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私の内側にある美術 No.10 フィンセント・ファン・ゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年‐1890年)
オランダ生まれのポスト印象派の画家。ひまわりの絵で広く知られる。短命な人生の中でも、彼が特に画家として活躍したのは、27歳から37歳までのわずか10年である。画家になるまでは、画商の店員や書店の店員、伝道師など、職を転々としていた過去がある。1886年以降、パリに拠点を移し、自画像の制作に積極的に取り組んだ。その後、精神病に侵され、37歳の若さで自ら命を絶つ。


「自画像」オルセー美術館蔵

大混雑のオルセー美術館で見た「自画像」。
ゴッホ作品の中で、私が唯一心動かされた作品である。
ただし、作品そのものというよりかは、むしろ写真に示されているような「空間の状況」に対してである。

鑑賞者の雑踏の隙間から、こちらを見通すような視線が厳しい。
鑑賞しているこちら側が、逆に見られているような緊張感が張り詰めている。私はこの位置から一歩として動かず、私以外の鑑賞者が私の目前を動くたびに、ゴッホと私の関係性が空間のなかで刻々と変化していく状況を楽しんでいた。

このゴッホの自画像は、取り立てて写実的に描かれている訳では無いにしろ、恐ろしいほどリアリスティックな生命の鼓動が感じ取れる。その鼓動に応じて、私の心臓も強く共鳴していくようであった。


「ひまわり」フィラデルフィア美術館蔵

ところで、ゴッホに象徴的なひまわりの絵についても、自画像と同様に、複数の目がこちらに向かって何かを訴えているような効果をしばしば読み取れる。切り花でありながら、ゴッホによって生命を与えられ、感情や意思を宿したひまわりであるから、そうした擬人的な対面の感覚をうかがえるのは至極適当なことであるかもしれない。


美術評論家・中山公男によれば、ゴッホは構図に関して、明確な方法を持っていなかった、とある。たしかに、ほかの画家と比較しても、ゴッホは構図によって、カンバスの上で複数の対象物を相互に関係付けること、そのことに限っては一概にも長けているとは言い難い。しかし、単体のモチーフを取り扱った作品にあっては、その単像の背後に自ずと音楽が流れているような独特な情感に包まれている。

上に見たオルセー美術館での絵画経験を思い返せば、「私」ー「私以外の鑑賞者」ー「額縁」ー「ゴッホの自画像」、こうした空間的秩序のさらに奥の方から音楽が響き流れてきたように思える。すなわち、絵画そのものを超えた空間の重層性に心が惹きつけられたのだ、という具合に、いささか強引ではあるが取り急ぎ結論付けておきたい。

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