選択の自由は時に苦しい。それでも。
フェミニズムやあらゆる差別反対運動が目指すところは、究極的には誰もが生まれに関係なく自由に人生を選択できる社会です。それは、身分制や奴隷制の廃止に始まり、現代社会が模索してきた社会正義そのものだと言えるでしょう。一方で、自由には選択が伴います。何かを選ぶということは他の選択肢を手放すということであり、時に苦しいものです。「誰かが決めてしまってくれたら楽なのに…」と思う瞬間が誰しもあるのではないでしょうか。だから、「女だから、男だから、というステレオタイプに縛られずに自由に生きられる社会にしたい」「ジェンダー規範をなくしていきたい」と言う時、本当にその先に描く社会が「私たち皆」の望むものなのかと不安になることがあります。ひょっとすると伝統的なジェンダー規範から外れた一部による押し付けなのだろうか、と。白人フェミニズムに対する有色人種の女性からの批判——白人女性に与えられている保護・特権すら私たちにはないのに全ての女性を代表しているような主張をするな——や、ムスリム女性の解放を謳う西洋の恩着せがましいリベラル思想へのムスリム女性自身からの反発がもっともなものであるように、例えば日本社会の改変を主張することは偽善者ぶっていることになるのだろうか…。私は、それは違うと思いたい。そして、そう信じています。私自身、選択の苦しさはよく知っているし、もっと「普通の女の子」だったらこんな苦労はしなくて済んだんじゃないかと思うことも何度もありました。それでも、選べるのなら、自分や大切な人の子どもたちには好きなように生きてほしい、自分なりの幸せを探せる社会に生まれてほしいと思ってしまいます。やはりそれが、より良い社会なのではないかと思うのです。
後戻りできないことを知った時
私が桜蔭に入ったのは、偶然の成り行きでした。関東出身でない両親は子どもに中学受験をさせることなんて考えもしなかったと言いますし、ましてトップの中高一貫校から東大に行くことになるなんて、私が小学生の当時は誰も想定していませんでした。たまたま参加した塾の冬季講習で予想外に成績が良く、勧められて通塾を始め、流れに乗って女子御三家の学校見学に行きました。そこで、文化祭のダンス部の公演に惹かれた私は桜蔭を選んだのですが、その時はその選択の重大さを分かってなどいませんでした。
高校で文理を選択する時になって、知らぬ間に遠くまで来ていたことに気付きます。読書と裁縫が好きで、体が弱く、専業主婦の母に育てられ、自分もそんな母親になるのだろうとぼんやり思い描いていた子ども時代。身近にイメージできる職業も少なく、中学ではお菓子作りにはまっていたため、管理栄養士になるのはどうかと考えました。そこで知ったのは、私の成績で目指すような大学には管理栄養士の資格を取れるコースはないということでした。小学校の給食室の栄養士さんでイメージしたように女性が多い職種であり、調べて真っ先に出てきたのは女子大でした。もちろん、成績に関わらずそういったコースに進学するという選択はできますが、それはそこまで積み重ねてきた努力の成果を大幅に捨てることを意味しました。社会や職業のことも大して知らず、ぼんやりと思い描ける中で魅力的に思えただけの資格をそこまでして目指す勇気も熱意も私にはなく、諦めたという意識も大してありませんでした。一方で思い知ったのは、そうやって成り行きに任せて進んでいるだけで、ある方面では可能性を大きく広げながら、別の方面では気付かぬまま事実上様々な選択肢を手放しているということです。
理論的にはいつだって、高校をやめたり大学に進学しなかったりすることはできますが、努力をすればするほどその積み重ねを捨てるには勇気が要るようになります。最終的には何事も無駄にはならないとは言っても、私には、一歩踏み出せば違う景色が見えるかもしれない時に脇道に逸れる覚悟はありませんでした。過去の成果に縛られているとも言えるかもしれませんが、読書が好きでファンタジーの世界に没頭していた私にとって、より広い世界に踏み出せることは抗い難い誘惑でした。それと同時に、幼い頃に思い描いていた「普通の母親」「普通の家庭」という平和でささやかな幸せの像がどんどんと手からこぼれ落ちていくのも感じていました。勉強して努力をして、さらに前に進めば、きっと私は一度目にしてしまった広い世界に背を向けることも後戻りすることもできなくなる——そんな郷愁にも似た感傷を抱きながら、ここまでやってきました。後悔はありません。
それでも自分で選び取りたい
好きな仕事と世界中どこにでも行ける自由を手にして、そんな奔放な私を全力でサポートしてくれるパートナーを得て、家族からも温かく見守られ、これ以上の幸せはないと思います。それでも、家族や日本が恋しくなる時、これまでのどこかでボタンがかけ違っていれば全く違う人生だったかもしれないな、と思うことがないと言えば嘘になります。ただ、きっとそんな感傷は私に特別なものではなくて、側から見れば些細な選択の積み重ねであっても誰もが途方もない可能性の中から生き方を選び取っていて、大人になるということはその選択の自由と責任から逃れられないものなのだと思います。職業に限らず住む場所だって、インターネットが発達しテレワークが普及した現在、田舎や海外に住むという憧れも現実味を帯びています。憧れが憧れで終わっている間は美しいだけですが、現実に選択できる可能性が出てくると、それを選ぶことも選ばないことも苦しいものです。それでも、今の日本社会で、士農工商の時代、親の仕事を自動的に継ぎ、家に結婚相手を決められる時代の方が良かったと言う人はほとんどいないでしょう。それと同じように、いずれにしても人生は選択の連続なのだから、その幅が生まれによって恣意的に狭められない方がいい。どんな家に、どんな見た目で、性格で、身体的特徴を持って生まれたとしても、望むように生き、自分なりの人生を模索できた方がいい。それが現代の政治哲学における社会正義であり、私はそんな理想を支持したいなと思っています。
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