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WWⅡ直後の世界ユダヤ人人口統計について/American Jewish Year Book 1946-47年版に見る1946年のユダヤ人の世界人口

えー……、全翻訳する勢いで始めたはずの、W.ベンツによる『ジェノサイドの規模』の翻訳をちょっとやっただけで投げ出して随分経ちますが、諸々の理由で頓挫しています(理由を書くと言い訳にしかならないので書きません(⌒-⌒; ))。

さて、このホロコースト犠牲者数に関する議論の一つに、アルマナック・デマがあります。

簡単にこのデマの内容を述べると、

世界のユダヤ人人口を詳しく掲載している年鑑として有名なワールド・アルマナックにおいて、1933年には世界のユダヤ人人口が15,315,359人で、1948年には15,753,638人となっていて、第二次世界大戦中にナチスドイツによって600万人もユダヤ人が殺されたと言われているのに、逆に1933年に比べて1948年には438,279人も増えているじゃないか! おかしいじゃないか!とするものです。

で、1949年には11,266,600人と、いきなり約450万人も減っているのは、辻褄が合わないから慌てて数字を捏造したんだろ!と否定派は主張しているらしいです。

しかしながら、上記で示した参照先のHolocaust Controversiesブログサイトの記事の解説では、「1948年までのAJCの統計は、1939年の推定値であると明記されている」となっています。

この表は1948年のアルマナックにあるユダヤ人世界人口の表なのですが、表の上にあるテキストを一部抜き出すと、左端が少し欠けているのですがそれをわかる範囲で補うと、確かにこう書かれています。

The American Jewish Committee, which gives the figures in the table below, estimated the Jewish population of the world, in 1939 as follows: Europe, 8.939,608; Africa, 598,339; Asia, 839,809; …; the Americas, 5,283,487; world total-15,688,259.

下表の数字を出しているアメリカ・ユダヤ人委員会は、1939年の世界のユダヤ人人口を次のように推定している: ヨーロッパ:8,939,608人、アフリカ:598,339人、アジア:839,809人、...、アメリカ大陸:5,283,487人、世界合計:15,688,259人。

すなわち、1948年のユダヤ人世界人口は、1939年の推計値が示されているだけだったのです。ということは、1939年〜1948年までは同じ値が表示されていたのだろうと類推されます。おそらく第二次世界大戦の混乱で詳細がわからなかったのではないか、と。

しかし、ちょっと注意してよく見て欲しいのですが、前述の否定派の主張では1948年の世界ユダヤ人人口は15,688,259人ではなく、15,753,638人と、数字が違っているのです。これは一体どういうことなのでしょう? 否定派の使っている表を以下に示します。

1933年の世界ユダヤ人人口はちょっと印字が掠れていて見にくいですが、合っているのでしょう。しかし、確かに1948年の値はHolocaust Controversiesブログサイトの記事にあった表の値とは異なっています。

実はこれ、表をよく比較して見てもらいたいのですが、アルマナックに掲載されていた世界ユダヤ人人口が示されている表には二種類あったのです。一つは、ユダヤ人人口を地域別一覧表と共に詳細に示している表であり、もう一つはキリスト教などの宗教別人口の中の一つとして示している表なのです。で、詳しく調べたわけではないのですが、1926年までのワールド・アルマナックを電子化して公開しているこちらによると、どうやら年によっては宗教別人口一覧の表しかない年もあったりするのです。例えば1926年版では以下の表の中にだけ世界ユダヤ人人口が記載されています。

重要なことは、この宗教別一覧表の場合、人口値の出典がない場合があるのです。例えば、上の1926年の表は出典はH.S.Linfield氏によるものだとの記載がありますが、1933年と1948年の宗教別人口一覧表には出典が明示されていません。一方で、ユダヤ人人口だけを地域別一覧表としている表では、1948年の表にあるアメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)のように、データの出典が明示されていたようです。

以上のような内容を、1939年から1947年まで、実際にワールド・アルマナックを参照してもっと詳しく調べて見たかったのですが、検索して調べても、他の年度のアルマナックのユダヤ人人口表はなかなか見つかりません。じゃぁワールド・アルマナック自体が図書館にないのかなぁ?と思って、図書館蔵書検索をして見たら日本にもあるにはあるようなのですが、全国各地の大学の図書館に散在しているようで、これではちょっと…。

うーむと考えあぐねて、適当にググっていたら、偶然、1946年のAJCが発行しているThe American Jewish Year Book(アメリカユダヤ年鑑) の世界ユダヤ人人口データ部分だけを抜粋したファイルがあるのを見つけたのです。AJCそれ自体を調べるという発想がなかったもので。で、ちょっと読んでみて吃驚、アルマナックは1948年まで1939年の推計値を使っていたにもかかわらず、AJCは1946年のユダヤ人人口値をちゃんと持っていたのです。戦後すぐだから調べられなかったんじゃないの?と思っていたのですが、そうではなかったのです。

