サラリーマンと勉強
私は41年にわたったサラリーマン生活の中で27年の間、経理の仕事に就いていた。経理というとお金の記録をする仕事というイメージがあるだろうが、奉職していた会社がメーカーということもあって、それだけでは済まなかった。原価計算と予算編成という2本柱に始まる管理会計には、資金と損益の予測および経営者の意思決定のためのシミュレーションという仕事も含まれる。また、税務の知識も必要になることがある。
したがって、ざっと簿記論、財務諸表論、原価計算、管理会計論、法人税、会社法といった知識が必要になる。私の場合は、大学の専攻がビジネスとはまったく関係がなかったので、これらを社会人になってから勉強したのだった。大学の教科書やビジネスマン向けの入門書・専門書など、いろいろと本を読んで勉強したものである。財務諸表論については黒沢清先生や中村忠先生の本、原価計算については岡本清先生の本が有益だった。
私の上司だった人の中には、商学部出身で学生時代にすでに、こうした知識を身につけて入社し、自分が好きで勉強した道に進むことができた幸せな人もいた。実際に仕事もできて、CFOにまで栄達した人が複数いらっしゃった。こういう方はエンジニアが自分の得意分野を活かしてメーカーに就職したようなもので水を得た魚のようなものだったのだろう。
事務方では会計を専攻して経理部門に、法学を勉強して法務部門や総務部門に、マーケティングを勉強して営業部門に職を得る場合がありうるが、他方で私のようにビジネスと関係がある勉強をまるでしてこなかった人間もいるのである。面白いことに、米国企業と提携した事業に参画していた時に先方の経理の管理職の人たちの学生時代の専攻を聞くと、数学、建築、化学というように日本でいう理科系出身者がゴロゴロいたので感心した。
理科系出身者が何らかの実利を考えて、経理の仕事に方向転換したわけだが、彼らからすると数字を扱う点で何か親和性を感じたのかも知れない。理科系から転向したというのは日本では、あまり聞いたことはない話ではあるが、彼らも私と同じように一から勉強したはずである。ただ、米国の教科書は基本的に自習が可能なように編集されていて分厚い。日本の教科書の多くが、教師が講義を行うことを前提にざっくりした内容であるのとは好対照である。 (岡本清先生の「原価計算」は例外的に米国の教科書に近い)
私も管理職になって、事業活動そのものにも目配りする必要が出てくると、経理分野の知識だけではなく経営管理全般について勉強をしたくなった。そこで、産業能率大学の通信課程に編入学して、経営学やビジネスに関連した法律、マーケティングや人事管理などを勉強して学位を取得した。会計基準の国際化が進んでいる時期でもあったので、会計の勉強も並行して続けていた。また、米国企業と事業提携していたので英会話学校にも通った。
その内に50歳の大台に乗ってくると経理の仕事はお役御免になり、リスク管理、個人情報保護体制の運営、内部統制評価の導入支援に最後は監査と次々と新しい仕事に就くようになった。向いている仕事も向いていない仕事も経験したが、その間に努力したことは、とにかく勉強することであった。形にできたものとしては、インターネットによる学習でMBAの学位を取得したことと、公認内部監査人(CIA)の国際資格を取得したことである。
大学時代に好きで経理に関連した分野を専攻して、希望どおりに経理部門に配属され栄達した人たちとは違って、私の場合は会社の中で生き残るために必要に迫られた勉強であった。まさに、強いて勉めるが如しであったから、リタイアしてからは自分でも感心するくらい、かつての仕事に関連する本は読んでいない。だが、自分なりにやり切った充足感を得ながらのハッピーリタイアメントを迎えることができた。
学生だった時分にはピンと来なかったが、サラリーマンには勉強が必須である。会社もしくは新しい事業分野の成長、自分自身の責任が大きくなること、仕事そのものの変化、新しい仕事など、挑戦を求められる状況が次々と訪れるだろう。自分は勉強せずに気の利いた部下に頑張らせるのも一つの手である。だが、それでは仕事そのものが面白くはならない。自分が社内で専門家と言われるようになるつもりで主体的に取り組むことで会社にいる時間に意味が生まれる。そのためには勉強が是非とも必要なのだ。
ところが意外なことに管理職になってから、いつの間にか勉強をするのを止めて、部下に仕事をさせる、文字どおりに部下を管理することだけが仕事になっている管理職がけっこういたものである。私に言わせると「会社にぶら下がる」ことを選んだことになる。もしかすると勉強できること、努力できることも才能の内なのかも知れないと思えるくらい、勉強や努力を放棄した人はいるものである。
私は勉強することで会社の中で責任が重くなっていったが、これを縦方向での自己実現だとすると、斜め上を行く自己実現を成し遂げた人もいた。私が事業部門内でリスク管理の仕事に就いていた時に、全社のリスク管理の支援をしていた人がいて、その人は会社を超えて、言わば「リスク管理」業界で令名を馳せて関連団体の役員になった。私の古巣の経理部門でも、国際会計基準を研究・普及する団体の重鎮になった人がいた。
前述の「会社にぶら下がる」選択をした人たちは、言わば横方向の自己実現と言えるかも知れない。趣味の活動や、アフター5の飲みニケーションに生きがいを求めたわけである。だが、低成長経済かつ変化の激しい世の中では会社の方から、ぶら下がって生きることを拒否された人もいた。また、なんとか、定年退職までぶら下がり続けることができた人もいたが、50歳を超えた頃から不完全燃焼の日々を過ごしたようである。会社にいる時間を意味あるものにするには、やはり勉強するに若くはないのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?