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虚実綯交ぜ骨折り日記④~リハビリの開始、間食も開始篇

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今回は、リハビリと間食について記載しました。

4 「リハビリで動いているからと理由を付けて、間食が増えてしまった」

手術の次の日からリハビリが始まった。
装具が出来るまでは、最初にマッサージをしてもらい、筋トレと松葉杖歩行を行った。

幸い、リハビリが始まっても痛みが強まることはなく、痛み止めの使用頻度は徐々に減っていった。
松葉杖歩行も以外とすぐに慣れ、問題は松葉杖で歩くための体力の少なさだけだった。

日通は意識して起きるようにしていても、ベッド上の時間が最も長いのは間違いなく、筋肉量は結構落ちていると感じた。
そもそも、普段から真面目に運動やストレッチなどはしていないので、基本スペックが低めなのだ。
本を読んだりゲームをしていて同一姿勢を取り続けた時は、結構本気で褥瘡の心配もした。

それでも、早めに退院したいため、真面目にリハビリを頑張ることを自分に誓う。
しかし、頑張るとご褒美が欲しくなるのが人間のサガ。


入院当初は必要物品以外は買っていなかった売店だが、リハビリが始まった頃より間食に手を出すようになった。

病院には売店として「ハマナスクラブ」が入っており、セイコーマート系列の商品が置いてある。
いつもセイコーマートへ行くとホットシェフのチキン系ばかりに目が行っており、ここ数年はホットシェフ以外の食品は冷やしカップラーメンや焼き鳥など、一部のものしか買っていなかった。
そのため、ホットシェフのない入院中が食べるチャンスだと思い、ここぞとばかりにサンドイッチを中心に、連日のように間食をした。

おにぎりでは「おかかおむすび ツナマヨ」、サンドイッチでは「たまごと野菜のサンド」が好きで良く食べていた。他にも「ザンたれたまごサンド」や数年振りに食べた「ピリ辛ザンギ焼きそば」も美味しかった。

間食っておいしい

さすがにお金を使いすぎかと思った時には、100円のラスクを2日に分けて食べたりもしていた。それでも、節約を意識して買わないという選択肢が浮かばない位には、間食が習慣化してしまった。

年齢や体格から割り出されたのか食事は1日2300kcalとなる常食Cとなっていたが、美味しく完食させてもらっていたので、入院前からは考えられないほど食べていることになる。

制限の多い入院で、自由を感じられる行為が売店での買い物なのである。
自由を手に入れた者は手放すのが難しいのだ、とそれっぽいことを言っても食べ過ぎであることは変わらない。

この10年程は毎日欠かさず体重を記録していたのに、入院中は左足に体重をかけれないことを理由に体重測定を行わなかった。
気持ち顔が丸くなっているような気がしており、次に体重を測るのが怖くなっている。


間食をする言い訳のためにも、リハビリは全力で頑張った。
術後1週間後に装具の型取りを行い、その1週間後に完成した。
装具完成後は、1/3からの荷重訓練と左足首のストレッチが始まった。

1/3荷重は、人がやっているのを見て大変そうだなぁと思っていた通り、実際にやると感覚をつかむまで少し不安が強かった。
もともと石橋を叩いても渡らないタイプの人間なので、指定された荷重を超え続けるとダメになるのではと感じていたのだ。

そして、装具を外してのストレッチ。最初はPTさんに曲げたり伸ばしたりしてもらったが、予想していたとはいえ驚くほどの固さ。
足首にボルトがあり、曲がらないように締められているのではと思いたくなるほどだった。
固さの他にも、曲げるのが怖くなっていた心理的なものもあったと思う。

しかし、続けると少しずつ良くなっていくという当たり前のことを、この歳になって改めて実感した。
今までの人生でまともに運動をしたのは、高校の授業で走った10キロマラソン位なので中々に新鮮な感覚だった。

そして、荷重開始から5日後には装具ありで全荷重化となった。驚きの許可の早さである。
とはいえ、いきなり全荷重をかけれるほど身体的にも精神的にも整ってはいなかった。

一番の壁は心理的なものだったと思う。
左足に体重をかけるのに少し恐怖があり、リハビリ外では思うように体重をかけて歩けなかった。

それでも3日後には片松葉で歩き回れるようになり、松葉杖無しで短距離なら歩けるようになった。
一度出来るようになると、心理的な恐怖は大分薄まった。

しかし、こういう時に余計なことをしてしまう所があることも知っているので、調子に乗らないように気を付けていきたいと気持ちを引き締めた。

まだまだ短距離しか歩けない状態なので、早く退院できるように、でも無理をしないように、間食の力も借りながらリハビリを頑張っていきたい。

──続く


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