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フィンランドのNATO加盟が意味するもの

5月12日、フィンランドは北大西洋条約機構(NATO)に加盟する方針を表明しました。トルコは難色を示しているものの、欧米各国及びフィンランド国民の大半はNATO加盟を支持しており、申請は受理される見通しとなっています。
 
これに対し、ロシアは報復措置を示唆しています。NATO加盟が承認されるまで数か月を要するとみられ、新たに英国との軍事協定を締結することで安全保障を強化しようとしています。
 
1 フィンランドの歩み
19世紀前半からロシアの支配下にあったフィンランドもまた、日露戦争での日本の勝利に勇気づけられた国のひとつでした。1917年に帝政ロシアが崩壊したことで、フィンランドはロシアからの独立を果たしました。
 
1939年、第2次世界大戦が勃発すると、ソ連はレニングラード防衛を理由にフィンランドにカレリア地域を要求。これを拒否したことでロシアとの間で冬戦争が勃発します。
 
1941年に勃発した独ソ戦にフィンランドも巻き込まれてドイツに協力することになります(継続戦争)。1944年、ドイツの敗戦に伴いフィンランドも敗戦国とみなされたものの、辛うじて独立は維持できました(近隣のバルト三国はソ連の支配下に置かれた)。
 
しかし、ソ連から複数の地域が奪われ(下図参照)3億ドルもの賠償金を課せられて、二つの戦争で約9万人を失うなど、大きな痛手を負ったのです。

映画「冬戦争」(左)、ソ連に奪われた地域 (右)

その後、フィンランドはロシアを刺激しないようにNATOとは距離を置くと同時に、ソ連が推し進める価値観を否定しないことで共産主義やワルシャワ条約機構WTO:Warsaw Treaty Organization)(注1) への加盟圧力から逃れてきました。
 
(注1) 戦後、NATOに対抗してソ連が東欧諸国や北朝鮮などを加盟国として設立したが、ソ連崩壊直前の1991年7⽉に解体
 
また、1991年のソ連崩壊後もNATOに加盟することなく、気が付けば70年以上もの間、ロシアに気を遣いながら中立政策(注2) を保続してきたのです。
 
(注2) いわゆる「永世中⽴国」とは異なり、ソ連/ロシアとNATOとの間で中立的な立場をとることを意味
 
2 NATOの概要
(1) 加盟国及びパートナー国
フィンランドが加盟を希望しているNATOは、第2次世界大戦後の1949年に設立された対・共産主義軍事同盟です(その変遷は下図のとおり)。

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NATOの拡大(外務省ホームページ)

これら加盟国のほか、演習等を通じてNATOとの高い共通性を有する高次機会パートナーEOP:Enhanced Opportunity Partners)があります(ウクライナフィンランド、スウェーデン、ジョージア等が該当)。
 
更に、米国は非NATO同盟MNNA:Major Non-NATO Ally)として、NATO加盟国以外の19か国と同盟関係を結んでいます(日本、韓国、豪州、イスラエル等が該当)。
 
(2) 組織編制
NATO軍の最高司令官SACEUR:Supreme Allied Commander Europe)は、米欧州軍EUCOM:United States European Command)(注3) の司令官が兼務し、作戦連合軍ACO:Allied Command Operations)を動かしています(実質、NATOは米軍の指揮下にある)。

NATO軍の組織編制及び米軍・加盟国軍との関係

(注3) 米欧州軍(EUCOM)は世界中に展開している統合軍のひとつで、3月末の時点で総勢約10万人を欧州各地に駐留させ、ウクライナへの武器等の供与は米欧州軍管制センターECCU:EUCOM Control Center Ukraine)が行っている
 
(総勢90万人のロシア軍に対し)NATO加盟国の軍隊は総勢332万人にもなりますが、実際にNATO軍として機能するのは加盟国から差し出された部隊から成るACOです。

このACOの中に、5日以内に展開可能な40,000人規模の即応部隊NRF:NATO Response Force)があり、更に5,000人規模の高練度部隊VTJF:Very High Readiness Joint Task Force)があります。
 
(3) 加盟国の国防費
2014年以降、NATOは加盟国に2024年までに国防費を対GDP比2%まで引き上げる目標を課しています。大半は未達成に留まっていますが、今般のウクライナ紛争を受け、ドイツなどは対GDP比2%以上に転換する方針を打ち出しています。

加盟国の国防費・対GDP比(2021年)

3 米露関係の変遷
第2次世界大戦で戦勝国となったソ連ですが、その後、東西冷戦の中で西側諸国との対立を深めていきます。その最前線が米国主導のNATOとソ連主導のWTOだったのですが、1991年にソ連が崩壊すると東欧などの諸国は独立しWTOも解体されました。
 
(1) ロシアの再興
ソ連崩壊とともに、ソ連/ロシアの脅威は世界から消え去ったかにみえました。NATOはその後も存続し、対テロ戦争に傾倒していったのですが、ロシアはNATOを自国への脅威と捉え(注4) 、徐々に敵対勢力としてのロシアが再興(Resurgence)していったのです。
 
