「しあわせになろう」という呪い
言おうか言わないか悩んだ時、勇気を出して伝えると痛み分けとして呪いにかけられてきた。
大学時代の彼氏に別れを告げた時は「君は君のことしか愛していなかったし、自分自身しか愛せないんだと思うよ」と、静かに泣きながら言われ。
一番好きだった彼氏にサークルを優先されるのはしんどいと伝えた時は「君とは惰性で付き合ってた」と言われ。
たまたま飲みに行ったマッチングアプリの男には「そんなに難しいことを考えずに、もっと普通にしあわせになればいいのに」と言われ。
そういった言葉は遅毒性なので、年を重ねるごとにじくじくと痛む。普段は特段気にしていなくても、ふとした瞬間にズキッと。
そうした痛みに立ち向かうには、普段の疲労があまりにも蓄積しすぎていて、結局布団の中でうずくまることかバカみたいに酒を飲むしかできない。バカみたいに飲むと楽しくなりすぎて失敗から飲まないけど。もう失敗しすぎたし。
月並みな言葉だけど、私だってしあわせになりたい。
でも、しあわせな自分がイマイチピンとこない。
その上、世間一般でいうしあわせが自分と直結しないから、欠陥品みたいに思えてしまって勝手に余分な悲しさを引き受けている。
私は制作会社で働いている。業界として考えるなら、結構ホワイトだしそこまで激務でもないと思う。それでも8:30〜20:30、もしくは21:00頃まで働いているし、特急案件がある時は終電や徹夜だってある。しんどいことだらけな会社だけど、それでも辞めていないのは仕事が好きだからだ。
時折実家へ帰ると、母は「好きなことをするべきだけど、体を壊したら元も子もないよ」と真顔で言う。社会人になって一人暮らしを始めてから、連絡をすれば体調不良になっている娘を見たらそりゃそうなる。でも、私が仕事を好きだから、母は決して「仕事を辞めてくれ」とは言わない。
でも、「子どものことを考えたら、ねぇ」と同じ顔でチョコレートを食べながら言葉を続ける。
今年で26。東京だとしてもいわゆる田舎の方にあたる地元では、気づけば結婚している人の方が多くなってきた。
子どもがいる人の方が圧倒的に多いし、離婚・再婚も当たり前。近所に住んでいた同級生も、いつの間にか結婚・出産して、今は大阪だそうだ。
周囲の子どもたちは地元に住み、孫を産み、元気に暮らしている。うちの娘は仕事ばかりで結婚はおろか、恋人も怪しい。心配にもなるだろう。
わかっているけど、譲れないし与えられないものにYESと言うこともできない。
私は多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)だ。詳しくは調べてもらえると嬉しいが、排卵不全の一種で不妊の原因でよく上がるやつらしい。
重度がどれくらいかはイマイチピンときていないが、私の場合、黄体形成ホルモン(LH)>卵胞刺激ホルモン(FSH)であり、LHの値が平均閉経時の1.5倍ほどあるとの診断だった。
子どもが欲しいと思ってないにせよ、検査結果を見てさすがにショックを隠せなかった。それに追い打ちをかけるように、先生は「女の人はね、仕事を頑張らなくていいの。普通に頑張りすぎなくていいの。規則正しく生活しなさい」と、さも当たり前のように言った。
「いや、仕事は好きなので辞める気もありません。頑張るのも辞めません」と震える声で言うと、こいつはわかっていないなと首を振りながら「男のようにやるもんじゃないよ。定時で帰れる仕事でいいじゃない、仕事をしたいなら」と冷たい声が降ってきた。
先生は先生なりの考えのもと、治療をするための最善策を言っただけのことだろう。でも、仕事が好きで一生働きたい上に、子どもを望んでいない私にとってはどちらを取るかは明白だった。
待合室に戻ると、退屈そうな顔で診察を待つ人たちがたくさんいた。無意識にお腹をさする人の隣で、うつむいているのは私だけ。悪いことをしていないのに、ひどくみじめだった。
「仕事を頑張るな」と言われ何を話しても無駄だな、と思って変えた3ヶ所目の病院だった。それ以来、婦人科には通っていない。あんな思いをまたするなら、もう治療しなくてもいいんじゃないかとすら思っている。
「お母さん、私、仕事辞める気もないし、子どもも産む気ない。ごめん」
前も言ったでしょ、私、排卵障害だからそもそも子ども作るの難しいんだって。
やっと絞り出した勇気に乗せて母に言いたこと伝えると、「うん、知っているよ。でも治療すればいいし、子どもいないと将来さみしいよ?」「仕事辞めたくないなら日中うちに預ければいいじゃない」と、せんべいをかじった音混じりに返事がきた。
違うんだよ。子どもは欲しくないって言っているよね。3回病院を変えたのに、全部嫌な思いをしたから治療も乗り気になれないとも言ったよ。
実家に子どもを預けても、今みたいには働けないし、何より地元に今の仕事ができる会社なんてほどんどないんだよ。地元は、都心へ通勤するには現実的じゃない距離だから一人暮らしをしているの、忘れちゃったのかな。
「お母さんはね、あんたに普通にしあわせになってほしいよ」と続けて彼女は言った。母は「普通のしあわせ」を手に入れてきたからそう言えるのだろうか。
私にはまだ、しあわせがわからない。私が普通のしあわせを手に入れたら、母はもっとしあわせになれるのだろうか。
しあわせは人それぞれだと言うけれど、自分なりのしあわせを認めてもらえないのなら、人はいつしあわせになれるのだろう。
きっと、この先10年くらいはかけられた呪いたちを解きつづけているだけで、しあわせの訪れはこないのかもしれない。
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