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【#16】パズーとパンと目玉焼き

『天空の城ラピュタ』は紅の豚を見るまでは僕の中でのジブリNo.1だったけれど、毎回引っかかるシーンがあの”洞窟パン”だ。

パンに目玉焼きをのせ、パズーがペロリ。なんと上の目玉焼きだけを先に食べてしまうのだ。それを真似してシータもペロリ。

普通に考えて”一緒くた”に食べない描写にしたのは、それなりのディレクションが入ったと考えるのが自然だろう。これ、僕が作ったオープンサンドだとして、コレをやられたら唖然とするし仮に海外から受け入れた留学生がやったら、それは”カルチャーショック”だと思うしか無いだろう。つまりは”どう考えても不自然”なのだ。

これに関しては確か宮さんがどこかで話していたのを読んだような気がしないでもないが覚えていないので勝手に解釈をしてみると、結論を急げば”目玉焼きを先に食うような奴”でなければ絶対にシータは助けられなかったのだ、と思う。

右脳の赴くまま勢いよく頬張り、くっついてきた目玉焼きをおもむろに食うその刹那に”調整”や”バランス”や”計画”や”後先考える”などという一切は介在しない。腹減った。その減った腹の満たし方の最大表現があの食べ方なのであって、いかに美味しく最後まで味わうかは本質的には関係がないのだ。

ご存知の通り龍の巣を抜けた”紐の切れたタコ”はフラフラと天空の城へ到着、なんやかんやありまして地の果てまで落ちそうになっても素手と素足でしがみつき、シータへ一直線。前しか見てないのだ。丸腰で。命知らずな野郎だぜと表現された歴代のヒーロー達ですら、あの洞窟はあの食べ方はしなかっただろう。丁寧に。そして、美味しそうに、オープンサンドを食べるスティーブン・セガールが僕には目に浮かぶ。沈黙のパン。

歳を取るとなぜオヤジギャグを言うのか?という分析に対しての答えは、ある単語に対して、なにかを連想して連結する能力は正比例に高まるのに対し、だとしてもそれを口に出してしまうと大惨事になるぞとブレーキを掛ける脳の前頭前野は反比例に萎縮していくからだそうだ。なんでも60歳の前頭前野は小学生並みなんだそうで、ウン◯!ウン◯!と言うのを我慢できないのと同じなのだ。

男子は女子よりも永遠にガキだ。シータには大人の色香すら時折漂うのに対しパズーの前頭前野が驚きの”小さいズ”だったからこそ、あの状況でもシータだけに突き進んだ。そんな男が目玉焼きとパンを丁寧に食べるだろうか?逆説的にこう考えると、スッと腑に落ちるのである。

この勝手な解釈が合っているかどうかは知らないけれど、もしそうだとしたならば、あのパンのシーンの目玉焼きだけ食べてしまうという、ひとつひとつの行為にパズーのペルソナを丁寧に注入して描き切るとは、なんて緻密極まる仕事なのだ。決して時代に踊らされない、時を超えるTIMELESSな仕事の真髄が、あのパズーのパンの目玉焼きなんだ。

神は1mmに宿る。

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