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私の内側にある美術

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個人的な解釈を通じて、美術を私の内側に取り込む
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記事一覧

私の内側にある美術 No.11 デイヴィッド・ホックニー

デイヴィッド・ホックニー(1937年‐) イングランド北部出身の画家。60年に渡って、独自の視覚で世界を見つめ、その捉えた風景をあらゆる表現方法を通じて描写している。特にプールをモチーフとした光の描写が代表的である。また、1960年代にはポップアート運動に参加。現在は、フランスノルマンディーに移住し、iPadなどの最新のテクノロジーを用いながら、なお精力的な芸術活動に取り組んでいる。 私は、ホックニーの絵画よりかは、むしろ1980年代に発表されたフォトコラージュの一連の作品

私の内側にある美術 No.10 フィンセント・ファン・ゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年‐1890年) オランダ生まれのポスト印象派の画家。ひまわりの絵で広く知られる。短命な人生の中でも、彼が特に画家として活躍したのは、27歳から37歳までのわずか10年である。画家になるまでは、画商の店員や書店の店員、伝道師など、職を転々としていた過去がある。1886年以降、パリに拠点を移し、自画像の制作に積極的に取り組んだ。その後、精神病に侵され、37歳の若さで自ら命を絶つ。 大混雑のオルセー美術館で見た「自画像」。 ゴッホ作品の中で

私の内側にある美術 No.9 ポール・ゴーギャン

ポール・ゴーギャン(1848年‐1903年) フランスの画家。ポスト印象派。本格的に絵画の道へと進むまでの約20年間は、水夫や株式仲介人として生計を立てつつ、日曜画家として絵を描き続けていた。自らを野蛮人とみなし、安定した道を捨てた1883年以後は、やはり生活の困窮に苦しみながらも、各地を転々としながら、印象派を超える新しい絵画方法の確立のために、芸術世界へと投身した。エミール・ベルナールとの交流において、自らの画法「サンテティスム」を見出した。その後、タヒチに移動し、未開の

私の内側にある美術 No.8 エドガー・ドガ

エドガー・ドガ(1834年‐1917年) フランスの人。踊り子をモチーフとすることで有名である。印象派の画家として位置づけられるが、片方で、印象派の枠組みに収まらない画家としても知られている。大多数の印象派が「屋外」の風景を主題としたのに対して、ドガは「屋内」の風景を切り取った。風景の全体を把握するのではなく、トリミングによって画面に大胆な構図をもたらすことで、その画面内および画面外で発生している空間の状況を想像させる効果がある。 ニューヨークの写真家を思わせるような画面の

私の内側にある美術 No.7 ジョルジュ・ルオー

ジョルジュ・ルオー(1871年‐1958年) フランスの画家。長年のマチエールの研究などを基礎として、宗教的なモチーフを独自の表現で描いた。その表現は、古典的な宗教画と格別をなすものである。彼の師であるギュスターブ・モローの死以後、その表現方法はルオー作品の代表的な特徴として確立した。14歳から20歳にかけて、ルオーは絵ガラスの職人として従事し、その経験が彼の絵画に影響を与えていると言われている。また、晩年期には、『ミゼレーレ』『受難』『悪の華』『ユビュ親爺の再掲』などの版画

私の内側にある美術 No.6 ヨハネス・フェルメール

ヨハネス・フェルメール(1632年‐1675年) オランダの画家。バロック期に活躍。窓から差し込む光を室内に展開し、その光と陰影の空間の中で、人物や家具、静物を絶妙なバランスで配した。生き生きとした動きのある写実的な絵画を得意とした。 フェルメールの室内描写の中で、この絵が最も美しいと思う。 まず、ふたりの人物の配置が画面に奥行きをもたらしているのだが、その両者の間の空間を満たすかのように屋外からやわらかな光が入室している。窓から差し込む光が仲介となって、手前と奥のふたつの

私の内側にある美術 No.5 レンブラント・ファン・レイン

レンブラント・ファン・レイン(1606年‐1669年) オランダの人。光と影の表現を巧みに扱ったバロックを代表する画家の一人。生涯にわたって、約60点もの自画像の制作にあたっている。また、集団肖像の「夜警」は彼を世に広く知らしめた代表作品でもある。彼の絵画の画面には常に強烈な明暗が支配的であった。 この絵をはじめて見たとき、一瞬、「人物画」ではなく、むしろ「風景画」を見ているかのような錯覚が起こった。とても不思議な絵画体験であったが、じっくり考えてみると、強い光があたった右

私の内側にある美術 No.4 浦上玉堂

浦上玉堂(1745年‐1820年) 江戸時代後期の文人画家。水墨画家であるかたわら、音楽家、詩人、書家の顔を併せ持つ。武家の家に生まれたが、50歳のときに脱藩。旅の中で新たな風景や人々と対面し、その景観を一枚の画面の中に新たな造形として落とし込んだ。 「縦長のフォーマット」「墨の濃淡による光と陰影の表現」「像の重なり」… こうした日本独自の表現技法が西洋的な遠近法に頼らずとも、空間の奥行きの表現を十分に可能にしている。 日本画のフォーマットは縦長であるにもかかわらず、それ

私の内側にある美術 No.3 棟方志功

棟方志功(1903-1975) 青森出身の板画家。当初は油絵を描いていたが、25歳頃からゴッホや川上澄生の影響を受け、木版画へ転向。洋画の手法から距離を置き、布置法ーすなわち平面配置のバランスを重視する描写方法によって、仏教的世界感を木版画の上にうつしだした。 また、棟方自身は極度の近視のためにモデルの姿がはっきりと見えず、それゆえにモデルに頼ることなく、自らの想像力にまかせて、仏教精神を描きだしている。 幼少期には、ねぶたや凧に描かれた絵にひどく感動し、その原風景が作品

私の内側にある美術 No.2 岸田劉生

岸田劉生(1891-1929) 38歳で生涯を閉じた大正の画家。後期印象派のゴッホやセザンヌらに一時的に共鳴したが、後にデューラーやファン・アイクなどのルネッサンスの巨匠に感化され、その懐古的画風を、日本独自のモチーフや表現技法と結びつけた。現実世界を美しくしようと努めるすべての者の心の内に宿る感性を「内なる美」と呼び、それを写実的絵画によって「外なる美」として、実体化させた。 自らの愛娘をモチーフとした「麗子像」はあまりにも有名である。しかしその一方で、個人的には、かつて

私の内側にある美術 No.1 ハイム・スーチン

ハイム・スーチン(1893-1943) リトアニア出身のユダヤ人。幼い頃から、ユダヤ人であるがために、絵を書くことを周りから非難され、彼の家族からでさえ、日常的な暴力を受けていた。彼はシュテトル社会(ユダヤ社会)が禁じた主題、例えば関節を折られ吊り下げられた鶏など、をあえて描いた。 スーチンはそれらの実体を描いているようであって、実はそのボリュームに秘める内的なエネルギーや意志を画面の上に描き出しているように思う。 スーチンは、画面の上で、既に死んでいるボリュームに再びエ