第1話 感情増幅

「最近すごいよね!インスタ!」

 午前の講義が終わり、キャンパスの中庭で話しているときだった。今年度で卒業の私は必要な単位をほとんど取り終わっているので、もうそれほど講義にはでる必要がない。今日も午前中で終わりだ。

 この子も同じ4年生なのに、なぜかまだまだ単位が必要なようで、午後の講義の時間まで暇つぶしに付き合わされている。

「そうだね。気づいたら結構伸びてて」

 手に持っていたスマートフォンに目を落とし、アプリを立ち上げる。良く晴れた日の屋外は画面が見にくくて困る。「いまどのくらいー?」と間の抜けた声で急かされた。

「えっと、もうすぐ3000人かな?」

 顔を上げながら答え、何が面白くて見てるんだろうねと付け加える。

「えっ可愛いじゃん。ハンドメイドのアクセサリー!」

「うん。まぁ、ありがとう」

 数カ月前、私が身に着けていたピアスを「それ可愛いね。どこで売っているの?」と聞いてきたことがあった。

 私が趣味で作ったものだから、そんなにいいものじゃないよと答えると「手作りなの!? すごい! 私なら絶対SNSとかで自慢する!」と弾んだ声で言われたのを覚えている。

 人に見せるほどのものでもないし、SNSに投稿してどうするんだと思ったけれど「やろうよ!絶対人気出るから!」と、半ば無理矢理はじめさせられた。

「褒められるのは嬉しいけど、こんなに見られるようになるとは思わなくて……。本名じゃないし顔も出していないから危なくはないだろうけど、なんか怖くなるよね。誰が見ているかわからないのに、なんか私の知らない私が一人歩きしているようで」

「そうかな? 私はもっとたくさんの人に見られるといいなって思ってるよ。可愛いし」

 モデルや芸能人が、テレビや雑誌などの露出で人に見られていると綺麗になるという話を聞いたことがあるが、あれは本当だと思う。私の手作りピアスも人に見られるならちゃんと作らなきゃと頑張ってみたら、出来も良くなってきた。

 はじめのころと比べると、歪さがなくなってデザインも石一つだけの簡素なものから花をモチーフにしたり、タッセルを付けてみたりと凝ってみている。上達したのは、この子のおかげだったと言ってもいいかもしれない。

「前よりは可愛く出来ている気はしてた」

 少しだけ自慢げに答えてみる。

「そうでしょうー?」

 なぜかさらに自慢げに返されて、笑ってしまった。

「うらやましいよー。私のは全然伸びないんだもん。何が悪いんだろう……。それはそうとさ、見た?」

 唐突に話が変わる。主語が抜けるのもこの子のクセだ。

「あっごめん。ニュースのこと」

 何のニュースだろうか。あまりテレビは観ないし、今日はネットニュースも見ていない。

「何のニュース?」

 聞き返すと、嘘でしょ?という顔をされた。わざとらしい表情が少ししゃくに障る。

「人気俳優の事件だよ! ほら、これ!」

 スマートフォンに表示されたニュースページを、目の前に向けてきた。

「あぁこの人か。見たことある」

 どこで見たのかは覚えていないが、ニュースかなにかで目に入ったのだろう。

「過去に暴力事件起こしてたんだって!すごい優しそうな俳優さんなのに、人は見かけによらないって言うか」

 どこの誰かもわからない俳優。しかも過去の不祥事なんてどうでもいいけれど、人は見かけによらないって言うのは分かる。飾り気のない私がハンドメイドでアクセサリー作っていますなんて、まさに人は見かけによらないというものだろう。

「結構コアなファンがいるみたいで、今ネットで炎上してるよ。SNS見てみて」

 正直、気乗りはしないが、見ないとうるさそうなので渋々SNSを開く。

『ファンだったのに裏切られた!』
『女に手をげるとか信じられない!』
『被害者女性がなんかやったんだよ!私は信じてる』
『最近調子乗ってたしいい気味だわ』
『誰こいつ?』
『過去のこと掘り起こすメディアが一番あり得ないわ。マスゴミ』
『絶対性犯罪とかもやってるよ、徹底的に調べた方がいい!』

 擁護、罵倒、憶測、中立、悲観の言葉が小さな画面上に飛び交う。人のあらゆる感情が、手のひらに乗っていた。

「すごいでしょ?」

 すごいというのは語弊がある気もするけれど、確かに普通ではない。発信元は週刊誌のゴシップ記事のようだ。誌面の写真とともに広がっている。

 ぱっと見た限り、投稿内容で多いのは女性に手を上げるなんて最低だという批判。

 単純な力比べなら確かに男性に分があるし、もちろん暴力を振るうのは最低の行為だと思う。けれど、加害者の俳優が本当に全部悪いのかどうかは正直わからない。被害者との間に何があったのかも何やら憶測の域を出ていないようだ。

「よくわかんないね」

 すっと出た感想だった。

「何がわからないの?」

「誰が悪いのかわからない。みんな好き勝手言いすぎて何が正しいのか見えない」

「それは確かに。被害者の女性が刃物とか持ち出して、正当防衛で……。なんてこともあるもんね」

 刃物なんて持ち出されたら私ならすぐ逃げるなと思いながら、そうだねと返す。

「あっそろそろ移動しないと!」

 スマートフォンの画面で時刻を確認しながら立ち上がる。

「もうそんな時間か。いってらっしゃい」

 鞄にお茶のペットボトルやスマートフォンをしまいながら「行ってくるね」と返される。全部鞄に入れ終わると今度は「じゃあね!」と言いながら手をひらひらとさせて、講義が行われる棟に向かって歩いて行った。

 特に理由はないけれど、すぐに立ち上がるのも変な気がして、姿が見えなくなるまで見送る。

 さて、私は帰ろうかな。
 
 今日は作りかけのハンドメイドピアスを仕上げよう。軽く意気込んで立ち上がったそのとき、後ろから声をかけられた。

「もう帰り?」

 凜とした声に振り向くと、すらっとした女性が右手を胸の高さぐらいに挙げながら近づいてくる。

「先輩、お疲れ様です」

「お疲れ様。いま暇?」

 暇かどうかと問われれば暇なのだが、次に言われるだろう言葉を予想して返事に詰まった。

「今の間は暇だね? 研究の手伝いお願いできない?」

 やっぱりか。院生の研究に付き合わされるのは学部生の常だけれど、もう少し早く帰っておけば良かったなと後悔しながら、いいですよと答える。

「ありがとう! すぐに行けるの?」

 ハンドメイドの仕上げは夜だなと諦めながら、大丈夫ですと告げて先輩と研究棟へと向かった。



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