冒頭を読んだだけで分かりますが、否定派の論理「アルマナックでは戦後はユダヤ人人口は減ってなかった!」はこれでお終いです。AJCはアルマナックにデータを提供していた組織であり、その組織の発行している年鑑にはちゃんと1946年は人口が減ってることが人口値を含めて書かれていたのです。単にそれをアルマナックは理由は不明であるものの、使わなかったのです。

ちなみにじゃぁ、戦争終結年である1945年はというと、The American Jewish Year Bookの45−46年版にこう書かれています。

ヨーロッパに生存しているユダヤ人に関する正確な統計はまだない。戦前、ヨーロッパ大陸には約950万人のユダヤ人がいた。ナチスのガス室や強制収容所、病気や飢餓で亡くなった人の数はさまざまだが、その約半数がナチズムの犠牲者であるというのが一致した見解のようだ。アメリカ・ユダヤ人合同配給委員会やその他の組織による最新の推計によると、生存者のうち、全体のほぼ4分の3に当たる約300万人がソ連におり、その中にはポーランドからのユダヤ人約25万人が含まれている。50万人が中立国で非侵略国であるイギリス、アイルランド、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、トルコにおり、ハンガリーとルーマニアにそれぞれ約30万人、フランスに17万人がいる。残りは戦争で荒廃したヨーロッパの他の地域に散らばっている。戦前の『AMERICAN JEWISH YEAR BOOK』では恒例であったヨーロッパ諸国のユダヤ人に関する統計表は、推定値が非常に暫定的なものであるため、本書には掲載されていない。しかし、1939年以前の国勢調査の数字や推計値を参照したい人の便宜のために、例年通り、世界の国や重要都市の戦前のユダヤ人人口統計の要約表が2つ掲載されている。

https://www.ajcarchives.org/AJC_DATA/Files/1945_1946_13_Statistics.pdf

というわけで、戦後のヨーロッパのユダヤ人人口が統計データとして判明したのは1946年だった(以下註参照)ということなのです。ただし、この統計データは、完全に正確なものとして扱うことはできず、1946年に米国ユダヤ人配給委員会が把握して取りまとめていた人口値でしかないことには留意が必要です。そうでなければ、ベンツの『ジェノサイドの規模』のような研究があり得たわけがありません。


註:1946年に「ユダヤ人人口が統計データとして判明した」とここで書いているのは、AJCがそのデータの出典としているアメリカユダヤ人配給委員会(JDC)の統計で判明した、という意味です。ニュルンベルク裁判には「ヨーロッパユダヤ人とパレスチナの問題に関する英米調査委員会」が提出したヨーロッパ・ユダヤ人の人口調査結果が1945年11月、起訴状に含まれています。おそらくこれが最も早い戦後のヨーロッパ・ユダヤ人の人口統計調査結果だと思われます。←と書きましたが、これよりさらに前の調査結果もありました。ユダヤ人問題研究所が1945年6月に出していました。自分で翻訳した記事に書いてあったのですが、すっかり失念していました。

英米調査委員会 - 付録III ヨーロッパの推定ユダヤ人人口(日本語訳はこの記事の末尾に記載)
報告書「枢軸国支配下のユダヤ人犠牲者に関する統計」世界ユダヤ人会議ユダヤ問題研究所(日本語訳


では今回は、その見つけた文献の翻訳紹介です。翻訳中の強調は私によるものです。なお、翻訳文中にある表の各値については、原著の計算結果が間違っている箇所が何箇所かあります。私の入力ミスがない限り、表中で計算で求められる合計値や比率などの値は全て自動計算による計算結果ですので、本翻訳の値の方が正しいことになります。1947年当時はパソコンも電卓もない時代ですので、計算間違いがあるのはやむを得なかったのでしょう。

当然ですが、ホロコースト否定派は、戦後のアルマナックにあるユダヤ人人口がたとえ1948年までは1939年の推計値を使っていたことを認め、AJCが1946年の値として550万人以上の損失を調査結果としていたことを知ったとしても、「ふーん、ならちゃんとシナリオ通り人口値を捏造して減らしてたんだね」と反応するでしょう。そして、以下の記事にあるお決まりの画像を示して「とにかくずっと前から600万人は決まっていたのだから(・∀・)キリッ」などと主張するのだと思います。