(注4) ロシアは、旧WTO加盟国のEU加盟は容認しても、NATO加盟は容認しなかった。プーチン大統領は「NATOは1インチも東方に拡大しない」という1990年代初めの約束が反故にされたと主張(米側は「そのような約束をしたことはない」と反論)
 
1999年3月、コソボ紛争にNATOが介入し約50,000人の部隊(KFOR:Kosovo Force)を展開させ空爆作戦(OAF:Operation Allied Force)敢行すると、ロシアは「人道的介入を口実に、国連安保理決議もない(ロシアの同意を得ない)まま域外に派兵した」として、NATOの行動拡大の動きに強く反発します(コソボは2008年2月に独立)。
 
(2) グルジア紛争と米露関係リセット
2004年にグルジア(現・ジョージア)の大統領がNATO加盟を目指し親欧米政策を進めると、ロシアはこの動きに不快感を示します。

2008年4月のNATO首脳会議でウクライナとジョージアが将来的にNATOの一員になることが宣言されると、ロシアはこの決定に強く反発します。

同年8月のグルジア紛争で、米露関係の悪化は決定的になりました。ロシアはグルジアの国内紛争に軍事介入し、南オセチア及びアブハジアの両地域の独立を一方的に承認したのです。
 
国際社会では「新冷戦の幕開け」が囁かれましたが、再興するロシアを敵対勢力ではなくパートナーとして迎えたかった米国は、2009年3月のモスクワでの米露外相会談で、両外相が「リセット・ボタン」を押すことで、悪化した米露関係は一旦リセットされたかに見えました。

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当時、ラブロフ露外相にもこんな笑顔がみられた

(3) 欧州ミサイル防衛への反発
ところが、米露関係は思惑どおりにはいきませんでした。2009年9月、NATOがイランからのミサイル防衛を目的として欧州各国にイージス・アショアなどを配備する欧州段階的配備計画EPAA:European Phased Adaptive Approach)を発表すると、ロシアはこの計画はロシアの核戦力を弱体化させるとして反発します。

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欧州ミサイル防衛の段階的配備計画(EPAA)

(4) NATOの脅威認識の変化
その後、2014年3月にロシアがクリミアに侵攻すると、NATOの間に「やっぱりロシアはとんでもない奴らだ」という不信感が芽生えます。
 
同年7月には、ウクライナ上空でマレーシア航空機撃墜事件が発生し、責任を認めようとしないロシア側の偽情報に益々、不信感が募ります。
 
そして、今般のウクライナ侵攻と、民間人への無差別攻撃や虐殺や拉致、繰り返される偽情報や核による恫喝を受けて「もはやロシアはまともに対話できる相手ではない」という認識が確実になったのです。
 
4 米国の世界戦略の失敗
ただ、米国はNATO、EOP、MNNA等、次々に同盟国・パートナー国を拡大する中で、ロシアをパートナーとして取り込むことに失敗したという側面は否めないと思います。結果、ロシアは次第に追い詰められ、隣国への侵攻や核兵器による恫喝を繰り返す悪循環を生み出しています。
 
 ロシアの戦略的思想
背景には、プーチンが信奉する「ネオ・ユーラシア主義」があるといわれています。
 
国家の崩壊を経験したロシアは、新生ロシアを「ヨーロッパでもアジアでもないユーラシアの国家」と再定義し、この地域を統一的に支配し、欧米とは異なる価値観をアイデンティティとするのがネオ・ユーラシア主義の考え方です。
 
この思想の提唱者は、クレムリンにも影響力を持つといわれるアレクサンドル・ドゥーギン氏です。同氏は、その著書「地政学の基礎 - ロシアの地政学的未来」の中で、ロシアの最大の課題は全欧州のフィンランド化(Finlandization)であるとしています。

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ドゥーギン氏とネオ・ユーラシア主義

フィンランド化とは、ロシアの意に沿う外交安保政策をとる代わりに、内政面では現状の民主主義や自由経済が許される状態のことです。つまり、全欧州が米国との軍事関係を絶ちロシアの影響下に置かれることが、ロシアの最大の課題であると言っているのです。
 
また、フィンランドについては「南部をカレリア共和国、北部をムルマンスク州に統合する」、つまりフィンランド全体をロシアに吸収すべきだと主張しています。
 
6 フィンランドの方針転換
このような思想を信奉するプーチンがロシアを治め、隣国ウクライナに侵攻し、無差別攻撃や虐殺や拉致、偽情報や核による恫喝を繰り返している現状を踏まえ、フィンランドのマリン首相は「安保環境は様変わりした」と話しています。

36歳の若きリーダー、マリン首相

そして、70年以上も耐え忍んできた不名誉極まりないフィンランド化という名の中立政策に真っ向から反旗を翻したのです。
 
福祉が行き届き「世界で最も幸福な国」とまでいわれた温和なイメージのフィンランドですが、意外にも国防意識は非常に高く、有事への備えも行き届いています。
 
● 成⼈の約3分の1が予備役(欧州最大級)
● 全市民に祖国防衛の義務を憲法で規定
● 18歳以上の男子の徴兵制度を維持
● 18-60歳男子に予備兵としての兵役義務
● 軍の本部は強固な花崗岩の下にある
● ⾸都ヘルシンキには地下トンネルがある
● ⼀定規模以上の建物には防空壕を設置
● 人口の7割を収容できる核シェルター
● 地下駐⾞場などを避難所として利⽤可能
● エネルギーは原発依存率が高い
● 燃料や穀物は少なくとも6か⽉分を備蓄
● 製薬会社は医薬品の3〜10か⽉分を備蓄
 
