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哲学を日常に役立てたいなら

大学の哲学の科目で100点を貰えた。嬉しい。

哲学に詳しい人はたいがい、日常生活には何の役にも立たないよという。

私はそんなことないと思う。むしろ役に立つと思う。というか、役に立たないというのは「利益にならない」と言ってるんじゃないだろうか。

哲学を利益につなげるのは難しい。しかし、財産にすることならできる。

大学の哲学科

私は英文学科を取っているので哲学科ではない。

哲学科を取った学生は、1年生のときに先生から「哲学を覚えたところで何の役にも立たないけどね」とか「就職したいなら別の科を取ったほうがいい」とか言われるのだそうだ。

じっさい、私も哲学科に入った人、そして哲学科を出た人からそういう話をきいた。

役に立つとはどういうことか

せっかくなんで「役に立つ」とはそもそもどういうことか?を考えようか。

深掘りしすぎるとブログ記事として読みづらいから、まあ健康か社会生活にとってプラスになったら役に立ったといえるよね。

たぶん「役に立たない」と主張する人は、哲学を利用して社会的に(あるていど)成功しようとしているんじゃないだろうか。それはけっこう難しい。社会的な成功には、見た目の良さとか声の良さとかも影響するからだ。

ただし哲学には「学び方」「考え方」そのものを形成するという大きな恩恵があるよ。

考え方じたいを考える

私は哲学の研究によって人生の質が上がったと実感している。

具体的には、「目に見えないものを把握しようとする」姿勢を見につけた。ちょっと詳しい言い方をすると、目に見えない・手に取れないものを形而上(けいじじょう)のものという。村上春樹の小説なら「メタフィジカルな」ものと書いてある。

フィジカルのメタだから、「形のある」ものの「上の次元」にあるものだ。神とか、時間とかね。愛もそうか。

そういったことに考えるくせを身に着けたら、たとえば、本とかテレビとかyoutubeで他人が言ってることを吟味できるようになった。昔は相手が「嘘もしくは本当」のことを言ってると思っていた。

しかし実際にはこう、本当と嘘が入り混じっているとわかる。メッセージを伝えている本人は気付いていないだろうけど。

今の私は「好き」「優れてる」「信用できる」を分けて他人を見たりできる。昔は親友が信ぴょう性の薄いことを言っても鵜吞みにしてた。反対に、嫌いな人が本当のことを言っても疑っていた。

どう役に立つかというと

というわけで、私が明確に「哲学を学んで具体的に役立った」といえるポイントは次のようになる。すなわち、「他人の思想におぼれにくくなった」ぐらいだ。

だからほんとに護身術ていどのスキルといえる。でもその護身術があんがい心身を守ってくれたりするんですよ。