自己啓発本が"使えない"本当の理由 ─ 哲学者が語る『優れた思想』の条件
思想の普遍性について、哲学者・苫野一徳さんの放送から興味深い気づきを得ました。苫野さんは「優れた思想には普遍性が必要」と語っていましたが、この視点から現代社会の様々な現象を見直してみると、新たな発見があります。
例えば、朝まで生テレビなどの討論番組では、その場では白熱した議論が展開され、視聴者の心を掴みます。しかし、翌日になるとその内容のほとんどを忘れてしまうことが多いのです。これは、そこでの議論に真の普遍性が欠けているためではないでしょうか。
自己啓発の世界も同様です。成功者の体験談をもとにした様々な考え方が提示され、セミナーでは参加者の心を大きく動かします。しかし、時間が経つと感動は薄れ、具体的な内容さえ思い出せなくなることがあります。多くの場合、「お金持ちになる」という結論が先にあり、そこに至る考え方を後付けで組み立てているに過ぎないのかもしれません。
ただし、自己啓発の世界で紹介される考え方の中にも、一定の価値を見出すことができます。例えば、「物事には両面性があり、バランスを見ることでニュートラルになれる」という考え方は、世界的にも評価されており、一見深い洞察のように感じられます。私自身もかつてこの考え方に強く惹かれた経験があります。
しかし、よく考えてみると、この考え方も現実の複雑さを単純な二項対立で捉えようとする限界があります。刻々と変化する現実を前に、このような単純化された考え方も真の普遍性を持ち得ないことが見えてきます。
結局のところ、一時的な共感や感動を呼ぶ考え方であっても、それが現実を過度に単純化している場合、真に優れた思想とは言えないのかもしれません。普遍的な思想とは、現実の複雑さを受け入れながら、なおも深い理解と洞察を提供できるものなのではないでしょうか。