見出し画像

今年最初の雪の山で、僕はJFL残留を神に祈りました。〜JFL最終節 in 滋賀〜

泣いても笑っても、最終節は訪れる。

最終節を迎える心境は、人それぞれだろう。例えば既に優勝や昇格、残留が決まったチームのサポーターにとっては、心持ちは多少穏やかだ。試合中は引退や退団する選手の勇姿を見届け、今年一年頑張った選手に最後の声援を送る。来年もぜひうちのチームでプレーしてくれと念じながら。試合後はセレモニーで選手を労い、サポーター仲間達と少し早めの年末の挨拶をする。

私もそんな最終節を迎えたかった。


私の応援している東京武蔵野ユナイテッドFCにとって、今シーズンは過去最も厳しい一年だった。

とにかく、勝てなかった。

チームの体制が大きく変わって初めての年。期待と不安が入り混じった開幕戦に引き分けると、そこから長い長いトンネルに突入した。次こそは、次こそはと意気込んでも、黒星ばかりが積み重なっていく。天皇杯予選では大学生相手にPK負け。気付けばチーム史上最悪の開幕15試合未勝利となり、初勝利をようやく掴んだ時には7月になっていた。ホーム戦の勝利はさらに遅く、開幕から半年以上が経った9月の終わりまで待つことになる。

前半戦の16試合が終了した段階で、勝点は僅かに8。一時は最下位にまで沈んだ。しかし、夏場の中断期間を超えてチームは少しずつ調子を取り戻し、10月には2連勝、11月は3連勝。遅まきながらの巻き返しを果たし、なんとか順位を上げて、残留圏内ギリギリの15位で最終節を迎えることになった。

私がこのチームを応援を始めてから6年ほどだが、ここまで降格を意識したシーズンは初めてだった。それだけに、残留争いとはこれほど辛いものなのかと、嫌というほど思い知らされた。試合に勝てない辛さ、足早に遠のく残留圏。特にJFLは降格したら地域リーグだ。あの地獄の地域CLを勝ち上がらなければ再びJFLに戻れないと思っただけで、考えても恐ろしい。


結論から言えば、武蔵野は最終節で勝利を収め、JFL残留を果たすことができた。その安堵はきっと、経験したことのない人にとっては到底分かり得ないだろう。

今回は、そんな私の「最後の」遠征になったかも知れない、JFL最終節の遠征のことをお話ししよう。

覚悟を持って、滋賀へと乗り込め。

11月の終わり、最終節がアウェイゲームの東京武蔵野ユナイテッドFCは、ホーム最終戦に挑んでいた。勝てば残留を手繰り寄せられる試合だったが、結果は0-3の惨敗。この日の相手はJFLの強豪Honda FC。ここ3試合連勝を続け、自信がついてきた武蔵野お得意のプレスを物ともせず、面白いようにボールを繋ぎ得点を重ねていった。

この試合が終了し、最終戦を残した武蔵野の順位は15位。既にいわきFCのJ3参入と他のJ3ライセンスを持ったチームのJFL残留が決定し、15位までがJFL残留、16位と17位が地域リーグとの入れ替え戦に回ることになっていた。すなわち、武蔵野のいる位置は残留に向けて土俵際。幸いにも16位のホンダロックSCも敗れたことで順位は変わらないまま、最終節を迎えることになった。


最終節の相手は、MIOびわこ滋賀。名前の通り、滋賀県のチームだ。今年最後の、いや、もしかすると、武蔵野に最後の関西遠征になるかも知れない。関東リーグへと降格したら、もうしばらく滋賀に来ることもなくなってしまう。関東リーグは地域リーグでも屈指の強豪リーグだ。天皇杯で苦しめられた栃木シティやVONDS市原をはじめ、浦安や流経大ドラゴンズと言ったJFL在籍経験のあるチームもいる。一度降格したら、JFLへと復帰するのはいつになるかわからない。

必ず来年も全国リーグで戦ってほしいーー
そんな悲壮な決意で、滋賀へと向かう。


午前6時35分、夜行バスは京都駅八条口に到着した。本来は朝5時に到着する予定だったが、乗っていたバスが事故に巻き込まれて遅れてしまった。年末年始は車で移動する方も多いと思うが、夜間の運転にはくれぐれも気をつけてほしい。

これほど朝早くに移動したのには、理由がある。それは、山へと向かうためだ。

滋賀県最高峰、伊吹山。日本百名山にも選定されている、由緒ある山だ。日本神話の世界でも登場するほどその歴史は古い。そして伊吹山と言えば、伊吹おろしとも呼ばれる風でも有名だ。若狭湾から琵琶湖へと入り込んだ日本海の湿った空気が伊吹山にぶつかり、山だけでなく周囲にも大量の雪を降らせるのだ。冬になると関ヶ原のあたりで東海道新幹線が雪で遅れるのも、これが原因だ。そして、山を超えて乾燥した冷たい風が伊吹おろしとなって岐阜県や愛知県へと吹き込んでいく。

