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記憶の湖を辿って

確実にもう気持ちは落ち着いたはずなのに
心に穴があいたような寂しさが消えないのは
自分の生活に深くあの人が根付いていた
当たり前の日常が変わってしまったから。

当たり前に日々会話を交わし
相手が何をしてどう過ごしているのか
常に最新の情報が入ってくること。
それは近くにいるからこその特権で
距離が離れてしまえばその特権はなくなる。

直接顔を見ることも
相手の情報が入ってくることもない。
自分の中でのその人は
最後に会った時のその人で止まってしまう。
更新されないことが寂しくて悲しい。
あんなに側にいたはずなのに。


だからここ最近はずっと
SNSに縋ってしまう自分がいた。
なんとか繋がりを保っていたかった。
今のあの人を知りたかった。

でももう、誰かのストーリーに写る
あの人を見ても感情が揺れない。
あぁ、元気そうで何よりくらいは思えども
特段何も感じない、”無”に近い感覚。

そして私自身もSNSを更新しなくなった。
恥ずかしい話だけれど
元々更新しないタイプなのに
ここ最近やたらと頑張って色々載せていたのは
あの人の視界に自分を入れたかったから。
必死にあの人からの反応を待つことが
自分らしくなくて嫌になって、更新は止まった。



少しずつ着実に自分の気持ちが冷めていく。
心にあいてしまった寂しさの穴も
数mmずつだとしてもふさがっていく。
ほんの少し、今度はその事実に寂しさを感じる。

あの人がいなくても大丈夫になっていく私。
あんなに大好きだったはずなのに
薄情なものだななんて思ったりもする。
薄まっていってくれないと
一生苦しむ羽目になってしまうのにね。


そんな風に忘れていくことが
寂しいと感じた時にいつも思い出す
大好きな小説の書き始めがある。

”人は、一度巡り合った人と
二度と別れることはできない。”
(大崎善生-パイロットフィッシュ)

人間の体のどこかに
ありとあらゆる記憶を沈めておく
巨大な湖のようなものがきっとある。
忘れたと思っていた記憶が不意に
その湖底から浮かびあがることがある。

その記憶はどんなに掬っても
手に取ることはできないけれど
ゆらゆらと不確かに
それでいて確実に自分の中に存在し
その記憶から逃れることはできない。



日々薄れていくあの人への気持ちも
あの人との思い出も全て
きっと湖にしっかり沈殿している。
だから無かったことにはならない。

楽しかった幸せな沢山の思い出も
もちろん苦しさも辛さも悲しさも。
全部全部、ちゃんと自分の中にある。
だから寂しくない。薄情なんかでもない。

同じようにあの人の中にも
きっと私の存在は残り続ける。
そう思うとなんだか少し心が落ち着く。


ゆらゆらと不確かに
今はまだその記憶を掬おうとしたりしながら
気持ちを立て直していくくらいが丁度良い。









































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