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「恋愛」だけは他人と比べて安心する、の話

こんなこと言うと怒られそうだけど、人の生活をの話を聞くことで「まぁそんなもんか」と感じて、自己肯定感が上がることがある。

特に恋愛のことがそうだ。
イケてるJKから彼氏の話を聞いたり、幸せそうなカップルを見つけたり、安定した夫婦を見つけると、最初はすごく憧れている。
しかし、本人たちから詳しく話を聞いてみたり、近くで観察していると、「あぁ、この男性は彼氏としてはたいして魅力的じゃないなぁ」とか、「このカップル、自分たちが闇抱えてることに気づいてないなぁ」とか思ってしまう。

人を下に見て安心するのは、あまり行儀の良いことだとは言えないかもしれない。
でも、他人の芝生が青く見えすぎて、いつも必ず自分を最下位に置いてしまう自分としては、「意外と他人って幸せの沸点が低いんだなぁ」という「幸せの平均点を正常に戻す作業」な気がしている。

「これって私にとっては大した幸せじゃないなぁ」「これが"幸せ"なら、私は別に要らないかも」「みんなもこんなもんなのか」と思えるのは、結構気持ちが楽になる。
逆に、自分の恋愛や生き方の方が幸せだと、自分で再確認できたりする。

他人との比較から得られる安心なんて脆い、とは思うのだが、何故だか恋愛方面だけでは(散々な恋愛体験ばかりにもかかわらず)人を本気で羨んだことはない。
好条件のカップルや夫婦を見ると、それは自分と比較して羨む対象ではなく、完全に「自分の理想の恋愛形態」だったり「将来の自分はこうありたい」みたいな良いロールモデルとして認識している気がする。


何故か私はこと仕事に関して、それこそどんな条件であれ、他人より引け目を感じてしまう。だからこそ、仕事もこういう風に捉えることができるようになれば、辛さがなくなるのかもしれない。

この不具合が起きている原因はなんとなくわかっていて、恋愛は「肩書き(他者から見て)はまあ普通、自分では良い思いも悪い思いもたくさんあり、とにかく経験と実力には自信がある」のに対して、仕事は「肩書きだけは立派だが、自分の充実感が伴わない」のが原因だと思う。

つまり、仕事ももっと自分が納得できるほどの「やり込んだ感」が得られれば、同じ状況に持ち込めるのではないかと考えている。


私の「自己肯定感 U P 」の旅はつづく。



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