第4話 曇った鏡
今日、2人と話したSNSのことが気になって、帰宅してからずっとスマートフォンを眺めていた。
SNSでは、俳優に対する非難だけではなく、意見が異なる人同士でも争いまで発展している。
なぜ、見ず知らずの相手に、こんなに感情をぶつけられるのか。
痛めつけることに快感を覚えているのか。
正義感から、傷つけても正当化されると思っているのだろうか。
殴らなければ、言葉であれば、いくらでも浴びせかけていいと考えているのか。
ふと、現実に置き換えてみる。
今、SNS上で攻撃している人が目の前にいたとして、同じ言葉を面と向かって浴びせかけられる人はどれほどいる?
おそらく、ほとんどいない。
対峙して、その言葉を投げつけてしまったら、相手が傷付くのが、怒るのが、悲しむのが、表情や声、行動から分かってしまうから。
他人は自分を映す鏡とは良く言ったものだ。
相手に向けた感情は、必ず自分に返ってくる。
自分の言葉によって相手が泣く、悲しむ、怒る、傷付く姿に耐えられる?
私は、相当の覚悟がないと耐えられそうにない。
家族が、恋人が、友達が、知り合いが過ちを犯したとき、違うと声を上げることはできるかもしれない。
それは、相手のためを思って、自分が傷付くことを許容できるから。そして、相手がどういった反応を返すのか、予想ができるから。
だから耐えられる。
じゃあ、町中で、全く知らない人に対して、同じ事ができるだろうか。
自分の感情をぶちまけ、罵倒し、相手を打ちのめそうとしたとき、相手はどんな行動に出る?
無視される?
言葉で返される?
暴力を振るわれる?
一対一であれば、そのどれかだろう。
では、多対一だった場合は?
知らない人、それも大勢に囲まれて、攻撃的な言葉を浴びせかけられる。
普通なら、声を上げられない。
膝を地面につき、両手で耳を塞ぎ、身を小さく縮めて震える。
そんな相手を見て、何も感じないのであれば、心は狂っている。
快感を感じるようであれば、それはもう異常者だ。
しかし、SNSというフィルターを挟むと、鏡は曇ってしまうようだ。
相手がはっきりと見えないから、感情が返ってこないように感じる。
言葉を浴びせかけられている方は、塞ぎ込んで、感情を押し込めているだけだと気づかずに。
人によっては、気にもとめない強い人もいるだろう。
先輩は、そんな感じだ。
誰に何を言われようが、自分は自分。ましてや顔も知らない他人からの言葉なんて響かない。
でも、そうじゃない人もたくさんいる。そっちの方が多いと思う。
私もそうだ。
そこまで考えて、またスマートフォンに目を落とす。
非難を浴びせることに対して、非難を浴びせる。
誰かが飽きるまで、満足するまで終わらない。
怖いのは、おそらく、みんな自分が正しいと思っているということ。
あぁ、これ前に本で読んだな。
犯罪者の心理だ。
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