雪が降る伊吹山へ登る。最終節のこの時期だからこそ実現したチャンス。今年の冬は例年よりも降雪が遅かったそうだか、1週間前には冠雪が記録されていた。そして、これは楽しい山登りだけではない。一種の願掛けなのだ。神様、なんとか私の応援するチームを残留させてください。山頂でそう祈ろう。山には神様がいる。もちろん試合をするのは選手であって、勝敗は実力で決まるものだ。しかし、サポーターにできることは神頼みくらいなのだ。

 滋賀で一番高い山へ。

京都駅からは新幹線に乗り込んで米原駅まで向かい、在来線に乗り換えて近江長岡駅まで向かう。さらにバスに乗り換えて、登山口まで向かうのだ。

本来は、向こうに山が見える

電車が近江長岡駅へと近づく。そろそろ車窓に山が見えてきそうなものだが、一向に見えてこない。空を見れば、どんよりとした曇り空。なるほど、山頂付近は雲に隠れてしまっているようだ。天気予報を確認すると、山頂付近は午後には雪の予報。多少迷ったが、トラブルなく登れば10時30分ごろには山頂にいられるはず。天候が悪化する前に登り切ってしまおう。そう決めてバス乗り場へと向かう。

昔ながらの平屋建ての駅舎。駅前には暇そうにしているタクシー1台。待合室には学生の姿がちらほらと。逆に、山に登りそうな人の姿は見られない。自家用車の人が多いのだろうか……。念のため、バス停で発車時間を確認する。すると、こんな但し書きが。

長岡登山口線をご利用の皆様へ
長岡登山口線の運行につきましては、
昨年と同様、12月1日〜4月28日までの期間の土日祝、運休となります。

まさかの運休!しかも、土休日のみ。登山口行きバスが土日お休みとは、いったいどういうことなのだろうか。

せねてあと1週間待ってくれよと言いたくなったが、ご丁寧に「昨年と同様」との文字が。そうか、昨年もそうだったのね。それは知らなかった僕が悪い。駅に登山客がいないのも納得だ。

交通機関に翻弄されっぱなしで嫌にな裏ながら、暇そうなタクシーの運転手に声をかける。歩くにはさすがに遠い距離、千円札数枚と引き換えに時間を買うのだ。結果的にはバスに乗るより多少早く着いたのだからと、自分を納得させる。

登山口はちょっとした集落になっている。スキー場があるのか、貸スキーなどのお店がちらほらと見える。神社の横を抜けると、登山口が見えた。

朝8時過ぎ、登山開始。ご丁寧に、山頂までの距離を教えてくれる看板に出迎えられた。GPSウォッチで標高を確認すると、標高はだいたい500mほど。山頂の高さが1377mだから、800mほどの登りのようだ。最初は森の中を抜けていく。さすがに登山客の多い山とあって、しっかりと整備されているようだ。

森を抜けたら、スキー場の跡地が現れた。かつてはスキーヤーたちが滑り降りたであろうゲレンデの脇をいそいそと登っていく。普段は降っていくから気づかないが、スキー場の斜度はなかなかのものだ。自分の足で登ってみるととんでもない登り坂に驚く。

しかしその急な坂のおかげで、一気に高度を稼ぐことができた。振り返って麓の景色を見ると、遠くに琵琶湖の姿が見える。不気味に映り込んだ分厚く黒い雲がなければ、もっと素晴らしい景色なのだろう。

山の向こうは長浜の街

4合目を過ぎたあたりで山小屋らしき建物が見えたが、冬季休業中。一息着いたら、さらに先へと進んでいく。道の脇にはちらちらと白い雪が現れてきた。まだまだ土や岩の露出している部分が多いので、滑らないようにだけ気をつけて進む。それにしても、猛烈に曇っている。景色はまるで見えず、どのあたりが山頂なのかもわからない。わかるのは段々白い部分が増えていることだけだ。

5合目周辺

8合目に至る頃には、あたりは真っ白になった。一足早い一面の銀世界。道も段々と急峻になり、岩がちな狭い道をたどっていく。先に登った人の足跡を頼りにしながら登っていく。

8合目を超えたあたり。

雪山の経験が少ない私にとっては、これでもなかなか痺れる登山だ。しかし、厳冬期の伊吹山の雪は、こんなものではないらしい。このマガジンの山仲間、Harakoさんにぜひ雪山登山のちサッカーの記事を書いて欲しいものだ。


山頂で待っていたものは。

険しい道を超えたところで、少し開けた場所に出た。これまでの道と比べると、道には杭が打たれて歩きやすくなっている。立っていた看板を見ると、どうやら既に山頂にほど近いようだ。

