、クラブライセンスの申請、本拠地武蔵野陸上競技場の改修など、一歩一歩Jリーグ参入へ向けて進んでいるように思えたが、順位的にも振るわず観客数は増えず、本拠地武蔵野陸上競技場は改修してもJ規格を満たせないこともわかった。

閉塞感の中で突如降って湧いたのが、2019年のJ3ライセンス条件付承認だった。

かいつまんで説明すれば、ライセンスの条件が緩和されたことでJ3規格のスタジアムがまだ完成していなくても、建設目処さえ立っていれば、J3ライセンスが交付される(ただし、猶予期間の間に建設が完了できない場合には、交付が取り消される。)という、いわばウルトラCの交付であった。

本当にJに行くのか?どこにスタジアムを作るんだ?
そう思った記憶はまだ鮮明だ。noteにも記事が残っている。



ライセンスが取得できるなんて、サポーターはもちろん、もしかしたらチーム関係者も思っていなかったのではないだろうか。それまで目立った集客をしていなかったチームは、最後の3試合で15000人を集めるという壮大な計画を発表する。

5000人ちょっとしか入らないスタジアムに、どうやってそれだけの人を集めるんだ??


懐疑的に思いながらも、1戦目ホンダロック戦はなんと3828人。5000人には足りないながらも、これまでの武蔵野陸上競技場での最多観客数記録を更新した。
居酒屋ムサリクの効果か、アウェイ側の集客にも助けられた。

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そして2戦目となるテゲバジャーロ宮崎戦ではチーム史上最多となる5284人の観客を集めた。

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最終戦、残り6000人弱。もしかしたら……。
J参入へ向けて希望を残したかに見えたものの、1000人近いキャパオーバーの観客数を収容することは法律上できない。他スタジアム等の使用も模索するも叶わず、最終戦を前に来シーズンからのJ参入を断念

一気に登ってきた分、ここからは下り坂が続く。シーズンオフにはスタジアム建設の目処が立たないことを理由に開幕前に2020シーズンのJリーグライセンス申請をしないことを表明。
そして、2020年8月に、Jリーグ参入を断念し、100年構想クラブからの脱退。

ジェットコースターのように上って下りた。
ここまで僅か5年間での出来事である。



客観的に見ると、明確なビジョンに基づいてJリーグへ突き進んでいたようには見えず、進んでみたり止まってみたり、チームを存続させるためになんとかもがいていたように思う。

結果論にはなるが、観客動員が足りずJリーグ参入ができなかった2019年はJに本気で行きたいと思っていればライセンス取得確定前から少しずつ集客に力を入れておくべきだったし、中途半端なタイミングから集客して結局断念するくらいなら初めから集客はせず、その代わりにライセンスの申請自体は2020年も継続して実施していても良かったはずだ。(現に、2020年は無観客試合の影響でJ参入における観客数の条件は緩和されていた。)
ただ、当時は深く考えることができないほどに追い込まれていたのかもしれない。

「あの時、Jリーグに行けていればこんなことには……」という声も聞くが、当時の状況を考えれば仮にJリーグへ行ったとしても、リソース不足やスタジアムの問題が早々に噴出し、JFLへ逆戻りか、身売りか、最悪は消滅か、早晩窮地に立たされていたと思う。

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メインスポンサーの横河電機も大企業ではあるが、全国リーグのチームを単独で支えるほどの体力は乏しいのだろう。さらに新型コロナウイルスによって、チームの収入も減り、メイン以外のスポンサー会社の経営もさらに逼迫されている。望みの綱だったJリーグ参入という目標も失い、まさにジリ貧の状態。

そうなると、共同運営はチームを存続させる上では仕方がない決断だったのだろう。同じJFL所属だったSAGAWA SHIGA FC佐川印刷など、名門企業チームが解散や休止の憂き目に遭ってきたことを考えれば、形は変わってもチームが残ることは喜ばしいことと捉えるべきだと思う。

