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自分のための「丁寧なくらし」とは

我が家は「野生のヴィレバン」と呼ばれるほど物にあふれていて、ぶっちゃけめちゃめちゃ汚い。

なぜかガチャガチャの筐体が当たり前のようにあるし(展示をするときのグッズ用備品、友達が勝手に回して帰っていく)
綾野剛の祭壇の前にピアスが死ぬほど積んであるし(酔って外すときについおいてしまう)
食器を洗うのが好きじゃなさすぎてシンクにずっと積んであるし(たまに洗うけど洗ってそのまま水切りに置いてある)
いわゆる世間一般でいう「丁寧なくらし」にはほど遠い生活を営んでいるわけである。
ちなみに換気扇が全然仕事をしないせいで、来訪者からは「お前の家パチ屋みたいな匂いだな」とか「ソファベッドがでかすぎて単なるラブホ」とか言われたい放題だ。

でも「丁寧なくらし」ってそもそも何だろう?
朝から白湯飲んで、ドリップコーヒーを淹れること?
部屋がすっきりしていて生活感がないこと?
毎食栄養バランスを考えた料理を自炊すること?

色々考えた結果、私にとっての「丁寧なくらし」は「自分の時間をコントロールして楽しめること」だとようやく気付いた。
部屋をきれいにすることはもちろんだけど、義務的にやるのは全然丁寧じゃない。
「こうしなきゃ!」で動くのはすごくカロリーの使う仕事にしかならなくて、全然楽しくならない。

たとえば、頑張って毎日自炊じゃなくて、ふと炊き込みご飯が食べたいから冷凍庫でねむっていた鮭や油揚げを使って工夫してつくってみるとか。
寝る前にタイマー代わりにお香を焚いてみて、いい香りに包まれてうとうとするとか。
お風呂あがりに冷やしてた梨をむいて贅沢食べするとか。
バスソルトを入れた湯船で気になっていた雑誌を読みながらぼーっとするとか。

他人軸じゃなくて、自分軸で周りを考えて、その上でひとりを楽しめることが丁寧につながるんだと思う。
自分を大切にする=丁寧なのだと、この一年も1/4になって実感できるようになってきた。

思い返してみれば、今年は、もっと言えば去年から自分を大切にすることをどこかに置き去りにしてきてしまった。
どう見られているかばっかり考えて、最終的に自分を傷つけるようにお酒におぼれたり、悲しみに飲み込まれしまってばっかりだった。
いかにお金を使わないようにするかとか、安く飲めるかばっかりを考えすぎていたような気がする。
だから今年は大好きなファッションもコスメも全く買っていなかったし、食事(飲み代)以外は無駄遣いらしい無駄遣いをしていなかった。
※正確には食事はもう気力がなくて外注するしかなかった

我慢は大切だ。
生きていくためには、絶対的にお金が必要だから。
でも、心が死んでしまったら活力すらなくなってしまう。
心をちょっとでも豊かに耕すことが、本当に必要なことだった。

世間一般の「丁寧なくらし」とは違うかもしれない。
今日もソファの上は洗濯でぐちゃぐちゃだし、相変わらずヤニ臭いし、紙皿と割り箸ばっか使っているし、鞄の中も整理されてないし、時々食べきれない量の料理を持て余したりもしている。
掃除機をかけるのは大っ嫌いなのも変わらないし、ドライヤーかけるのをさぼる日だって多い。

でもね、入浴剤を入れて湯船につかりながらTVerで気になってた番組を観て、その間に洗濯物を回しとして、お風呂から出たらちょっとだけしっかり顔パックして、リンツのチョコを一粒選んで食べて、洗濯物干したら一服して、アロマキャンドルを焚きながらちょっとだけ片づけできたら今日は満点なんだ。
もっと言うなら、その中のどれか一個できるだけで花丸の丁寧だ。
欲をかくならお酒も飲みたいけど、最近は酒鬱になりがちでコントロールできないから平日は我慢する。

私なりの丁寧を重ねて、毎日を重ねていく。
それが今できる精一杯の生きていくということだ。


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森田玲花
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