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西加奈子『サラバ!』

西加奈子『サラバ!(上)(下)』(小学館)

花粉症の季節。鼻詰まりで眠りが浅く、朝5時に目が覚めた。
鼻にティッシュを詰めながら『サラバ!』を一気に読み終えた。
最後の方は、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃで、言葉のひとつひとつを「感じすぎていた」。わたしはこの物語を、今、読まなければいけなかったんだと信じさせる力がこの物語にあった。
西加奈子『サラバ!』は、とてつもなく壮大な自分探しの物語である。

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」
(下巻 250頁)

イランで生まれ、幼少期をイラン、日本、エジプトと転々としながら過ごした主人公・歩(あゆむ)の家庭環境は複雑極まりなく、自己主張の強すぎる猟奇的な性格の姉と気の強い母を中心にトラブルが絶えなかった。彼女らと彼女らに対して僧侶のように黙る父に囲まれていた歩は、彼らがトラブっても無関心を装うこと・反抗せず諦めることで自分を守り続けていた。
成長と共に、エジプトからの帰国、両親の離婚、姉の「やらかし」など歩の周囲で様々な事件が勃発するが、中学生、高校生、大学生、社会人と人生のステージが変わってもなるべく関わらない・諦める姿勢は変わらず、アイデンティティを確立させる瞬間を逃したまま歩は流れのままに生きていく…。

はじめはイランやエジプトの街並みや生活の描写にゆるりと没頭することができ、のんきなエジプシャン、想像を絶するトイレの汚さ、エジプトの日本人学校の様子などわたしの生活からは遠く離れすぎていて純粋に楽しませてくれる。歩は強烈な家庭環境のおかげで幼少期から刺激的な生活を送っておりそれが羨ましく思えるのだが、「やらかさない」ために周囲に溶け込むことに集中したために、帰国後もエジプト生活をひけらかすことなく見事に今時の学生に溶け込んでしまう。流れのままに生きる性格が起因して、歩の人生にだんだんと陰りが見え始める。

流れのまま無責任に生きるということは「学校」というよりどころがある学生までは許されていたことだろう。
朝井リョウ『何者』のなかで就職により学生のぼく・わたしという枠からはずれることへの不安が語られる場面があり、どんな遣り甲斐や生き甲斐をもって社会生活を送るのかを判断するのは自分しかいないのだと改めて考えさせられたばかりだったため、大学生以降の歩の価値観のブレ様はとても痛々しく映る。
『サラバ!』では、よりどころは「すくいぬし」と表現される。追い打ちをかけるように歩は30代なかばでショックな出来事が続き、大いに傷つく。さらに猟奇的であった姉に諭されるかたちで歩にとっての「すくいぬし」の不在を自覚し、身も心も加速度的にもろくなっていく。

歩の「すくいぬし」を探す旅(のような)物語は、わたしの心をつかんで離さない。歩の旅路を追いながら、自分自身の「すくいぬし」とは何かを考え始めていた。
『サラバ!』の最終部を読みながら、わたしはいろんな決意をした。あの人を信じよう、この作品を信じよう、あの言葉を信じようと思う勇気を与えてくれた。何より自分の価値観を信じようと思った。

物語内容の説明をかなり端折っているが、ヤコブのような高貴な人間に出会いたいと思ったし、須玖のような文武両道(の一言では済まされない立派な人間として語られる)な人間に憧れるし、矢田のおばちゃんのような存在が身近にいればどれだけ心強いことかと妄想した。自分の人生に迷っている人は、きっとこの本で勇気をもらえるはずだ。

「私が、私を連れてきたのよ。今まで私が信じてきたものは、私がいたから信じたの。
 分かる? 歩。
 私の中に、それはあるの。『神様』という言葉は乱暴だし、言い当てていない。でも私の中に、それはいるのよ。私が、私である限り。」
 僕はうつむいた。姉を直視することが出来なかった。そうしていても尚、姉の気配だけは感じられた。恐ろしく濃厚な気配だけは、感じることが出来た。
「私が信じるものは、私が決めるわ。」
 僕の足元を、蟻が這っていた。黒いその体は、踏むとすぐ潰れるだろうと思った。
「だからね、歩。」
 僕は蟻を、じっと見ていた。
「あなたも、信じるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。他の誰かと比べてはだめ。もちろん私とも、家族とも、友達ともよ。あなたはあなたなの。あなたは、あなたでしかないのよ。」
(下巻 250頁)

読書という行為は、自分のためのものでしかないということを、改めて、そして強く感じた。

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