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その13:詩人の万年筆

今年(2023年)は、私が詩の神様と崇める田村隆一の生誕100年を迎える。
私淑やまない大詩人の万年筆と言えば、晩年のその書斎を彩った二本のパーカー。出版社から贈られたというその万年筆は、デュオフォールドのブラックとオレンジの二本のこと。
実際にはこの二本のうち、ブラックの一般的なデュオフォールドを自身が使い、オレンジの方は専ら夫人が使われていたそう。
そもそもこの詩人、筆記具にこだわるような人物ではない。そういうこだわりより酒を飲むことを愛した酒仙であった。どちらかと言えば「弘法筆を選ばず」の如く、万年筆より鉛筆の方が似合うような……と書くとここでの話が崩れてしまう。
晩年の著書の中で度々撮された書斎の景色の中で、私の目を一際引いていたのはオレンジ軸のインターナショナル オレンジの方だった。

その興味は、98年にその著書にあった景色を見たことから始まり、その十年後の2008年には鎌倉文学館で催された企画展で現物も見た。
実際には本人が使うことがなかったとしても、ペン立ての中から書斎を彩った存在感は、まさに詩人の万年筆を象徴する一本だった(と私は確信する)。大詩人に憧れて詩を嗜むようになった私は、あの洒脱な文章が書ける魔法のペンなんじゃないか、と心の片隅の隅で考えていたのかもしれない。いつかこの万年筆を手にする日を夢見ていた。
はじめて目にしてから23年が過ぎた一昨年の三月、私はついにそれを手にする時が来る。憧れ焦がれた大詩人と同じ万年筆を手に入れる機会をようやく得たのだ。
購入する時のドキドキは今でも手が震えそうな記憶が残っている。万年筆的には91年に発売された復刻モデルで、30年以上前のヴィンテージ品にあたる。残念ながら中古品でしか手に入れることは叶わなかった。
憧れた一本を手にした喜びは格別だった。あくまで同じタイプの万年筆を手に入れただけに過ぎないのだが、それでも何処か僅かでも大詩人に近付けたかのような思いに浸れた。
私の中では、万年筆の世界のひとつの終着点というか、そんな位置付けのペンになってしまっていたようで、ついに到達してしまったという達成感には一抹の寂しさも募っていた。その後、万年筆を新たに購入することに慎重さが増した気がする(PILOTのキャップレスがダメになったので、一本買ってしまった)。
果たして、私はこの万年筆でどんな詩が書けるだろうか。実は、まだこの万年筆を使っていない。この万年筆に相応しい詩が生まれた時、はじめてインクを注ぎ、ペンを走らせたいからだ。勿論、使ってなんぼの万年筆ということは理解している。それでも私にはそれくらいの覚悟が要るペンなのだ。
大詩人の生誕100年の節目の今年、インクを入れて書くことはあるだろうか。あってほしいと常に思っているのだが。

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