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詩 「これは作品である」

 

 
 これは、これだが
「これ」は、作品である


 これと、「これ」は
 似ているけれど少しちがう

 
 私は普段、日常の中で
 これを気にかけることはないが
「これ」が作品となって
 私の前に現れるとき
 これの知らなかった顔に
「これ」がこれなのかと驚く


 作品をつくる行為とは
 「 」や〈 〉など
 枠ならなんでもいいけれど
 どこかから何かを掴み取り
 それを枠で囲むことである
 
 
 言い換えれば、創作行為とは
 何かを選択し構成することである
 
 
 たとえば
 私がある日
 あ、というものを
 作品にしたいと思ったとして
 そのとき私は、あ、を選び
「あ」と言わねばならない

 
 絵画でも写真でも
 映画でも小説でも
 音楽でも詩でも建築でも
 とにかくどんなものでも
 作品を完成させるのなら
 ここからここまでが作品であると
 作者が決定し、枠を与えるのである

 
 これが
 何かを作品化するための
 ただひとつのルールであり
 他にルールやマナーは何もない
 法に触れず他人を侵害しなければ
 本当に何をやってもいいのだ


 この決定において
 作者は絶対的に正しい
 作者が作品だと表明したものは
 誰がなんと言おうと作品である

 
 こんなものは詩ではないとか
 こんなものは絵ではないとか
 こんなものは音楽ではないとか
 こんなものは文学ではないだとか
 そんな批判は誰にもできないのである
 それは既に作品だからである
 
 
 もしそうしたければ
 創作内容を型にはめなくてもいい
 詩っぽい詩を書く必要はないし
 音楽っぽいものを演奏する必要もない
 文学っぽく文章を構成しなくてもいい
 上手な絵を描こうとしなくてもいい
 誰かを感動させようとしなくてもいい
 流行や伝統や権威に媚びなくてもいい
 
 
 私やあなたのなかに
 本当に作りたいものがあるなら
 作りたいように作るべきである
 

 作りたいものを作り
 これが私の作品ですと
 心で思えばいいだけである
 

 作品は
 作者の強い意志を
 いつも求めているのだ
 

 見せたくないのなら
 他人に見せなくてもいい
 つくるということは
 ただそれだけで
 美しいのだ
 

 それは、たとえば
 キッチンで口ずさむ鼻歌のように
 3歳未満の子供が描く絵のように
 自分だけの密かな空想のように
 庭に咲く花に水をやるように
 記念に写真を撮るように
 人の顔が笑うように
 無益で尊い行為である

 
 創作の原点は
 純粋な意欲である一方
 何かを作品化しようとする目的は
 それ自体としてとても面白く
 完成させようとする困難に
 挑戦したくなるものでもある
 
 
 完成した作品を
 他人に見せるときには
 創作とはまったく関係のない
 余計な神経をつかうことになる
 これには一種の勇気が必要である
 それは鑑賞者が1人でも100人でも
 作品を発表するのには勇気がいる
 

 私の作った「これ」を
 あの人は気に入ってくれるだろうか
 センスがないと思われないだろうか
 ヘタクソだと思われないだろうか
 こんなに変なものを作ってしまって
 変な人だと軽蔑されるかもしれない
 などなど、想像し始めると不安になり
 作者の作品への強い意志は
 揺らぐこともしばしばである
 
 
 しかし
 よくよく考えてみると
 他人を楽しませようとか
 他人に気に入ってもらおうとか
 結果的にそうなったら嬉しいけれど
 私が何を想像しようと結局のところ
 私には他人の感想が予想できない
 私には他人の心がわからないのだ
 

 そもそも私は
 他人のために創作するわけではないし
 創作によって自分の人生や生活を
 より良く豊かにしたいわけでもない
 ただやっているだけであるし
 ただやってしまうものである

 
 だから私は
 私が作るものを
 私に納得してもらえるように
 ああでもないこうでもないと
 作るしかないのである
 それが私のやりたいことである

 
 つまり
 自己満足できるようになることが
 私の夢であり目標である

 
 私の創作活動とは
 私というひとりの人間が
 純粋であろうとする試みであり
 自分を忘れるための祈りであり
 膨大な時間を捧げた遊びであり
 ただ単に日々の営みでもあるのだ 

 
 そして
 これもまた
 ここまでが
 作品である


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