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留学で学んだ事は「家族愛」だった

2年前の冬、私はカナダにいた。

1ヶ月間の短期の留学だったが、私の心は踊りっぱなしだった。初めての海外。初めてのホームステイ。初めての授業。何もかもが楽しみだった。

空港に着くと、名前の書かれたプラカードを掲げた複数のホームステイ先の家族が待っていた。留学先のクラスは、時期的なこともあってほとんど日本人だったため、日本語の名前が多く見受けられた。そして、自分の名前のプラカードを持った黒人の男性が目に止まった。彼はホストファミリーのお父さんだった。

留学前に勉強した拙い英語に不安を覚えながらも、まず初めに「こんにちは」と声をかけた。すると、こちらを向いてニコッと大きな笑顔で握手を求められた。

こういうフレンドリーな挨拶にかなり憧れていた。ガッチリと握手をした後、まるで留学生と会話しているとは思えないスピードで話してきた。

とにかくコミュニケーションがしたかったので、「家に他の留学生もいますか?」と聞いた。すると、「メキシコ人と韓国人の子が来てるよ。あと俺の息子も二人いて、みんな良いヤツだよ!」と言った。

私はお父さんに乗せられた車の中で家に着くのが楽しみな一方、なぜだか自信満々に息子の話をするお父さんがカッコ良く見えた。

その日は時差ボケもあって早く就寝したが、既に私はこの家と家族を気に入っていた。

1週目のカナダでは、学校までの通学に使うバスの乗り方から、授業でのスピーチまで、忙しなく過ごしていた。

大学の授業とは違う短期講座のようなものだったので、朝から夕方まで決まった時間に授業があった。最終日には、誰一人として授業をサボらない私たちを見て「皆さん真面目ですね」と先生が言った事を思うと、もう少し肩の力を抜いて、授業以外のことも楽しめばよかったなあと感じた事を覚えている。

そんな私の毎日の楽しみは、家に帰る事だった。家に帰れば日本では違う家族が待っていて、出迎えてくれる。みんなで夕飯を食べ、みんなで会話をする。

一番のお気に入りのシーンは、「今日の学校はどうだった?」と必ず聞かれる事だった。年頃にもなると実家の両親にも聞かれないような、さらに言えば子供の頃に聞いたことあるようなセリフだったが、毎日”今日の自分”に興味を持ってくれるように感じるこのシーンが大好きだった。

もちろん、英語学習においてもこう言った会話のシーンはアウトプットとして必要ではあるが、何より、普通の家族の一員として接してくれたその親切心が嬉しかった。

2週目には、お父さんと一緒にジムに行った。

お父さんが運動が好きでよくジムに行くというので、思い切って「一緒に行っても良い?」と聞いた。英語も話せないとなると、コミュニケーションの中で何かを提案することが、大きな挑戦だった。変な事を聞いたかなと思っていたが、あっさりと「行こう!」と言われた。

この時、既に言語がコミュニケーションに支障をきたす事はかなり小さな要素の一つでしかなくて、照れ臭さを隠していうなら、愛情のようなものがあれば問題ないと、ぼんやり気付き始めていた。

1ヶ月の短期留学だとその必要性に懐疑的な人も周りにはいたが、「カナダで愛情を学んだ」と言えば、みんな納得してくれるかなと、変な事を考えていた。確かに、この経験は短い期間でも挑戦しない限り、得られない経験だという事は素直に思った。

ジムの話に戻ると、勉強もロクにしてこなかった私にとって、スポーツは最大のコミュニケーションツールだった。ジムでは、マシンを動かしたり、ダンベルをあげれば、ジムにいた人たちも盛り上がった。サッカーが好きな私は、幼少期の頃から「サッカーしている奴は大体友達」だった。どうやらカナダでもそれは同じらしい。

この辺りから、学校にいる時間よりも家にいる時間の方が好きになっていた。

3週目は、ほとんど家にいた。元々、観光があまり好きではないので、おすすめされた場所に行ってからは、ほとんど近場で生活していた。

何より家にいる時間が楽しかった。この時は、家でチェスが流行っていて、チェスのルールを知らない私は黙って見ていた。ホストファミリーの兄弟がいつも真剣な面持ちでチェスをしていた。クラスの日本人にこの話をしたら、同じくボードゲームが流行っていた事を聞いたので、覚えてくればよかったと後悔した。

でも、リビングに集まってみんなで遊ぶこの空間が好きだった。ボードゲームだけでなく、トランプをしたり、そのトランプを使ってマジックを披露する人もいた。私は遊ぶ事以外は何もできなかったので、そのマジックを見てずっと騙されていたら、反応が面白かったみたいでやけに気に入られた。

3週目には、留学前に「どれだけ英語力を伸ばせるか」という意気込みはなくなっていた。もちろん、英語学習も大切だが、その時の自分にとっては、ここでしか体験できない事があるように思えて、そればかり優先していた。

4週目、最後の週になった。クラスのみんなとも仲良くなっていたが、この週も真っ先に家に帰った。

最後の日、いつも通り家族みんなで夕飯を食べた。特に特別な夕飯ではなく、普通の夕飯だった。最後だからと写真に撮って気付いたが、カメラロールを見ると初日と同じ夕飯だった。この変わらない日常が好きだった。だから最後までそれが味わえて、嬉しかった。本当の家族のように感じた。

恐らく今後の人生でこのホストファミリーと会う回数はわずかだと思うが、今この瞬間だけでも家族のように過ごしていることが、不思議に思えた。

本当に言語だけ学びにここへ来たのかと考えると、そうではなかった。

文化、建築物、歴史、気候、食事、法律、マナー、人種、様々なことが異なる場所で、学んだ事は言語だけではなかった。

そして、学んだことの中で一番大切なこと、それは「家族愛」だった。

この1ヶ月でたくさんの愛を感じた。たった1ヶ月で。

この経験は意味があったと胸を張れる。短期間で何が得られるか怖かった1ヶ月前の自分に胸を張って言える。

ここで私は変わることができた。

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