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羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』

羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋)

羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』は現代社会の現実と、皮肉と、ずるさを多分に感じられる物語である。

「もうじいちゃんなんて、早よう寝たきり病院にでもやってしまえばよか」(11頁)

二十八歳の孫・健斗は八十七歳の祖父のこの台詞を毎日のように聞いている。新卒で入った仕事を辞め、アルバイトで食いつなぐ健斗はフルタイムで働く母のサポートのため祖父の面倒をみるようになる。

無職の身で体力を持て余している健斗は、すぐ「死にたい」と言う祖父の存在を少し疎ましく思いつつも「老人とはこういうものである」というような諦念をもって祖父に接している。

介護者(健斗と母)と被介護者(祖父)のやり取りは過剰に思えるくらい祖父を突き放す。甲斐甲斐しく世話をするよりも突き放したほうが生きる力がつく、「自立できる介護」を実践しているのだ。

自立できる介護を、というもののやり取りする言葉の端々にイライラとしたものが漂うのは、祖父が「死にたい」と言うほどに身体は悪くないからだ。

 これまでに健斗は、祖父の体調不良のうったえを聞き、総合病院やら内科、形成外科等の各病院へ車で送っていったことが何十回とある。しかし救急搬送された二回をのぞき、どこで検査しても、生死にかかわるような病は見つからなかった。今かかっている病院では、循環器系に作用する最低限度の薬さえ飲み続けていれば健康でいられると言われている。つまり、八十七歳という年齢からすれば、祖父はいたって健康体なのだった。
「健斗にもお母さんにも、迷惑かけて……本当に情けなか。もうじいちゃんは死んだらいい」(11頁)

毎日「死にたい」という祖父の様子を見かねた健斗は、祖父孝行の名のもとにある作戦を考える。
それは祖父の希望を叶えてあげること。反社会的な意味ではなく、自然に祖父の元へ迎えが来るように促す、というものだ。健斗はそれを「尊厳死アシスト」と呼ぶ。

自室で健斗は、祖父の願望である尊厳死をかなえてやるべくネット検索した。介護疲れに困り果てた諸先輩方による老人の死なせ方のハウトゥー情報には出くわしたものの、ほとんど自殺幇助罪に抵触してしまう陰惨なものばかりで、健斗が求めているものとは違った。全世界に老人はごまんといてこれだけの情報社会になっているというのに、老人に穏やかな尊厳死をもたらしてやるための現実的手段についての情報がない。姥捨て山など見つからないし、安楽死を求める国に帰化させても、不治の病にかかっていることや本人の意思、そして医師の判断がなければ安楽死は許可されず、ハードルは高かった。不必要な薬を投与しまくる病院に入院ないし通院させるのが最も現実的に思えたが、健斗には薬学の知識や病院の情報もない。(23頁)

 本当の孝行孫たる自分は今後、祖父が社会復帰するための訓練機会を、しらみ潰しに奪ってゆかなければならない。(中略)
「わぁ、きれいになった。ありがとう」
「楽させてやりたいから」
 使わない能力は衰える。廊下で祖父に返事した健斗は、もっとできないかと探した。(37頁)

引用には現代社会の皮肉がふんだんに盛り込まれている。中途半端にやると介護者の負担が増えるだけなので短期間に行うことが大事だと介護職の友人からアドバイスをもらい、健斗は短期間の「尊厳死アシスト」を実行することにした。「尊厳死アシスト」という言葉からも皮肉臭がぷんぷん漂うところに、ブラックジョークを交えないとやってられない、という介護者の疲労と高齢社会の闇を垣間見てしまう。

健斗はアルバイトのかたわら正社員の中途採用試験を受けていたが上手くいかず、祖父とは別の意味で生きづらさを感じていたが、「尊厳死アシスト」という家庭内目標を定めたことで奮起し、さらに己の肉体改造をはじめるようになる。

肉体改造は筋肉を破壊し、再生させるという行為の繰り返しだ。過酷な鍛錬のさなかに健斗は自分が「生きている」ということを強く感じることができ、生きる活力を自己に見出せたことの達成感とあいまって、就職活動も精力的にこなすようになっていく…。

「自分で立てるだろうがっ」
「あ……ああ、健斗ね」
 いきなり入ってきた孫に面食らったように祖父は両手を女性ヘルパーから離し、すっくと立ちあがる。八八歳にもなって性欲からくる行動を露わにするとは、本当に気持ちの悪い爺だ。だいたい老人の性欲とはいったいなんなのだ。子孫繁栄のためなら、死んで下の世代への負担を減らすほうが、よほど子孫繁栄に繋がる。ここでも、子孫繁栄を願う祖父の性欲と、健斗たち世代が繁栄するための尊厳死アシストは繋がりをみせている。未だ性欲を隠しもっていた老人をあの世へ送る援助行為は、子孫繁栄を願う老いた性欲野郎にとっての本望でもあるわけだ。健斗は祖父を半ば強引に連れ去るように施設をあとにした。(105頁)

悪態をつく孫と性欲を露わにする祖父の様子はどちらも見ていられないほど痛々しい。結末は語らないが、少しだけ状況が改善するような、問題を先送りしているような、なんともあいまいな状況のまま物語は幕を閉じる。

『スクラップ・アンド・ビルド』を読んでとにかく感じるのは、冒頭に書いた現実、皮肉、ずるさ。そして介護者と被介護者の自己中心的な考えだ。
祖父が「死にたい」と言うことも、名案のように語られる「尊厳死アシスト」も、どちらも「楽になりたい」という欲求から生まれた軽薄な行為だ。
健斗の不注意で祖父が浴室でおぼれかけたことを強く反省したり、結果として「尊厳死アシスト」を断念したのは、「尊厳死アシスト」という行為が軽薄なものであるという自覚があるからだろう。

けれど、過酷な現実を生きる現代人にとって、多少の自己中心さは許されても良いのではないかと思った。

祖父の「死にたい」という言葉は「生きたい」の裏返しだったのかもしれない。被介護者の声を聞きながら疲弊していく介護者の苦悩に強く同情した一冊であり、将来家族の介護者になるかもしれない人間の一員としてたいへん興味深く読了した一冊だった。

(おまけ)画像は本の装丁と色合いが似ていたので、本編と全く関係のないスタバ写真にしました。

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