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あきらめきれぬと あきらめる

SNSを眺めると、今回の提携に関して全体的に東京ユナイテッド側のやり方に対する批判的なコメントが多いように感じた。具体的には、「サポーター置いてきぼり」「練習場の次はチームの乗っ取り」「地域CLを経ないでJFLに昇格するための買収」「都心にスタジアムの目処が立ったら武蔵野を捨てるのではないか」などなど。全体的にネガティブな意見も多いのも、良くも悪くも、注目されているチームだからかなと思う。

確かに、あの地獄の地域CLを経ることなく飛び級したことには意見があるだろう。だが、歴史的に見れば特例とは言えJ3設立のタイミングで地域CLを勝ちあがらずにJFLへ昇格できたチームもある。ヴァンラーレ八戸やアスルクラロ沼津がそれに当たる。また、合併して出来たチームだって全国に数多くある。カテゴリが異なるチーム同士での合併で言えば古くは水戸ホーリーホック藤枝MYFCがそうだった。同一リーグの合併で言えば、鹿児島ユナイテッドや高知ユナイテッド、カターレ富山もJFL〜Jリーグに至るまでに合併して成立したチームだ。

また、個人的には今回の提携は今後両チームともに経営面で難しくなることは目に見えている状況の中でチームの存続を賭けた結果としての結論であると信じたい。本当は両チームともに、これまでと変わらない形で発展できるのが望ましかったのは間違いない。しかし、変わらないことこそ最も難しいことなのだ。ここ数年の武蔵野の迷走がそれを物語る。一方で、地域決勝が過酷さを増す中でJFL所属を死守したチームだからこそ手が差し伸べられたのだろう。

武蔵野側だけに限った話ではない。一見潤沢なスポンサーを持っているように見える東京ユナイテッドからしても、いつまでも関東リーグに居座ることになればどこかで有力スポンサーから見切られる可能性も考えられる。元Jリーガー等有力選手を獲得しながらもJFL昇格は果たせなかったどころか、チーム名が変わってからの5年間で一度も関東リーグ1部での優勝、そして地域CLへの出場も果たせなかった。さらに言えば、そんな関東リーグを制した栃木シティやVONDS市原、東京23FCでさえ跳ね返されるのが魔境、地域CLだ。

「2020年にはJの舞台」と青写真を描いていたチーム関係者からすれば大誤算だっただろう。その間に同じ東京を本拠地とするCriacao Shinjukuが1部に昇格。2部には南葛SC、東京都リーグではSHIBUYA CITY FCも追いかけているし、本田圭佑(注:東京武蔵野シティ所属の選手ではありません)がOne Tokyoを設立するなど、都内第4のJリーグチームを巡って群雄割拠の様相を極めている。

東京に本拠地を置くチームを取り巻く状況を考えれば、多少の強引な形でもJFLに昇格して他チームに対して優位に立ちたいというのも、理解できない話ではない。あまり考えたくはないが、既存のサポーターや外野から誹りを受けることも、今後の成長から見た合理的判断として承知の上なのかもしれない。


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ーー頭ではそう整理できるのだ。
ーーしかし、感情はそう簡単にはいかない。


この感情は、武蔵野シティに対する失望にも似た気持ちだ。
武蔵野シティとお別れを果たせなかったことが、何より心残りなのだ。

思えば、武蔵野の決定はいつも唐突だったなあと思う。

Jリーグ参入の標榜にチーム名変更。
Jリーグライセンスの取得。
集客、そしてJ参入断念。
百年構想クラブからの脱退。

そして今度は共同運営、言ってしまえば合併だ。
しかも、JFLの公式発表までチームから発表はなく、いきなりの発表だった。

いつもどおりの事後報告。

武蔵野のサポーターはこういうことに慣れっこだから、「まあ武蔵野ってそういうチームだよね」と諦めにも似た気持ちになる。

それでも今回ばかりは、「もっと前からリリース出してくれよ」「こんな感情のない紙っぺら一枚で報告かよ」と思った。
そのくらい、この喪失感は辛く大きい。

チーム同士で足並みをそろえていたのかもしれない。
しかし、チームが大きく変わる話が、お役所仕事みたいな文章の1枚きりのお知らせなんて、あまりにも悲しいじゃないか。

