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はじめまして、えびちゃん先生です②

この記事を読んで欲しい人

はじめまして、えびちゃん先生です①を読んだ人

□進路選択に迷っている人

□学校の先生になりたい人

□他人の人生に興味がある人     あたりかな

えびちゃん先生とはどんな人間か、を知ってもらうことが今後の投稿を読んでもらうのには大切だと思っています

ちょっと長い記事になるけど、これから色んな投稿をしていくに当たっての根拠となる部分も多いので、とりあえず上げてみたいと思います。今回は大学1年~出産直前までのお話です。

えびちゃん先生の生い立ち(中編)

□2002 大学1年  教育心理学・発達心理学等々を学び、自身の生きづらさがAC(アダルトチルドレン)に起因する可能性に気付く。他者との関わり方に深く疑問を抱くようになり、初めての彼氏の元を去る。その後空いた心のすきまを埋めたくてもがく(公開記事ではとても書けたものではないので割愛)。

□2005 6月 父の日の直前、プレゼントを購入しようとするも余りにも金欠で断念。「来年は社会人だから、来年大きいプレゼント用意すればいっか!」と考えていた。が、その直後父親が緊急入院⇒7月他界。「後でいいか」と先延ばしにすることを身をもって後悔する。父の命日から1週間ほどで教員採用試験の2次試験受験。合格。

念願叶って学校の先生に

□2006 4月 教員1年目 様々なしきたりに辟易したり泣いたりしながら過ごした1年目。無知が故にたくさんの過ちを犯した1年間でした。学級担任はせず、3年生の学年担当に。

やらかしエピソード1 新人歓迎会に、ボーダーカットソーとチノパン、5本指ソックスで参加。

前日に、学年主任から「明日は歓迎会だからね!」と言われていた私。「歓迎会ってことは、飲み会か…汚れてもいい格好で来よう!」、と完全に学生ノリで服装を決める。飲み会会場で、周りの先生がみんなスーツを着ているのに気付いて焦るも時既に遅し。その後その学校を転勤するまで「明日は飲み会だよ!服装はスーツだからね!」と念を押される羽目に。

やらかしエピソード2 体育祭練習にサンオイルを塗って参加し、ココナッツ臭いと学年主任に怒られる。

昔から、日に焼けることに頓着しなかった私ですが、遠足や体育祭練習などで外にいることが多くなり、まだらに日焼けしてしまったことが気になりました。「白く戻すより、キレイに焼いた方が楽じゃん!」と、体育祭練習にサンオイルを塗って臨みました。生徒や先生方の日焼け止めクリームの匂いに混じって漂うココナッツとパインをベースにした「南国の香り」…1日練習を終えて、肌のまだら焼けがだいぶ目立たなくなり満足していると学年主任から呼び出される。「あんた、ここはプールやビーチじゃあないんだよ!」…今考えたらとんでもない新人です。ちなみにえびちゃん先生は今年から学年主任ですが、もし自分の様な新人が自分の学年にいたら、胃に穴がボコボコに空くと思います。

やらかしエピソード3 職場の旅行で2次会に行こうとしたら「女の人は2次会に行かないものだよ」とたしなめられる。

職場の旅行で横浜中華街に行った時のこと。ランチクルーズをして、中華街を散策して、夜は中華の名店で夕飯をいただきながら、白酒(パイチュウ)を飲んですっかりいい気分になった私。2次会に行くという男性の先輩方に付いて行こうとしたら「女の人は2次会に行かないもの」とお姉様方にたしなめられる。昔から「女の子なんだから!」と言われることが大嫌いだった私は、「学校の先生ですら人間を性別で判断するのか」と絶望する。

教員2年目に人生の転機 教員の仕事に本気になる

□2007 教員2年目 初めて学級担任になる。

英語の楽しさを教えていきたい、とは思っていたものの、先生同士の人間関係の煩わしさや学級担任の仕事の煩雑さを横で見ていて、全くもって担任をしたいとは思わなくなっていました。ですが、やらない訳にはいかず、中学2年生の担任の先生になりました。昔から「どうせやるなら、同じやるなら一生懸命」をモットーにしていた私は、新学期の前日までにクラス37人全員の名前を覚え、出席簿なしで出席を取りました。全く何にも分からなかったけれど、子供たちが「最高の1年間だった」と思えるように、自分にできることには無我夢中で取り組んだ担任1年目でした。