しかし私はこの否定論の論理↑がまるで理解できません。仮にシオニストユダヤ人がイスラエル建国目的でずっと前からシナリオとして「600万人」のユダヤ人絶滅の捏造を企てていたとて、何故わざわざ、それをニューヨーク・タイムズ紙上の諸々の記事中でいちいち示すのでしょうか? 本当に私には否定派の脳内が理解できません。

https://ajcarchives.org/AJC_DATA/Files/1946_1947_13_Statistics.pdf

▼翻訳開始▼

ユダヤ人統計

A.ユダヤ人人口

概要

世界のユダヤ人人口の推計は、米国ユダヤ人共同配給委員会がまとめたもの(米国とカナダを除く)で、おそらく現在入手可能な最も信頼できるものであろう[1]。この数字によると、世界のユダヤ人総人口は、ナチスによってヨーロッパのユダヤ人550万人以上が絶滅された結果、1939年の約1,660万人から1946年には約1,100万人へと、3分の1が減少している

ヨーロッパでは、戦前のユダヤ人総人口約974万人のうち、推定364万2000人しか残っていない。現在の世界のユダヤ人人口の大部分、約517万6千人は米国とカナダに住んでいる。こうして、ヨーロッパがユダヤ人人口の最大の中心地であった1939年の順序が逆転した。戦前の推定人口が771,000人であったのに対し、現在のアジアのユダヤ人人口は約892,000人である。アフリカとラテンアメリカのユダヤ人人口は、1939年以降わずかに増加している。現在アフリカにいると推定されるユダヤ人の数は64万人で、1939年のユダヤ人人口は61万人だった。中南米のユダヤ人人口は578,000人と推定され、1939年の総人口524,000人と比較している。オーストラリアのユダヤ人総人口は、1939年の33,000人から1946年には推定35,000人に増加した。(表1)。

西半球

西半球には約575万6千人のユダヤ人がおり、そのうち約5百万人が米国に居住している[2]。カナダ・ユダヤ人会議の推計によれば、1945年当時のカナダのユダヤ人総数は17万6500人であった。


[1] このセクションで使用されている共同配給委員会の推定値の発効日は1946年5月である。
[2] 1937年の宗教団体センサスに関連して米国国勢調査局特別調査官H.S.リンフィールド博士が行った推計によると、その年の米国のユダヤ人人口は477万人であった。後の推定値がない場合、この表の数字は現在のユダヤ人人口の一般的に受け入れられている近似値である。

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ラテンアメリカでは、35万人のユダヤ人を擁するアルゼンチンが最大のコミュニティである。ブラジルのユダヤ人人口は10万人でこれに続く。チリとウルグアイのユダヤ人人口はそれぞれ25,000人と37,000人。メキシコは16,000人、キューバは10,000人強である。ラテンアメリカ全域に小規模のユダヤ人社会が存在する。(表2)。

スペースに限りがあることと、政府が現在1947年の宗教団体センサスの計画を立てているためと、ユダヤ教信徒国勢調査がその一部であるため、アメリカ・ユダヤ年鑑(the American Jewish Year Book)の本巻では、アメリカ合衆国のユダヤ人人口に関する詳細な統計表が省略されている。ただし、2つの要約表が含まれている。(表3と表4)。さらに詳しい情報をお望みの方は、ユダヤ統計局長のH・S・リンフィールド博士による序文とともに、より詳細な表が掲載されている第47巻をご覧いただきたい。

ヨーロッパ

ヨーロッパに残るユダヤ人人口は常に流動的で、西への移住や送還が毎日のように起こっている。ここに掲載した数字は、共同配給委員会がヨーロッパの情報源から受け取った報告に基づく推定値である。1939年から戦争終結までのユダヤ人人口の損失は581万4000人と推定される。この数字は、ドイツの「ロシア人居住区」に生存しているユダヤ人の数が未確定であるため、いくらか下がるかもしれない。1939年には974万人であったユダヤ人は、現在ヨーロッパ全体で約364万2000人である。

ソビエト連邦以外のユダヤ人は160万9000人と推定される。イギリスのユダヤ人人口は35万人で、ソ連を除くヨーロッパのどの国よりも多い。大陸では、西ヨーロッパに約33万人のユダヤ人がおり、その内訳はフランスに約18万人、低地諸国に約7万6千人、スイスに約3万5千人、イタリアに約3万人(避難民を除く)、スカンジナビア諸国に約2万8千人、スペインとポルトガルに約7500人である。東欧のチェコスロバキア、ポーランド、ソ連には約220万8000人のユダヤ人がおり、そのうち200万人以上がソ連領内に住んでいる。南ヨーロッパのハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビア、ブルガリア、ギリシャ、トルコのユダヤ人人口は約65万人である。


