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5.働かない兄の話。


私の兄はニートだ。


ずっと前からこのことをnoteに書きたくて少しずつ書いてはいたものの、文字に起こす度に上手く纏まらなかったのだ。


ようやく少し纏まりそうなので、本物のニートについて書き綴りたいと思う。




私の中のニートのイメージは、兄によってとことん覆され続けている。


もう何年も定職に着いていない。

どこから得ているのかわからない収入で煙草を馬鹿みたいに吸っている。

払う気のない後払いで物をたくさん買う。

買い物は基本コンビニ。

家の冷蔵庫に入っている誰かが買ってきたものを勝手に食すのはあたりまえ。

ゲームやテレビ、電気はもちろんのこと、夏はクーラー、冬は暖房を一日中付けっぱなしで悠々自適に暮らしている。

昼夜問わずオンラインゲームをしては騒ぎ倒し、家族の睡眠を妨害する。

妙なほどの自信家で、ゲームでも仕事でも「自分より出来るやつはいない」と本当に信じ込んでいる井の中の蛙。



ニートって、自分に自信の無い人が社会で弾かれ続けて疲れた果てになるものだったり、やりたい事があってそれに専念したくて博打で仕事を辞めた人がなるものだと、私は思っていた。

(もっと他にあるだろうけど、大雑把にまとめるとこんなのかな…という完全な私見です。)


だが、いざ自分の兄がなったら全く違うので、私はまぁ長い期間頭を抱えた。


そして何より、家族に罵られようが、鼻で笑われようが、彼のスタンスは全く変わらなかった。


なぜなら、「俺はお前らよりすごいから」。


その自信を社会で発揮すればいいのに…と、私は何度も思ったが、ある日、彼は社会でそれを上手く発揮出来なかったから今があるということに気付いた。


私は社会に出て、厳しいことも楽しいことも、上司や先輩にたくさん教えてもらってきたと思う。

自分の小ささを数え切れないほど痛感し、その度に上司や先輩は私を叱り、私を褒め、私が成長出来るように教え、導いてくれたのだ。

そして、まだまだ教えてもらいたいことは沢山あるし、今度は自分がその上司たちのように教える側に回りたいとも思っている。

そう思えるほどに私は、心の底から尊敬できる上司や先輩の元で仕事をさせてもらえてきたし、成長させてもらえてきたのだ。


そして、上司や先輩だけでなく、友人や家族も、私の成長を自分のことかのように喜んで、応援してくれた。


そう気づいた時、兄にはきっとそんな人たちに出会ってはいても、気付くことがなかったのではないかと思った。


幼少期から事勿れ主義のような性格だった兄は、あまり人に怒られずに育ってきたように感じる。

社会に出て上司に怒られた時に、怒られ方や謝り方を知らなかったのかもしれない。


少し前までは苛立って仕方なかった兄の存在が、一瞬で苛立たなくなった。

そして、いつしか憐れみの目を向けるようになっていた。



嫌で仕方ないが、根本は同じ血だ。

逆に私がニートになっていた可能性も0ではないと思っているし、明日仕事を辞めて、同じようになる日が来てしまうかもしれない。


でも有難いことに、友人や、昨年末で退職した職場や、転職期間中に短期でアルバイトに行った職場、学生時代のアルバイト先の方々が「仕事がなくなったらここにおいで。」と支えてくれているのだ。

本当にそのつもりがなくても、その言葉が私にとっての働く活力になっている。



兄にもそんな場所ができれば、ニートにならずに済むのにと思うが……。

大人になり形成された人格を変えるのは非常に困難だと考えたので、割り切ることにした。



本人の人生だ。私の人生ではない。


兄弟だろうと関係ないと割り切り、兄には「母や弟、私の人生の邪魔だけはしないように」と念書を書かせ、この先も一生面倒は見ないことを伝えた。


金銭や物の貸しも、数年前までは行っていたが、返ってくる見込みは無いので行わないことも伝えた。


部屋の真夜中の騒音も慣れれば何も無いし、飲食物は名前を描き個数を管理し、勝手に食べたら請求するようにすれば、食べられることも無くなった。


冷たいかもしれないが、私にも弟にも母にも、叶えたい夢があるし、未来に向かっているのだ。


止まっているのは、兄の時間だけで充分だ。



今の私は、一刻も早く実家のために納めた生活費を兄の私欲に消えないような生活ができるようにしたいと思っている。




「冷たすぎない?」

と思う人も沢山いると思う。


私はことわざが好きなのだが、

「仏の顔も三度まで」

この言葉以上に兄との関係を説明できるものは無いと思っている。



兄弟だって他人だ。

人生の邪魔する権利はないんだ。


私は、絶対働くことを辞めない。

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