山頂まで後少し、ほっと胸を撫で下ろす。しかし、相変わらずの曇天に加えて、山頂近いこともあって風も強まってきた。ススキも雪で、まるで稲穂のように頭をたれている。しっかりと防風防寒対策を施し、最後のアプローチに掛かる。本当ならば、もう山頂が見えてもおかしくない位置にいるのだろう。しかし、視界が悪くて見えないのがもどかしい。

ススキも凍りついている。


もしかすると、残留争いはこんな視界不良の道を進んでいくようなものなのかも知れない。残留圏内に手が届きそうな場所にいるのだけれど、なかなかその場所が見えてこない、そしてたどり着くことができない。本当にたどり着けるのか、不安で不安で仕方がない。そして仮に山頂まで辿り着いても、その景色はシーズン当初に思い描いていたようなものではない。

たとえ不本意なシーズンになったとしても、山頂を目指して歩き続けるしかないのだ。

遠くに、建物が見えて来る。山頂に違いない。最後の登りを越える。

毎日、吹雪、吹雪、氷の世界。

10時15分、登頂成功。

山頂、そこは、真っ白の凍てつく世界だった。視界は曇り、一面の白色。神様を祀っているのであろうお社も、少し前まではにぎわっていたのだろう山小屋も、今は雪と氷で閉ざされて冬の季節をやり過ごしている。

遮るものが無くなったからか、山頂はさらに風が強くなる。これは長居していられないと悟り、速やかに山頂で写真を撮影して引き返すことにする。山頂に掲げられた山頂の看板も凍って、写真を見返すだけで寒そうだ。忘れているかも知れませんが、ここは関西の滋賀県ですからね。

日本百名山では珍しい、1500m以下の山。

山頂には、この山の神に挑んだという日本武尊の姿がある。この寒さの中でも、直立不動で立つ姿は神々しい。手を合わせて、急いで心の中でこう唱える。

「私、東国から参りましたさかまきと申します。寒いですね!毎年こんな感じなんでしょうか?寒い中登って参りました。不躾なお願いで申し訳ありませんが、お願いがございます。私の応援しているサッカーチームがありまして、いや、サッカーというのはその、蹴鞠みたいな……神話の世界に蹴鞠はないか。もういいや、近江国との戦がありまして!なんとか加勢をと思い、寒い!よろしく、お願いします〜!」。

強風に乗って雪粒が顔に向かって飛んできて、寒さよりも痛いほうが勝っている。眼鏡も気付けば雪粒で真っ白だ。前髪も凍っている!

願掛け完了。踵を返し、今来た道を戻っていく。12月でもこれほど雪が積もっているとは、正直思っていなかった。日本全国、まだまだ知らないことばかりだ。だからこそ、サッカー遠征とともに日本各地を練り歩いていろいろなことを体験したいのだ。

山を降りるまでが登山だ。特に、降りる時の方が怪我をしやすい。滑りやすい雪道は尚更だ。滑落したら命が危ない。慎重に一歩一歩足を運んでいく。遠征に来たのに、試合前に怪我をしたのでは本末転倒だ。遠征には試合以外の部分の充実が不可欠だが、試合を見れなかったら元も子もないのだ。

12時30分ごろに、無事下山。バスに乗って長浜駅まで向かう。電車を待ちの時間、駅前のカフェで遅めの昼食を取る。

カフェの名前は、伊吹山カフェ。先ほどまで登った山の名前を冠したお店には、行かないわけにはいかないだろう。

今日のお昼は名物伊吹山カレーを頂く。その名の通り、山の形を模したご飯が面白い。この山は石灰の山としても知られているから、採掘感覚で崩してみるのもまたオツなものだ。なんとなく麓広がるカレールーは、琵琶湖をイメージしているのだろうか。

スパイシーなカレーには、地元ブランドの伊吹牛乳を使ったミルク珈琲の優しい味わいがよく合う。

最終節の舞台は、街道筋の城下町。

無事下山を果たして迎えた翌日、決戦の日がやって来た。

この先は、有料配信とさせていただきます。残留争いの渦中の雰囲気を、写真とともにぜひお楽しみください。

OWL magazineでは、月700円でサッカーにまつわる記事を毎日更新でお届けいたします。Jリーグだけではありません。Fリーグあり、女子サッカーあり、そして登山にツーリングあり。

この機会に、ぜひ有料購読をお願いいたします!!!

ここから先は

3,144字 / 4画像
スポーツと旅を通じて人の繋がりが生まれ、人の繋がりによって、新たな旅が生まれていきます。旅を消費するのではなく旅によって価値を生み出していくことを目指したマガジンです。 毎月15〜20本の記事を更新しています。寄稿も随時受け付けています。

サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?