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一度きりの人生、できないことなんてないんじゃないのか?

休日に写真を撮る日々をここ2ヶ月ほど続けていたら、今日は無性に文章が書きたくなった。

写真は世界の一瞬を切り取って作品を作っている感覚だけど、文章を書くことは自分自身を削って、体から切り取る感覚。キャパシティの少ない私にはなくてはならない生きる術の一つだ。

12月に入り、あと少しでもう1年が終わる。

先日、小松崎拓郎さんが主催しているオンラインサロン「もとくらの写真/現像室」のオフ会に参加した。

友人が何人かいて安心感のある緩やかなフォトウォーク会。小松崎さんの柔らかい人柄に集まったメンバーだからか、初対面の人とも力まずに話すことができた。

ゆるゆると何人かで道を歩いていると、何気ない会話の中から「もうすぐ1年が終わるねえ」という話題が上がった。

その時に「今までの人生の中で1番楽しい1年だった!」と誰に聞かれた訳でもないのに、そう口にしていた。口に出した瞬間、その事実がすっと心の中に染み込む。

すごく楽しかった。この1年は人生の中で1番楽しく過ごせた自信がある。

今年の2月に東京にきて、もちろん辛いこともムカつくこともあったけど、大切にしたい人たちに出会って、自分なりの愛を持って今日まで過ごしてきた。

大好きだと思える写真にも、限界値を越えそうなギリギリのラインで打ちこめるだけ打ち込んできた。「飽き性の自分にしては続いている方だなあ」ともうひとりの自分が偉そうに笑っていたりする。

ただ、ここ何日かちょっとだけもやっとした気持ちを抱えて過ごしている。前置きが長くなったが、このモヤモヤについて整理したくて今日は文章を書いた。

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1秒でも多く写真を撮りたい

ここ最近、モヤモヤしていることは所属している会社のこと。

そして、自分らしく生きる為にはどうしていけばいいのかということだ。

写真を始めて、どれだけ時間がなくても体がだるくても写真を撮りたいし、レタッチして撮った相手に早く渡したいという気持ちを持ったまま突っ走ってきた。

寝不足でも、自分のやりたいことだから楽しい。楽しすぎる。こんなこと人生で初めてだ。

今は1秒でも多く写真を撮りたいという思いで、会社の昼休みはおにぎりを片手に会社の隅でレタッチ作業をしていたりする。

ずっと私は同じ場所に留まり続けるのか?それで私は一体誰を幸せにできているのか?

そんな考えがこの何日か止まらなくなって、思わず叫びたくなるのを我慢している。

もし、もしもだ。

いくら辛くても楽しいと思える、「写真」を仕事にできたらどうだろう。

今の自分ならできるんじゃないか?

やれないことなんてこの人生ないんじゃないか?

昔から私の口から出てきていた夢は、漫画家とか小説家とか声優とか。方法は違えど、とにかくモノをこの世に生み出す職業だった。誰かの言葉の抑圧に負けてなくなったその夢たちには、結局私の根本的な興味や情熱が詰まっている。

私は昔から、何かを作り出す人間になりたいのだ。

誰でもない私自身にしかできない、私からしか生まれることのないものをこの世に出して、誰かの心の琴線に触れることができれば。

これはもう私が物心ついた時から、切っても切り離せない欲望なんだと思う。これが満たされない限り、私は死ぬ時に絶対後悔する。

この感情が今だけのものなのかわからなくて、文章に起こしてみたのだが、書きながらなぜか泣きそうになって笑ってしまうという矛盾が起きている。


今の私は楽な方に逃げてないか?

思考停止してないか?

誰かの言葉や抑圧に負けてないか?

一体誰の人生なんだ、進むべき道なんてもう決まっているんじゃないか?

自問自答だけして動けない自分は好きじゃないから、着々とやっていこうと思ったしだいです。




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TOP画像 photo by けーすけさん



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