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もっと甘えさせて欲しかった

私は人に甘えるのが苦手だ。

母親は私の事を愛している。
それも異常なまでに。
だけど、その愛はとてもとても歪んでいるものだと思う。

夫婦仲についてはどうして今でも続いているのだろうと子供から見ても思う。

仕事以外自分のことを自分でできない父親。
その世話を働きながらする母親。
嫌なら嫌と言えばいいのに、言えない母親はその怒りを物に当たるのは常だった。
幼少期からお皿を割る音、扉を強く占める音はよく耳にしていたし
部屋の片隅で小さくなっている母親の姿をよく見ていた。

きっと母親もそんな父親の世話と私の世話をする事に疲れていたのだろう。

「ベタベタされるのは嫌い」「触れると私を汚してしまいそう」という理由で抱かれた記憶はほぼ無いし、私から抱きついたら拒絶された事もある。

迷子になって心配したという理由で、幼稚園で書いた感謝の手紙を渡した時「忙しい。今渡さないで」という理由で、宿題で分からない問題があって泣いている私を落ち着かせると理由で頬を打たれたことがある。
他にも沢山叩かれたが理由は覚えていない。

幼稚園に行くのを嫌がったら、「休むならそれ相応のことをしなさい」と1部屋分の荷物を全て1階投げ下ろし3階まで運ばされた事もある。

ご飯の時に動き回るから紐で椅子に括られたこともある。

朝起きるの苦手だった私を起こすのが疲れたという理由で寝ぼけている私に包丁を持たせて「殺して」と言われたこともある。

それでも母親は私の事を愛している。
母親にとって私は母親の全てで、人生なのである。

それが痛いほど伝わってくるから、愛していると母親から言われるから苦しいのだ。

私の事が嫌いだから殴ってくれたほうがまだ納得が行く。

母親は我慢したことや、頑張ったことに関してはとても喜び褒めてくれた。

私は母親に殴られたくなくて、喜び、褒めて欲しくて知らない間に母親の顔色を伺いながら生活していたのだろう。

知らない間に他人の顔色を伺いながら、自分よりも相手が喜ぶ行動をとってしまうし、相手の不機嫌は全部自分のせいだと思ってしまう。
それが生きづらさ変わってしまう。

ねえお母さん。
もっと抱きしめて欲しかった。
言葉以外で愛情を示して欲しかった。
きっとお母さんも苦しかったのだろうけど、私も沢山苦しかったんだよ。

お母さんの愛情に答えられない子に育ってしまってごめんなさい。

親不孝な子供でごめんなさい。

ごめんなさい。

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