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子育ての記憶(01)誕生

 既に記憶が混濁し始めているが、自分の人生において最大かつ最長のイベントだった子育てについて記録しておきたい。娘が成人した今となっては、全ての事柄が振り返りになるので、当然に真実だけでなく、思い込みや記憶違いも多々含まれるはずだ。それは、もはや記録ではなく創造物に近い物になってしまう可能性も大きい。でも、今だからこそ書こう。明日にはボヤけ、明後日には忘れてしまうのだろうから。

子育ての記憶:イントロ

最初で最後の娘の誕生(一人っ子という決定)


一人の子どもにのみ集中するという生き方

 今から長々書き連ねるが、この項目の最終結論である「自分たちの持てる愛情の総量を一人に全て注ぎ込む」というスタンスは、他の項目にも底通する根源的テーマとして頻出するはずだ。

 初投稿ゆえの拙さや、テーマの矮小性から、最後まで読まれる事も少ない記事の筆頭になるのではないかと危惧しているが、自分にとっては避けて通れない必須の記述となる確信があるために一番最初に書き記す。


自分たちは子どもが何人欲しいのか? 

 娘の誕生はもう20年以上昔のことだ。
 当時、それほど意識していた訳ではないが、一人っ子である自分と、下に兄妹の居る自分のパートナーとの間において、「二人の間に設ける子どもの人数」は、かなり真剣に議論して一定の共通認識を持っておくべき重要な課題だった。
 第一子誕生までは、産まれくるはずのその子が私たちの世界の中心であり、二人の関心が向くべき対象の全てであったから、二人の意識がパートナーのお腹の中の存在だけに集中することになんの問題も無かった。
 しかし、娘がこの世に生まれ出た瞬間からそれ以降の時間の流れの中においては、第二子が続いて誕生する可能性が有るのか否かは、三人となった家族というコミュニティの中で、なるべく早くに結論を下すべき重要な問題に昇格したのだと思う。

(それを一言で家族計画と表現できない辺りの鬱屈ぶりが困りもの)

 結局、我が家においては、第一子を愛し過ぎてしまった結果、第二子に対して「第一子と同じだけ愛情を注ぐ自信が無い」という経済的・時間的・身体的・精神的条件の問題と、「第二子を授かることで第一子に関わる時間が減ることに耐えられない」という歪んだ心情の掛け合わせにより、第二子誕生に向けた取り組みに励むという選択肢は一年を待たずに消滅した。
 もちろん、自分一人だけがそう思ったり感じたりしたわけではなくて、時間をみつけては二人で話し合い、二人目の子どもの名前をなににするか?までアイデアを出し合ったりしながら導き出した結論だ。
 自分は素直な物言いが苦手なので、こうしたヒネくれた書き方をすると、批判的な印象・感想を持たれる方も一定数いらっしゃるであろう事も覚悟のうえで赤裸々な言い方をしてみた。私見だからご容赦いただきたい。

子どもは一人だけという選択の根拠

 主観的には自分たちの決定した選択に一片の後悔も無いし、将来に渡っても「それが正解だった」と言い切る自信はある。それでも、客観的に見ればかなり不健康な方向に振れた決定だったのではないか?との自覚もない訳ではない。
 それでも敢えて言うなら、馬鹿丸出しのお見苦しい表現で非常に恥ずかしいのだが、産まれてきた娘は、とにかく可愛くて可愛くて、一瞬たりとも目が離せないし、少しでも長く触れ合っていたい存在だった。
 であるからこそ、二人目の子どもを授かったとしても、一人目と同じ精力で、同じだけの時間を割くことは、ほぼ不可能であると実感してしまったのだ。
 そして、絶対に「上の子はこうだった」「あ〜だった」と言ってしまうだろうし、口にしないまでも心の中で比較するだろうことも確信的に想像できる。それは、もはや虐待である。産まれてもいない今の段階でそう思ってしまうのだから、本当に産まれてきて危惧していたことが現実のものとなったら目も当てられない。

 そして、更にこうも思ってしまうのだろう。
 あ〜、この子(二人目)の面倒を見ているこの時間にあの子(一人目)は何をしているんだろう。きっと可愛いんだろうな🤔
 仮に、二人で分業してそれぞれが受け持ちを決める場面があったとしたら、一人目の娘を担当したパートナーを羨んだり😡、二人目を担当したパートナーに対して自慢たらたらマウントを取ってしまったり😏もするだろう。
 書きながら、そら恐ろしくなるほどの馬鹿っぷり。なんて可哀想な二人目の子。無理だ。二人目を育てる自信なんて欠片ほども自分の中にみつけられない。

