見出し画像

詩 「SEIYU」


2024年6月某日
近所のSEIYUにて

商品をカゴいっぱいに入れ
私はレジカウンターへと進んだ

もちろんマイバスケット持参である

これはエコのためにそうするのではなく
会計後に自分の袋詰めセンスが問われる
例のあの難儀な袋詰めが面倒だから
私はマイバスケット派なのである

怠惰の結果がエコになり
怠け者が地球を救えてしまうから
地球人はやめられない

それはそうと
マイバスケット派には
各スーパーにお気に入りの店員がいる

なぜなら
会計係のその人が
店のカゴからマイバスケットへの
商品の移動を担当するという
重要な仕事を兼任するからである

この商品移動の手腕には
はっきり目に見える種類の
明確な「才能」がある

商品がマイバスケットに移る
その収まりの美しさを生み出す才能だ

この仕事には
豊かで柔軟な発想力が求められるし
その作業効率、ピッタリ感、などは
天性の才がなければ成し遂げられない

残酷なようで心苦しいが
才能がない人は何年やっても下手だし
才能がある人は最初から上手い
実に才能至上主義的な現場である

残念ながら私にはこの才能が皆無なので
天才カゴ移し職人のお店員さまのことを
心から尊敬しているし推している

余談が長くなってしまったが
ここで冒頭の話に戻るとしよう

この日のSEIYUで
私が並んだレジ係は「オッティ」だ

言うまでもなく
オッティは天才である
だからこそ私はここに並んだのだ

オッティはおそらく
東南アジア系の留学生で
二十代前半くらいの女性店員である

この日の私のカゴは
水やビールや魚や肉や野菜や卵などなど
あらゆるジャンルが混在している
非常に難易度が高いカゴだった
レジカウンターへ向かう頃には
雑にこんもりしていたほどだ

私は不安と期待が入り混じった心境で
さあオッティよ、これが私の挑戦状だ
どうにかできるもんならしてみなさい
いやしてくださいお願いします、な顔で
レジカウンターにカゴを置いた

そしてオッティは
私の予想を裏切る方法で
それらの商品をマイバスケットに
次々に収めていきながら
しかもよく観察すると
繊細な商品が傷つかないように
重ねてもいるのだった

途中で何度か
オッティ、それ大丈夫?
そこのソレを横に?それは縦に?
その小さいソレはそんな隙間に!
オッティ?オッティ!オッティ?
などと内心ツッコミの嵐だったが
オッティは私の予想など遥かに超えて
すべてをお見通しなのだった

オッティなら
テトリスでピンチの時に
長い棒が次々に落ちてきても
たぶんなんとかなるに違いない
という心強さと安心感さえ覚える
頼れるお父さん的存在のお店員なのだ

そんなこんなで
こんもりしていたカゴも
びっくりするほど平らになり
店のカゴで雑然としていた商品は
私のカゴに収まるために生まれてきた
と言わんばかりのフィット感を誇示し
オッティがこの国とこのSEIYUに
定住してくれるよう祈りながら
私はSEIYUを後にしたのであった



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?