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極力、形容詞に頼らない書き方の具体的な手法について。

こんばんは。しめじです。

今夜は、昨日の話の、ちょっとした続きを書こうと思います。

ちなみに昨日書いたものはこちらです。

この中で、簡単にできて、かつ、効果的に文章を大人っぽくさせる方法として、

1 形容詞や、それに似た語を極力用いないようにする。

2 文末を同じにしないようにする。

の二つを紹介しました。

今夜は、特に、「1 形容詞や、それに似た語を極力用いないようにする」について、少し補足します。

参考にした本はこの2冊です。

どちらも、文章や言葉を仕事にしている方の中では超有名な本なのではないかと思います。この本の内容から、比較的簡単に形容詞を回避する方法を紹介したいと思います。

二つ書きますが、その前提として、なぜ形容詞を避けるべきか、について、もう少し書いておこうと思います。

形容詞をすべて使うな、と言いたいわけではありません。ただ、形容詞はその性質上、自分の心情を表すものを多く含みます。喜怒哀楽、嬉しい、腹立たしい、憤ろしい(あまり使いませんが)、悲しい、楽しい。他にも辛い、苦しい、寂しい、など。ちなみに形容動詞は静かだ、賑やかだ、鮮やかだ、など、「それが自分の目にはどう映ったか」を表す語が多く含まれます。

さて。

この、心情を表す形容詞が問題なんです。なぜなら、それ以外言いようがないから。「嬉しい」と言ってしまうと、「嬉しい」で終わってしまいます。「とても嬉しい」とすると、「この人が普段『嬉しい』と表現するラインよりも上の嬉しさなんだな」ということは伝わります。が、もちろんそれ以上は伝わりません。聞いた人が自分の中の「嬉しい」に照らし合わせて考えるだけで、あなたの嬉しさは1ミリも伝わっていません。

そして、自分の心情を表す語である以上、それは「自分のこと」しか語りません。つまり、語としては非常に自己中心的な語である、ということができます。NHKの夜のニュースなどで、地域であったイベントの感想を小学生がインタビューされているのを見かけますが、「楽しかった」とか「嬉しかった」とか、一語で終わってしまうことがほとんどです。

だから、形容詞、特に心情を表す形容詞は、「脱・子どもっぽい文章」を目指すなら、できるだけ避けたいわけです。

前置きがすっかり長くなりましたが、本題。

1 「どうなったか、何をしたか」に置換する。

決して、艶かしい意味で言っているのではありません。佐々木さんの著書『伝え方が9割』の中では「赤裸々法」として紹介されている書き方です。

やり方は簡単。嬉しいなら、その嬉しいときに起きたことを、悲しいなら、その悲しいときに起きたことを、そのまま書く、という方法です。

例えば、

嬉しい、楽しい→心臓が高鳴って止められなかった、前夜一睡もできなかった、(例えば恋心を抱く相手とはじめて二人でお出かけするなら)つい洗顔を丁寧に三回もして、歯磨きの時間も倍になった、など。

悲しい→目の奥が痛くなった、拭いても拭いても涙が止まらなかった、ずっとそのことばかり考えていて気づいたら家の前だった、など。

書き方は色々あると思います。上げたのはパッと思いついた一例です。

あまりやりすぎると大げさになりますが、でも、例えば初デートの相手に「楽しみにしていたんだ」というよりは、「思わず三回も顔洗って来ちゃったよ」と言ったほうが、いかにそれを楽しみにしていたか、デートできて嬉しいかが伝わるのではないでしょうか。

2 言いたい気持ちは最後に一言だけ書く。

1で書いた内容と共通する部分が多いのですが、これは実は形容詞を使う方法です。

使います。使うのですが、最後に一つだけ使う、という方法です。

では、そこまでどうするのか?

ひたすら事実を書きます。1で紹介した赤裸々法や、見たもの、聞いたこと、調べたらわかるような客観的事実。そういうのを書き連ねて、その最後に一つだけ、心情を表す形容詞。

田中さんの著書『読みたいことを、書けばいい。』の中の一節に、物書きは、九割九分五厘六毛が「調べる」だ、という内容があります。この場合は、「調べる」わけではないのですが、要は「徹底して事実ベースで書く」ということです。

例えば昨日の水族館の話であれば、楽しみにしていたことも興奮したことも何もかも、感情をスキップしながら書いて、最後に一つだけ、楽しかった、などと書く。それだけで、形容詞の数も減りますし、その「楽しかった」を支える事実が列挙されているので、自己中心的な「楽しかった」ではなく、十分相手に想像させる「楽しかった」になるはずです。

以上、「極力形容詞に頼らない」ようにするための具体的な方法についてでした。誰かの参考になれば嬉しく思います。

では、今夜はこの辺で。

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