結婚、初めての転勤

□2008 4月入籍 8月挙式 初めての彼氏と別れてしばらくしてからなんとなく付き合い始めた彼氏と、年齢とタイミングが合っていて、嫌いなところが特に見当たらないというなんとも消極的な理由で結婚。2008年度いっぱい初任校で勤務した後、県内でも5本の指に入るマンモス校へ転勤。

□2009 4月 初めての転勤 中学1年生を担任する3年間培ってきたことが全く役に立たなくて絶望(ここまで書いてみて「絶望」って何度も打ってる。絶望しがちな人間みたい)。初めての学級崩壊(これについてはまた別の機会に話すと思います)。

□2010 4月 中学1年担任 前年度の失敗を反省し、丁寧に学級経営を行う。ここから3年間この学年を受け持つことになる。特にK君を3年間受け持ったことは人生の中でも大きな意味をもっていると思う。彼とは2021年1月にやりとりしたっきり、消息不明だけど、どこかで幸せでいて欲しいと切に願っている。 

□2011 1月 研究発表会に呼ばれて全国で実践発表する。

□2011 4月 中学2年担任 

□2012 4月 中学3年担任 5教科120点だった男の子が、年度最後の実力テストで420点取れたことが思い出深い。

□2012 10月 扁桃腺摘出手術 誕生日をベッドの上で迎えるという素晴らしい30代の幕開け。

□2013 4月 中学3年担任 自分が教えてきたルールと全く違うルールで育ってきた子供たちを受け持つことの難しさを知る。

□2014 4月 中学1年担任 ここから数年中学1年生を持たされることになる。中学1年生はほぼ小学生と同じ。中学校のルールになじませたり、複数の小学校から集まった子供たちの人間関係を結ばせたりすることがとっても難しいけど、案外好きだし向いているかもしれないと自覚する。

□2015 1月 妊娠発覚 不妊気味だしレスだしで結婚してから7年授からなかった子宝に恵まれるも、気づく前に壱岐へ旅行して地元の焼酎を飲みまくってしまったことに一抹の不安を感じる。

□2015 4月 中学1年担任 出産予定が9月であると管理職に伝えてあったが担任を任される。

□2015 6月1日(月)妊婦健診のため病院を訪れたら、「切迫早産の危険性があるので、今すぐ入院してください。」と言われて即入院。きちんと後始末をして出産を迎えたかったのに、突然キャリアを断たれて絶望する(また絶望した)。

女の人生の節目、出産

ここまで順調にキャリアを重ねてきたものの、出産のため一時離職。色んな女性がいるとは思うし、夫婦関係もそれぞれだと思うけれど、私はこの育休期間は「夫に養われている」「自由がない」「穀潰し」と自分を悲観的に見ることが多かったように思う。子育てや家事に勤しむ私を、夫がもう少し労ってくれたらなと思うけれど、私も素直に「助けて」っていえなかったから仕方がないのかな。でもこの期間に経験したことは、今学年主任として生きていると思う。

続きは「はじめまして、えびちゃん先生です③」に

冒頭にも述べた通り、これから様々なことを投稿するにあたって、ライターがどんな人間か知ってもらいたいという目的で書いています。「はじめまして、えびちゃん先生です③」は、出産から現在までで多分あまり長くならない予定です。

私の教員としての願いは、世の中に幸せな子供を増やしたい、それだけです

自分が子供だった頃のことを振り返っても、子供とは狭い世界で生きているものです。核家族化が進む現代においては、子供たちに接する大人は「親」と「先生」が主たるものです。しかし全ての子供にとって「家庭」が安息の場であるとは限りません。そんな子供たちには「学校」という場所は大きな意味があると私は思っています。「親」や「家庭」のあり方から、「大人」に絶望している子供たちが、我々「教員」という「大人」との交流を通して、「自分はどのような大人になりたいか」と主体的に考え、選択していけるような判断力を身に付けさせるのが我々教員の仕事の大切なことのうちのひとつだと思います。

でも、日々子供たちと接する中で、その子たちを本当に幸せにできるのは実は「親」だけなのかも…とも思うようになりました。「子供たちの幸せ」のために、困っている親御さんの力にもなりたいと今は考えています。

今後の投稿の予定

今のところ考えているのは

□進路選択に迷う子供たちへ向けた記事

□子育てに悩んでいる人へ向けた記事

□教諭として考える、家庭での教育・学習のありかたについての記事


あたりを考えています。続けていけるといいな!

ということでとりあえず今日はここでおしまい。この記事の続きを読みたいと思っていただけたら、是非♡スキを押してくださいね。やる気が出ます!

はじめまして、えびちゃん先生③はこちら

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