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アガサ・クリスティー『ゼロ時間へ Towards Zero』(1944)紹介&再読感想

アガサ・クリスティー/田村隆一訳『ゼロ時間へ』早川書房, 1976

BBC製作のクリスティー原作ミニドラマシリーズの次作が『ゼロ時間へ』だと発表され、最近読んだ『殺人は容易ではない アガサ・クリスティーの法科学』の著者が好きだと言っていたのもあり、10数年ぶりに再読しました。


あらすじ

著名な弁護士であるトリーヴス氏は常々、「殺人というものは終局であり、ゼロ時間の一点に集中されている」と考えていた。
1月、マクハーターという男が自殺に失敗し病院に入院していた。
2月、一人の人間が完璧な殺人計画を立てたところだった。その日付は、9月のある日に設定された。
3月、バトル警視は、末娘のシルヴィアが学校で盗難事件を起こしたとの手紙を受けとり、アンフリイ校長と対面していた。
9月、ソルトクリークにあるトレシリアン夫人の屋敷〈ガルズ・ポイント〉には、不穏な空気が漂っていた。
ネヴィルの妻ケイと、前妻オードリーが揃っていることが原因なのだろうか。
そして、ある夜に残忍なる事件が起こり、現地に来ていたバトル警視が甥のリーチ警部と共に捜査を開始する。


紹介&感想(ネタバレなし)

先ず思ったのは、去年『ポケットにライ麦を』を再読した時にも感じましたが、早川文庫にして僅か310ページ程で過不足なくまとめてる技術力の高さでした。
警察の捜査が始まるまでで170ページほど、捜査が始まってから解決編に入るまでは110ページほどですが、ドラマも捜査も程よくまとまっています。

ドロドロの人間ドラマや犯人の人格に繋がるエピソードなど、もっと書き込もうと思えばいくらでも足せそうな要素がありながらも、あくまで必要なことをしっかり描き、それでも満足を感じさせるドラマとなっています。

「毒蛇と雌豹をいっしょくたにしたような男」エルキュール・ポアロについての言及も、ファンサービスだけでなく事件自体を表しており、なぜポアロを急に思い出したのかのシーンがレッド・ヘリングになっているのも巧いなと思いました。

今回は法科学的な部分に自然と注目しながらの読書になったのも、今までと違う視点で読めて良かったです。

最小限の材料で面白さを出した小説だったので、映像化の際に何を強調するかで色が出そうな原作ともいえると思いました。

バトル警視の父親としての素晴らしさも知ることができる、中期の代表作の一つになります。

「心理学さ。ほんものの心理学だよ。なにも知らない生半可連中とはわけがちがうのだ」
「まさしく本ものなのだ。からくりの正体をずばりと見抜くのだ。犯人に喋るだけ喋らせる――これがポアロのてなんだ。おそかれはやかれ誰でもほんとのことを喋ってしまうというのさ。とどのつまり、嘘をつくよりも、そのほうが楽だからね。で、思いもよらない失敗をしでかしてしまうのだ――そこをおさえるのさ」

アガサ・クリスティー著 田村隆一訳『ゼロ時間へ』早川書房, 1976, p.215
バトル警視によるポアロ評価


紹介&感想(犯人ネタバレあり)


ネヴィルの計画は、ネヴィル自身が与り知らない複数の出来事によってくじかれてしまいました。

本格ミステリー的には偶然が多いとみてしまう人もいるかもしれない解決編ですが、全てをコントロールできると勘違いした自惚れの強いネヴィルとの対比のために、個人ではコントールできない出来事の釣瓶打ちを出したのではないかと読みながら感じていました。

クィン氏の「海から来た男」をモチーフとしたマクワーターからも感じ取れるように、意図したことではなくても人は誰かに影響を与えることができる・与えてしまうということが、実は本書の裏テーマなのかもしれません。

そんな、周りには自分とは違う人間が各々の自我に従って存在しているという当たり前のことを忘れたネヴィルには、そもそも勝ち目はない勝負だったのでしょう。

シルヴィアやオードリイの、何かに絡めとられたような恐怖に縛られ、その恐怖から逃れることが最優先になって、他者からみたら不合理な行動をとってしまうのは、現実でも意外と多くあるものだと思います。
そんな人が身近に居る事に気が付いたら、手を差し伸べられる人間になりたいものです。

残忍な計画が描かれながら、最後にはオードリイとマクハーター、トーマスとメリイ、そして多分テッドもケイを諦めないだろうことを考えると、実にたくさんのカップルが生まれた物語でした。

「殺人とは、ある一定の時刻に一定の場所へと集中された数多くのさまざまな条件が累積した極点なのです。人々が世界のさまざまな土地から、予測できない理由のために、その地点へとはこばれてくるのです。(中略)殺人そのものは、物語の結末なのですよ、つまり、ゼロ時間です」
 彼は、ここで言葉をきった。
「いまが、そのゼロ時間なのです」

アガサ・クリスティー著 田村隆一訳『ゼロ時間へ』早川書房, 1976, p.295
解決に向けてのバトル警視の演説より


メディアミックス作品

戯曲
『ゼロ時間へ Towards Zero』(1956)
 脚色:ジェラルド・ヴァーナー
 初稿:アガサ・クリスティー(1944)

映画
『アガサ・クリスティー ゼロ時間の謎 L'Heure zéro』(2007/仏)
 監督:パスカル・トマ
 脚本:フランソワ・カヴィグリオリ

ドラマ
Verso l'ora zero(1980/伊) ※日本未紹介
 監督・脚本:ステファノ・ロンコローニ

ジェラルディン・マクイーワン主演『ミス・マープル』(英)
 シーズン3 第3話『ゼロ時間へ Towards Zero』(2007)
 監督:デヴィッド・グラインドリー、ニコラス・ウィンディング・レフン
 脚本:ケヴィン・エリオット

漫画
 榛野なな恵「ソルトクリークの秘密の夏」(2006/日)
 『アガサ・クリスティー作品集 チムニーズ館の秘密』所収

参考文献
・アガサ・クリスティー著 渕上痩平訳『十人の小さなインディアン』論創社, 2018
・榛野なな恵『アガサ・クリスティー作品集 チムニーズ館の秘密』集英社, 2006


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