使命で疲れるか、意義のうすい仕事を辞めるか
久しぶりにある友人と話した。
私が彼と知り合ったときには大学生であったが、今は家業を継いでいる。学生時代とは比べ物にならないほど忙しくなった彼は、むしろ以前より充実している様子で、その話す内容もとても成熟していた。
ブルシットジョブ
ブルシットジョブという言葉がある。いちおうNHKのテレビ番組で「クソどうでもいい仕事」と訳された。
あってもなくてもいい仕事や役職のことである。たとえばスペインの水道局員ホアキン・ガルシア氏は、なんと6年間も出勤せずに給料をもらい続けた。彼がサボっていることに誰も気づかなかったのである。皮肉にも、彼が勤続20年の表彰を受けるというタイミングになって初めてそのことがバレた。
ホアキン氏の問題というよりは、水道局が1人欠けた状態で6年以上ちゃんと運営できたことが重要である。
使命の労苦
大学時代の友人もまた忙しい人であったが、その時にはサークル活動、アルバイト、そして人付き合いで忙しかったという。その当時の彼は用事をセーブすること、つまり適度にサボることを重んじていた。
今の彼はむしろよく働くことを重んじている。それは家業を担っているからだ。極端な言い方をすると、昔は副業で疲れていて、今は生業で疲れているということになる。
漫画のセリフとして生まれた『やりがい搾取』という言葉がとても流行した。漫画が出た当時はあまり流行らなかったが、新垣結衣がテレビドラマの中でそのセリフを言ってからは、政治家もその言葉を使うようになった。
この言葉は基本的にネガティブなものである。元ネタの漫画では「給料の出ない仕事を使命感によってやらせる」ことを指した。今では、給料が出る仕事であっても「やりがい搾取」と呼ばれることがある。
搾取とは何か?
だが私が思うに、やりがいや使命感はむしろとてもポジティブなものである。問題はそれを搾取することであって、やりがい自体はネガティブなものではない。
たぶん、自分で決めてやっている仕事なら、きつくても安くても我慢できるのだろう。反対に、自分にとってあまりやりたくない仕事になると、もし実際にはやりがいがあったとしても、ブルシットジョブだと判断されうる。
友人は、同じ学年の者たちが2~3年で会社を辞めることに素朴な疑問を持っているようだった。私は2~3年で会社を辞めることに共感できる。もっと待遇を良くしたいか、自分にとってもっと充実した人生を送りたいのだろう。
ただし、もしその会社がまともな待遇、たとえば体にとって無理のない範囲の仕事を課したり、5年くらい働いたらクレヨンしんちゃんの野原家ぐらいの生活ができるくらいの給料を与えるとなったら、それはやりがい搾取ではなくなると思う。