最後までこのチームのリリースには経緯が見えなかった。
契約更改にしても、退団・新加入のみで契約更新のリリースは絶対に出ない。新体制発表までサポーターはやきもきさせられ続ける。
選手の怪我の情報だって出てこない。
今年は新年の挨拶さえ無かった。

サポーターというのは、常に報われないものなのだ。
勝手に好きになって、勝手に失望しているのだ。逆恨みはお門違いなのはわかっている。


それでも、ただ愛する武蔵野シティに、さよならが言いたかったのだよ。
どうして、何も言わずに去ってしまうんだ。

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武蔵野ユナイテッドを深く愛するためには、武蔵野シティにお別れを告げないといけない。それが言えないだから、いつまでも心に靄がかかっている。

新たなチームでは、色々な情報が発信されるのかなと密かに楽しみにしている。
SNSの活用やニュースなど、これまでの武蔵野シティにはなかった部分が拡充されれば嬉しい。

選手の生き生きとした情報が、本当は欲しかったんだ。

今年の話をしよう

既に年が明けて、3月14日のJFLシーズン開幕まで僅か2ヶ月だ。



今年のJFLはチーム数が通常より多い17チーム、そして降格枠が最大3だ(J参入チーム数に応じて、1まで減少する)。
この記事を書いている段階(1/17)で、新チームの布陣は出ていない。オリックスと近鉄が合併した時のように、選手はお互いのチームから集めるのだろうか。新加入選手の情報はこれから出てくるのだろうか。

だが、寄せ集めの選手でどうにかなる程JFLは甘くない。武蔵野側は差波や後藤など主力が引き抜かれているし、東京ユナイテッド側も元Jリーガーもいるとは言え、JFLは初の舞台という選手もいる。
戦術を詰めていかなければ、1年でJFLからの転落だってありえない話ではない。

今年に限って言えば、Jリーグ云々よりも残留することが大事なのだ。
ウルトラCまで使って昇格したJFLから、1年で滑り落ちたらそれこそ笑い事では済まされない。

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最後に、私自身の今年のスタンスについて。

正直なところ、これまでと同じ熱量でチームを応援できるかはわからない。
ショックも大きいのは事実だ。これを機に、地方移住でもしようかとさえ思った。

一方で、JFLというリーグ自体には魅力を感じているし、なにより私は遠征というものが大好きなのだ。昇格した枚方刈谷、昨年遠征ができなかった高知いわきに行ってみたいという気持ちは強く、せっかくなら武蔵野の試合のタイミングで……というスタンスは変わらないと思う。

試行するサッカースタイルも、選手も、応援スタイルも、ユニフォームも変わるだろう。チームが変質していく寂しさも大きい。その一方で、「武蔵野」という名前は一応残ったし、全員ではないにしろ武蔵野シティ出身の選手は残るだろうし、JFLには元武蔵野の選手も多い。スタジアムでは見知った仲間にも出会えるだろう。最近足を運んでいない駒沢や夢の島での試合開催があるかもしれない。前を向けば、新たな選手を知る楽しみもあるし、東京ユナイテッドサポとの邂逅だって楽しみだ。

野球で言えば、ソフトバンクホークスは福岡のチームだが、身売り前の南海時代の本拠地は大阪だった。逆に今は埼玉が本拠地の西武は元を辿れば福岡のチーム。日本ハムはすっかり北海道のチームだが、私が子供の頃はバリバリ東京のチームだった。オリックスのように、神戸のチームだったはずが少しずつ大阪に移っていたケースもあるが、時は流れても、チームが続く限りその歴史は続く。

たまには後ろを振り向きながらも、これからの「武蔵野」を見守っていきたいと思う。

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これを機に、昔の写真をたくさん掘り起こしてみた。
本当にこの5年間、たくさん試合を見たんだなあと懐かしい気持ちになる。

ありがとう、東京武蔵野シティFC。
私の愛したチーム。



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