その土地に生まれたからというだけでその文化を吸収できるのか。

大学院の授業で、アレックス・ロス著、柿沼敏江訳 「20世紀を語る音楽 The Rest Is Noise Listening to the Twentieth Century」を読んでいる。

その授業の中では、指定された部分を読んで自分の興味を持ったことを発表する、といった課題があるのだが、体調不良のためしょっぱなから参加できない。(くやしい)というわけで特に言いたかったことをここで供養しようかと思っている。

この本の第1部第3章の83頁にこのような一節がある。

文化を吸収するのにいちばんいい方法は、その文化に生まれることである。

アレックス・ロス著、柿沼敏江訳 「20世紀を語る音楽」より

この部分は、ヤナーチェク、バルトーク、ラヴェルの3人の作曲家について書かれた部分である。

3人はそれぞれ、モラヴィアのフクヴァルディ、ハンガリーのセントミクローシュ、フランスのバスク地方のシブールに生まれた。その後彼らは都会で学び、生涯のほとんどを都市で暮らした。しかし、それにもかかわらず、彼らは都会とは違う土地の出身者だという気持ちを捨て去ることはなかったという。

そのことは、彼らの作曲活動によく現れていると言えるだろう。(民謡を収集したり、民俗的な音楽の特徴を作品に取り入れたりなど)

彼ら3人についての記述を興味深く読むとともに、一つ私の中に違和感が残った。それは、最初に引用した一節についてである。

「その文化に生まれたらその文化を吸収できる」と確信を持って言える自信が私にはなかった。

というのも、私は比較的独自の伝統芸能や民族的な文化が盛ん(だと思っている)沖縄に生まれたものの、完璧にここの文化を吸収できているかと言われるとそうではないと思ったからである。私の場合はどちらかというと都会である那覇に生まれたから特にそうなのかもしれない。

個人的には、都会で暮らすと余計に生まれた土地の文化への馴染みが薄くなるような気がするが、ヤナーチェクら3人が生まれた土地のアイデンティティを失わなかったのがすごいと感じた。とはいえ気持ちだけでアイデンティティが保てるものなのだろうか。
彼ら3人についての記述を読み込んでみると、ヤナーチェクとバルトークの2人は民謡収集のためにその土地まで赴いていた。確かにネットなど存在しない当時、この方法が一番適したやり方である。ということは、彼らは都会で暮らしつつも随時自分の地元、それらに近い地域、自身の関心のある地域に実際に身を置いていたことになる。そこがポイントなのではないかと私は考えた。

文化を吸収するためには、その土地に生まれることだけではなく自ら意識的にそこの文化に触れる、という行動が大事なのではないだろうか。

そこに生まれたとしても、何も意識を向けることなくただ漫然と暮らしていたら自分の土地が持っている文化をきちんと認識できないように思う。当たり前にあるからこそ気づけない、という感じだろうか。きっと私は自ら意識的に文化に触れる、その姿勢が足りなかったのだと思う。

世界にはさまざまな文化があるし、沖縄もとてもユニークなたくさんの文化を持っている。せっかく豊かな文化を持ったこの場所に住んでいるのだから、ひとつひとつ、目を向けていけたらいいと思っている。

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