人マニアの歌詞を読解してみる

こんばんは。MSSさんです。原口沙輔(はらぐちさすけ)さんの人マニアという楽曲を聴いて、なんとなく普段自分が思ってることと似てることを言ってるのかもなあと思ったので、歌詞を分析してみます。

人マニアはとても論理的に歌詞が作られています。倒置と省略、メタファーを理解すれば全文ちゃんと意味が通る歌詞です。価値観にまったくタイムラグが無いため、古文よりもはるかにわかりやすいです。今回は意味をわかりやすくするために整理した文書からさらに意訳してます。

1番

「興奮してきた 人様の業で センター分けの つむじ刺す」

「赤の他人の行いでワクワクしてきた。善悪や左右の二元論には台風の目がありピン止めをしてそこから見てる」

「アホの吐血見てると チョキで勝てる気すんな」(※吐血は自分へダメージがあるのにしてる=アホ)

「罵詈雑言は自分の社会的信用にも大ダメージがあるのに言ってる人をネットで見ると頭パーなんじゃないかなと思う(※だからチョキを出せば勝てる)」

「手抜くぞ すぐ抜くぞ スポーツスポーツ 腰抜けよ」(※手を抜く人がわたし、腰抜けはわたしではなく、手を抜けないわたし以外の人。手を抜けないということは一生懸命しているということ。スポーツは二回くり返してるので、メリトクラシーと市場競争のメタファーと考えます)

「メリトクラシーや市場競争の本質は向上心ではなく恐怖であると気づいてしまった」(※一生懸命〈スポーツ=メリトクラシー、市場競争〉をしているのは向上心ではなく、手を抜くと誰かに追い抜かれてしまう(=追い抜かれてしまうとメリトクラシーでは敗者、市場競争では自分の市場価値が下がる)のがこわいから)

「子供の前で 着ぐるみを脱ぐ 『な〜んだ?』 私」

「わたしはみんなの前で身も蓋もない本質の話をしてる」(※意識の強さを大人と子供で比べると 大人>子供 になるので、 わたし>みんな の関係に対応している。)

サビ

「ビバ良くない! ただ物足りない! うん、小さくなってく器で トビたい!トビたい!トビたい!」

「明るく楽しく生きていこう(※ビバ!を意訳)とするならば、この人マニアという物事の見方(センター分けのつむじを刺して子供の前で着ぐるみを脱ぐようなスタンス)は良くない。しかしただただ現状には不満がある。自分でもわかってるんだけど(※うん)、こういうふうに世界を見てると人としての器量が小さくなってく。もうお酒でもなんでもいいから意識がどうにかなってしまいたい」

「ポリエステル仕事は無理か 金で殺して愛を買うね すまんね」

一度文書の倒置と省略を直します。
「〇〇(※省略されてる)を殺してお金で愛を買うね」愛は思いやりや優しさも含めた自分だけに向けられたあたたかい感情全体を指していると考えます。

化学繊維(=人工物)であるポリエステルの材質特性を考えたとき、高級天然素材であるウールの風合いに似せた風合いを出せる加工ができる点がある。しかし限りなく似せることができても本物にはなれない。つまり本物の高級品という役割(=仕事)はできない。

「フェイクはそれで素晴らしいところもたくさんあるが、本物には永遠になれない(※嘘は真実にはなれない)。自分を含めた広くみんなのために作られる大量生産のものは安価で買えるのに、自分のためだけに作られたモノやサービスは高額だ。(※つまり自分だけに特別に向けられたまごころや優しさのようなものはあまりにありがたく、とてもお支払いができない。値段がつけられない。それほど高額である。価値が高い。)そういうことも全部わかってて生きてる。ごめんね」(※わかってて生きてるのに言わないのは〇〇を殺してるから。つまり〇〇の中には「自分」や「感情」が入る)

2番(1番やサビより変換が難しくなります)

「晩年 あ、消した。環境のために。X(ツイッター)だけの 人マニア」

「しばらくこのスタンスで生きてみたんだけど、SNSで治安維持(※環境保全)のためにツイートを消してる人やアカウントを消してる人を見てしまった」

「罠の墓穴見てると 塩をかける傷!」

「人を陥れようとして自分の社会的信用を失ってる人を見てると自分の心もグズグズしてくる」(※塩をかける傷の持ち主が「罠(をしかけた人)」なのか「わたし」なのかは言及されてませんが、ここでは意味を優先して「わたし」とします)

「恋人の前で 血まみれになる 『な~んだ?』 おまえ」


「人前でカッコイイところを見せようとしたのかもしれないのだろうけど、あなたは社会的信用を大きく失っている」

サビ二回目。

3番目(さらに難解に。変換したときに意訳となぜそうなるかの歌詞に書かれていない省略部分の量が増えます。)

「ああ…すまんね 最高だよ 本当!本当!」

「ああまた人マニアな物事の見方をしてしまった…本当にごめん。〈生きてて楽しい?と聞かれたらもちろん楽しい。〉そこはウソではなく本当にそう思う」(※〈〉は省略された部分。人マニアである(物事の本質を捉えるものの見方をする)のはけっこうなんだが、Q.それは果たして生きてて楽しいのだろうか?→A.生きるって最高だよ 本当!本当!)

「小さくなってく冠婚葬祭 蹴りたい!蹴りたい!蹴りたい!」

「インターネットが普及して個人が世界に直接接続できるようになった。グローバルスタンダードな考え方が浸透してきている(※ハラスメントという概念や性指向の多様性やポリティカル・コレクトネスなど、島国の日本だけではなく世界中どこに行こうと共通する考え方)。そうするとかつて僕ら日本人がアイデンティティにしていた伝統や地域社会は現実世界でも心の中に占める割合的にも両方ともどんどん規模が小さくなっていく。〈さびしい面もあるけど、〉こうあるべきみたいな昔からの価値観はクソである(だから蹴りたい)。」(※〈〉は省略されている部分。かなり意訳が多いです)

「生きろ 悪意も恥も償いも
全毒背負って くたばらにゃ いかんね」

「それでも生きろ。本質を捉えるほど死にたくなるこの世界の中で。生きるとはどういうことかというと、わたしたちは故意に人を傷つけようと考えることもある。それによって人前で恥をかいたりするし、ときには本当に傷つけてしまって償いをすることもある。そういった心の毒みたいなネガティブな考え方を抱えて生きて(※捨てることは死ぬ以外不可能なので、抱えて生きるしかない)、天寿を全うしなきゃダメなんじゃないかな(※みんな毒を抱えてるんだから完全にクリーン、白の人間なんていない。あなたが毒を抱えているように)。

以上です。すべて個人の感想です。長い文書を読んでくださってありがとうございました。それではまたどこかで。


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