7 ロシアの誤算
ロシアは、ウクライナにフィンランド化(緩衝地帯)を求めた結果、皮肉にもフィンランドという緩衝地帯を失うことになりました。そして、バルト海がNATOに囲まれ、フィンランドとの間に1,300キロに及ぶNATOとのボーダーを出現させる結果を招いたのです。
  
8 フィンランドのNATO加盟の意味
米国の政治学者イアン・ブレマーは、2011年に世界は主導国が存在しない「Gゼロ」の時代に突入すると指摘しました。
 
その後、2013年にオバマ米大統領が「米国は世界の警察官から降りる」と宣言し、2017年にはトランプ政権が孤立主義的な「アメリカ第一主義」を打ち出し、いよいよパクス・アメリカーナは終焉しGゼロ時代が到来したなどと囁かれました。

弱体化・孤立化を深めるアメリカ

そして、今般のウクライナ侵攻では、米国は欧州方面の兵力を増強し、ウクライナに軍事情報と(小さな)兵器は与えているものの、事態打開に向けたリーダーシップは極めて消極的です。
 
米国としては、早くインド太平洋地域に軸足を移して対中抑止に注力したい(注5) のが本音なのです(ロシアとの直接対決で疲弊すれば、中国の一人勝ちになる)。
 
(注5) 国家安全保障会議(NSC)のキャンベル・インド太平洋調整官は、覇権主義的な動きを強める中国を念頭に「より大きく根源的な課題はインド太平洋地域にある」と言明している
 
つまり、マリン首相のいう「安保環境が様変わり」したという言葉の背後には、米国の力の陰りが見え隠れしていて、今般のフィンランドのNATO加盟劇は、ロシアの脅威の高まりのみならず、米国主導の国際秩序が瓦解し始めたことも意味しているのです。
 
おわりに
米国の弱体化により、自ずと欧州各国は自立を促されています。然るに、これからの時代は自主防衛と集団安全保障が益々重要な意味を持つようになるでしょう。
 
欧州では多くの国々と集団防衛を築くことができます。侵略を受けても、仲間がたくさん居れば助け舟を出してくれる国もある。ところが日本は米国一辺倒です。果たして、米国の同盟国に対するコミットメントは「絶対」と言い切れるでしょうか。
 
そういう意味では、周辺諸国の脅威に晒されている日本も、米国は確かに弱体化しつつあると認識を改め、他の国々との新たな同盟関係を追求し、あわせて自国の防衛力は自助努力で高めることが極めて重要なのです。
 
自民党は、防衛費について「GDP比2%以上を念頭にする」としています。「初めに数字ありき」というのは問題あると思いますが、他方で経済も教育も社会福祉も、先ずは国家の安全がベースにあってのことです。
 
今後、政府内では防衛費の増額、憲法改正、国家安全保障戦略等3文書の改訂など、国の根幹に係る重要課題の検討が予定されていますが、くれぐれも「ウクライナ紛争に乗じている」などといった不毛な議論にならないように願うばかりです。
 
日本も今、フィンランドのようなドラスティックな意識改革に迫られています。国防というのは準備に10年単位の期間を要するものです。国際情勢の変化のスピードを考えると、いつまでも既成概念に捕らわれていては、国を危うくする恐れがあるのです。
 
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重要なポイント
〇 中立では侵略を抑止し得ない時代に
〇 米国主導の国際秩序は瓦解し始めた
〇 米国以外との新たな同盟関係も重要
〇 防衛力を高める自助努力が必要
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番外編
2006年にフィンランドを訪れました。サンタクロースの故郷ラップランド、オーロラ、ムーミンなど、フィンランド好きの日本人は多いですね。

サンタクロースの故郷「ラップランド」
フィンランドの代表アニメ「ムーミン」

当時、住んでいた摂氏35度の灼熱のアフリカから、マイナス35度の極寒地、北欧へ。正直、身体がおかしくなるかと思いました。(^^;

フィンエアー(左上)、オーロラ(右上)
マイナス35℃の朝(左下)、サンタ村(右下)
(Photo by ISSA)

北緯66度32分35秒以北の北極圏に立ち入り、証明書を貰いました。ちなみに、筆者は以前、仕事で南極圏にも訪れています。

北極圏立入証明書(左)
北極圏の境界線となる場所(右)

旅の途中、バスの車内に貴重品が入ったリュックを置き忘れたのですが、現地の方が親身に捜してくれて無事に戻ってきたので「なんて親切な国なんだろう!」と感動したことを覚えています。
 
機会があれば、また行きたくなる。
フィンランドはそんな素晴らしい国です。