ユダヤ人統計          601

1946年の初めには、ドイツのアメリカ、イギリス、フランス地区、オーストリア全土、イタリアに約10万6千人の避難民・難民ユダヤ人が住んでいた。(表5)。

アジア及びオーストラリア

アジア大陸のユダヤ人人口の3分の2はパレスチナに住んでいる。そのため、1945年末の時点で、イシューブ(註:イスラエル建国前にパレスチナにあったユダヤ人共同体(1880年頃からそう呼ばれた))はユダヤ人総人口約90万人のうち約60万人を数えた。残りの3分の1のうち、ユダヤ人の主な居住地は次の通りである: イラク(90,000人)、イラン(50,000人)、イエメン(45,000人)、インド(30,000人)、中国(25,000人)である。オーストラリアとニュージーランドには約35,000人のユダヤ人がいる。
ニュージーランドにいる。(表6)。

パレスチナ

パレスチナがトルコの支配下にあったとき、人口調査が行われたが、その結果は現代の国勢調査のように整理されていなかった。1839年には12,000人、1880年には35,000人、1900年には70,000人、第一次世界大戦勃発時には約85,000人のユダヤ人がパレスチナにいたと推定されている。最初の国勢調査は1922年10月に行われ、公表された結果はパレスチナの人口の全体像を示している。1931年11月、2回目の国勢調査が行われた。この国勢調査の概要は、『米国ユダヤ人年鑑』第35巻、272-278ページに記載されている。

1922年と1931年の国勢調査によるパレスチナの人口と、それ以降に政府が行った定住人口の推計を以下に示す(表7)。1931年の国勢調査以来、人口の推計は、国勢調査の数字に、記録された入国者数の出国者数に対する超過分と、自然増加分(出生者数の死亡者数に対する超過分)を加えて作成されている。しかし、このような推計では、「不法」または記録されていない移民の一部が考慮されない。

パレスチナ政府は、1945年9月30日現在のユダヤ人人口を547,346人と推定している。同じ日付のユダヤ人機関による見積もりは入手できない。しかし、1945年末のユダヤ人人口については、記録されていない移民を考慮したユダヤ人庁の推計がある。

ユダヤ人庁統計局によれば、1945年末のパレスチナにおけるユダヤ人の数は592,000人であった。


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この推計値は、上記の情報源と「不法」移民の推計値から導き出されたものである。このうち、174,600人は1931年の国勢調査の数字(29.5%)、313,400人は純移民(52.8%)、104,400人は自然増加(17.7%)である。

パレスチナの総人口に占めるユダヤ人の割合は、1922年には11.1%、1931年には16.9%、1935年には27.2%、1939年には31%、1945年末には32%であった。

ユダヤ人庁によると、ユダヤ人の男女比はほぼ均等で、前者が50.8%、後者が49.2%である。20歳未満が36%強、20~49歳が半数の50.9%、50歳以上が残りの13%である。人口の年齢構成の詳細は表8を参照されたい。

ユダヤ人社会の4分の3以上がアシュケナージ系に属している。残りはセファルディム、イエメン人、東洋人である(セファルディム9.6%、イエメン人4.9%)。

ユダヤ人人口の4分の3(439,000人)は都市または都市居住区に住み、4分の1(153,000人)は農村部に住んでいる。

都市と都市居住地の数は27、農村居住地の数は266であり、パレスチナにおけるユダヤ人居住地の総数は293である。詳細は表9に示す。

アフリカ

アフリカのユダヤ人人口は、1939年の推定61万人から1945年には約64万人に増加した。ユダヤ人人口の大半は地中海に接する北部諸国に居住している。フランス領モロッコが最大のユダヤ人社会で、1939年の161,000人に比べ、1945年には175,000人となった。

次に多いのはアルジェリアで、1945年には12万人のユダヤ人がいたが、これは1939年以来1万人の増加である。エジプトのユダヤ人人口はアフリカ北部で3番目(75,000人)、チュニジアは4番目(66,000人)である。

この2カ国の人口は、1945年と1939年で同じである。大陸の他の地域で大規模なユダヤ人社会は、98,000人を数える南アフリカ連邦と、約50,000人を数えるアビシニアのファラシャ共同体である。(表10)。


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<以下省略:以降はユダヤ人移民について詳細に書かれている。もし、ホロコースト否定派が「ユダヤ人はアメリカに移住していたのだ!」とか「パレスチナに移住させられていたのだ!」などと主張するなら、一読して調べてみるのもいいかとは思われる>

▲翻訳終了▲

おまけ:ニュルンベルク裁判の起訴状に含まれたユダヤ人損失数の推定表(公式報告自体は1946年である)

註:この表は一部、ネットへ公表する際の入力ミスがあり、また、AJCの表と同様、明らかな計算ミスが数箇所含まれていた。以下表は入力ミスは訂正、計算ミスは生じないように合計計算は全て自動計算による。従って、ニュルンベルク裁判の起訴状にあったというヨーロッパの戦前戦後のユダヤ人損失数「5,721,800人」という数字は、以下表の入力が正しい限り、「5,732,600人」と修正されなければならない。

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