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【オト・コク】何故、「完壁」じゃなくて「完璧」なのか。

こんばんは、しめじです。

今夜は、大人になってもしばしば書き間違えられる漢字のお話をしようと思います。

「カンペキ」は大人になっても書き間違いが多い。

高校生の漢字テストでこれを出すと、結構書き間違えが多いです。
試験範囲としてしていした漢字のワークにあっても間違える子がちらほらいて、抜き打ちで出すともはや合っている子の方が少数派。

ところが、大人でもやっぱり書き間違える人をちらほら見かけます。

とにかく多いのは、「完壁」と書いてしまうパターン。
二文字目が「壁(かべ)」になっているんですね。

ですが、実際の二文字目は、「壁(かべ)」じゃなくて「璧(たま)」です。
漢字の脚の部分が、「土」じゃなくて「玉」になっています。

日常的に使う語だと、もはや「完璧」意外で使うところがないですし、音が「へき」なので、ついつい「壁」だと思いがち。

ところで、なぜ「カンペキ」の「ペキ」は「璧」なのか、その理由をご存知でしょうか。

今夜は、「完璧」という語の元となったお話について書きたいと思います。

「完璧」は故事成語。

故事成語、と聞くと、「四面楚歌」とか、「臥薪嘗胆」とか、そういうのをパッと思い浮かべる方が多いと思います。

「完璧」は、そういうのとは別のように感じられるかもしれませんが、これも立派な故事成語です。

中国語では「完璧帰趙」という四字の言葉で、日本語の「完璧」はこの前半二字だけをもらっている漢字です。

この言葉の出典は「史記」
司馬遷が編纂した巨大な歴史書ですね。その中の、「巻八十一 廉頗・藺相如列伝(れんぱ・りんしょうじょれつでん)」に記された話です。

藺は、今から2300年ほど前(戦国時代)、趙の国の恵文王に仕えた家臣の一人です。

この時代の、ざっくりとした国家間勢力を説明すると、

西の大国・秦VS燕・楚・趙・斉・魏・韓の6カ国、というような感じです。

当時の情勢や地図はこちらが詳しいので是非ご覧ください。

結局、この6カ国は全て秦に滅ぼされてしまうのですが、それはほんの少しだけ後のお話。

この趙という国に、「和氏の璧(かしのへき)」という宝玉がありました。
それはそれは大変名高いお宝で、よその国もその存在を知っているほど。

ある時、秦が趙に、その和氏の璧と十五城の交換を申し出ます。趙の宝である璧と引き換えに、十五の城(結構広い領土)を差し出すというのです。

これは何か裏があるだろうと、当然趙は疑います。交換に応じれば、璧だけを奪って領土を向こうが渡してこない可能性が高いですし、渡してしまうと国家の名誉に関わります。

かといって断ると、これはこれで秦の反感を買い、武力行使の口実を与えかねません。そして、戦争したら秦には勝てません。

困り果てていたところ、才智と勇敢さを兼ね備えた人物として、藺を推薦した人物がいました(なんでそうなったかは今回あまり関係ないので端折ります)。
恵文王は藺に助言を求めます。藺は、

・秦と趙の実力差を考えると、この話を受けざるを得ないこと。
・その交渉の使者を自分が引き受けること(つまり、敵地に自ら赴くということです)。

を恵文王に申し出ます。
もちろん、秦を信頼しているわけではありません。藺は、加えてこう言います。

「もしも何かあった場合は、私が璧を無傷で持ち帰ります」

この「璧を無傷で持ち帰る」の部分が、「完璧帰趙」の由来です
「璧を無傷で持ち帰る」が、原文だと「完璧而帰」と書かれています。
書き下すと「璧を完うして帰る(へきをまつたうしてかへる)」となります。

案の定、秦は十五城を渡す気はありませんでした。
そのまま璧を奪われかけましたが、藺が機転をきかせて、無事に壁を持ち帰ることに成功します。
ちなみに璧だけ奪い取って十五城を渡す気のなかった秦の不義に対して、藺が激怒する場面があって、こちらは「怒髪 天を衝く」の語源となっています。

というわけで、これで「完璧」を書き間違えることはもうなくなるのではないかと思います。

では、今夜はこの辺で。


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