英語翻訳:ウォーホルの死生観4
アンディ・ウォーホルの名言(?)を翻訳する。
これまでに以下から①②③を翻訳した。
①I don't believe in it(death),
②because you're not around to know that it's happened.
③I can't say anything about it
④because I'm not prepared for it.
なお、実際は①②でひとつの発言、③④でひとつの発言である。「私はそれについて何かを言うことができない」について、その理由はなんなのか。
preparedは覚悟か、準備か
④は、③の発言についてその理由を書いている。つまりpreparedしていないから「何かを言うことができない」のだ。
ではそのpreparedはなんなのか。
これを「覚悟」と訳すか、「用意」と訳すか、そこが難しい。prepare dinnerだと「夕食を準備する」になる。しかし、I'm preparedは、自分は用意できているということになる。
日本の漫画の英語版ではよく「覚悟」の部分が「prepared」と訳される。
たとえば、これは『ジョジョの奇妙な冒険』の英語版である。この真ん中の部分が「ジョニーは全てを捨てる覚悟をした」とか「ジョニーにはすべてを捨てる覚悟ができている」という意味である。
そのつぎに、赤い字で「人間性さえも・・・」とくるわけだ。夕食の準備とはわけがちがう。
そしてジョニーは「必要だったら彼を『撃つ』準備はできている」というわけだ。つまり「いつでも発射できますよ」という意味なのだが、ここにもpreparedがある。
同じ漫画に出てくる別のキャラ『ブチャラティ』も、「覚悟はいいか?」と言う。その英語版で「Are you prepared for this?」と言う。
ウォーホルの発言から考えると、これは死に対する準備のはずだ。だから、今回は覚悟と訳しておく。
全体を通してウォーホルの死生観が見えるか
これまでに翻訳した部分をつなげてみる。
「私は死を信じてない、なぜなら、それが起こったとき、あなたはそれを知るために周りにいないから。」
「私はそれについて何も言うことができない、なぜなら、そのための覚悟をしていないから。」
まずは英語の文章が持っていたパーツをそのまま訳した。でも、これだとすごく不自然なので、もう少しふつうの日本語っぽい感じに調整してみよう。
「ぼくは死を信じてないよ、だって起こったとしても知りようがないでしょ」
「覚悟だってしてないし、どうにも言いようがないね」
これで少しは自然になっただろうか。
これが翻訳の恐ろしいところである。ふつうの日本語に近づけようとすればするほど、もともとの文章から離れてしまう。しかし。もともとの文章にあったものをなるべく多く残そうとすれば、こんどは日本語として不自然になってしまう。
答え合わせ
そもそも私はこの発言を、美術館の壁で見た。
壁に書いてあったのだ。実はそこに、日本語訳も書いてあった。こういう内容だ。
そこにはこう書いてあった。
「ぼくは死ぬということを信じていない、起こったときにはいないからわからないからだ。」「死ぬ準備なんかしてないから何も言えない。」
ここでは、もともと1つしかなかったはずの「から」が2回出てきたり、起こった「とき」と書くことで、死という現象が起こる時間と空間が表現されている。すごい。
神はどこへ
ところで、さっきの写真において注目してほしいのは、右下の作品、つまり十字架である。このコーナー自体がそもそも「死」をテーマにした作品ばかりだ。そこで宇宙や釈迦ではなく十字架が書いてある。
ウォーホルはカトリックの家庭に生まれた。彼も死を、キリスト教における死のように捉えていたのだろうか。
自分が死んでもそれを観測できない。覚悟(準備)もしていない。というのだから、時間を不可逆の、一方通行のものと考えている。
だが、キリストは聖書によれば死んだ人のもとに再びやってきて、蘇らせる。そこで「新しいからだ」を授ける。キリスト教徒が火葬しないのはそのためだ。
「あとは神様におまかせします」ということだろうか?とも考えたが、①と③の発言を考えると、どうもキリストを心から信じているようには見えないのだ。
ウォーホルは1987年2月22日に死んだ。
そのとき、誰が見ていたのだろうか。そして、神様は彼をどうしたのだろう。