 結論…
 はい、私たちには子どもを二人も育てるなんて高度な営みは無理です。

 比較的早期に自覚できて本当に良かった😮‍💨


娘の成人式も終わってこの春には社会人

 そんな家族関係を20数年続けてきて、この2024年の春には、娘は初めて我が家を離れて、社会人デビューすると同時に一人暮らしを始める。
 当事者として、その瞬間、瞬間には無限に長いように感じられるのに、傍観者として振り返ってみれば本当に矢の如く過ぎ去っていってしまった「親子の時間」が終わる。密着することが当たり前で、彼我の壁が限りなく薄い、本当に奇跡のような貴重な時間が終わってしまう。
 これからは個として確立し自立した「子」が新たな住まいでの生活を始める。
 その一方で、子の成長の礎を築けたのかどうかを「子」の生き様を通して確認しながら、自らの生き様の是非を自問自答し続ける時間を過ごす「親」が残されるのだ。

 な〜んて、この期に及んで娘を縛る一方的なバイアスのかかった「親」目線に固執する自分に思わぬ警告が届いた。

 今なお、賀状のやり取りをする娘の中学校時代の恩師から届いた2024年のメッセージだ。その趣旨は「親としての役割を卒業して、自分自身の生き方を真剣に考える年にしてください」だった。
 もはや、娘の学校時代の恩師であると同時に、私たちの人生の師である。娘を通じた出会いは数え切れないほどあったが、その一つ一つが本当に有難いものだったと心の底から思う。
 はい、先生はすっかりお見通しですね。分かりました、自分が娘からしっかりと卒業できるよう頑張ります。

子離れは親離れより難しいのかも?

 娘は、成長とともに着々と親離れしていった。特に高校入学以降は、急速に個としての確立が進み、自分と親との距離感について自分なりの正解を模索してきた様子が伺える。優しい人柄を形成できたようなので、成長過程での意見の相剋発生などの場合には、ハードランディングにならないよう細心の注意を払ってくれたことも感じるし、子離れができない親のために意図的に「可愛い子」を演じてくれていた苦労も理解しているつもりだ。
 大人への階段を上がりながらも、親の目を気にしつつ子どもらしさを残そうとバランスを取るという無駄骨も折らせてしまった。
 改めて振り返ると少し虐待っぽい。本当に可哀想なことをしてしまった。愛情、愛情と言いながら、その愛情はかなり歪んでいたことに気付いてしまった。愛情という表現を纏った束縛?呪縛?娘はもしかしたら、物凄く息苦しかったのではなかろうか?
 ここまで来ると、文章化したことが良かったのか、悪かったのか、段々分からなくなってきた。
(書いている内容がホラーに近いかも?)

 かたや自分も、二つに分裂した状態で娘の後を追い続けた。
 一方には、一緒の時間を少しでも捻り出し、伸ばし、「可愛い娘」というイメージの檻の中に閉じ込めようとする本当の自分(=欲望に忠実な本能)がいた。
 反対側には、「年相応に自分の世界を広げる以上は、親との時間は減って当たり前だ」と諭してくる仮面を被った自分(=社会的な分別)がいる。
 親としての成長とは、すなわち、この分裂している自我を統合して一つの人格として破綻しない人間像を体現することなのだろう。それを強く意識して、折り合いを付けるべく時間を割いてきたが、ようやく仮面の自分の優勢が自覚できるレベルに至ったように感じる。
 数少ない友人たちも、娘が家を出ていくことによる自分の精神状態の悪化を懸念して言葉を掛けてくれているようだが、意外にも今は動揺も不穏も感じてはいない。
 大丈夫だ、多分、自分は無事に親を卒業できるんだ。 多分ね。

 自分の考える「親の愛情」について延々と書き連ねてきたが、いずれは、「親としての成長」についても書いてみたい。




……………

最後に、娘さまへ💕(蛇足)

 親の一方的な都合(エゴ)で一人っ子にしてしまってゴメンね。
 でも、貴方が一人っ子だったからこそ、今、こうした関係性を構築して、独立していく貴方を笑顔で見送ることができていると信じているよ。
 自分たち家族にとっては、これが正解だったと思うし、「タラ」「レバ」の後悔と想像が入り込む余地が一ミリも無いほどに現状に満足しているよ。だから、せめて親が幸せだと心の底から実感しているという事実をもって、貴方の境遇を親が自己中心的に勝手に決めてしまった身勝手を許してはくれないだろうか。
 どうか、どうか、親の束縛から解放されたこれからの貴方の人生が幸せなものでありますように。
 心の底から全身全霊で祈ります。

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