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備忘録、差異、堕落。

こんばんは、しめじです。

久々に日記を書く気持ちの余裕ができたので、今夜はちょっとした日記を。

「苦手意識」は気のせいだから。

1年生の漢文の授業で話したことです。
なぜか、1年生の初夏、高校の国語の授業で漢文を扱い始めたタイミングで。
はじめから漢文に苦手意識があるという生徒が多いです。
聞いてみたところ、クラスの半分くらいは苦手意識がある様子。

でも、はっきり言って。

少なくともこの時期の苦手意識は気のせいです。

なぜなら。
苦手になれるほど勉強してないから。
中学校の漢文は、高校ほどしっかりやるようなカリキュラムになっていません。学習指導要領がそうなっていますし、もちろん高校入試もそれに合わせたものになっています。

必然的に、扱う時間は少なくなります。
だから、苦手かどうか判断できるほど、勉強していません。
たとえば、鉄棒の授業で、すぐに逆上がりができなかったら、鉄棒は苦手でしょうか。初心者で入部したサッカー部で、夏のレギュラーになれなかったら、サッカー苦手でしょうか。英会話に通い始めて1ヶ月で明確な進歩が見られなかったら、英語苦手でしょうか。

おそらく、全部「否」ではないですか。

判断するには時期尚早。
もう少し、やってみてから考えればいいですから。
「苦手意識は単なる気のせいだ」と言い聞かせて、もうしばらくやってみてください。

高校では、教育学部出身者は浮く。

まあ、すべての学校でそうなのかはわかりませんが。
ここ数日、来年度以降の学習評価のことについて、教育委員会から降りてきた調査のことでてんやわんやです。

で、話をしていて思うのが、もう10年も前に教育学部で「当然のこと」として学んだことを、未だに知らない人が結構いるなあ、ということ。

もちろん、受験やら何やらの現実との折り合いを考えたときに、文科省が言っていることは「机上の空論」でしかないように思えるケースは多々ありますが。
それを今更になって「そんなの無理でしょう!」とか、「実際はそうじゃないじゃないか!」と声高に言っている人を見ると、なんでしょうか。「なんで、今?」という気持ちになります。

なので、「今から〇〇年前の△△っていう答申でこの方向はもう示されていて、5年前に導入された□□ってありましたよね、あれが今のこれこれにつながってるんですよ」と説明すると、通じない。
便宜上、お役所に書類出しただけ、現実は違う、みたいな感じで反論されます。

いやいや。

高校は、教育学部出身者が少数派の世界です。
国語なら文学部、英語なら外語学部、理科数学なら理学部、社会なら社会科学系の学部全般、いわゆる教科の内容に特化した勉強をしてきた人が大半で、根本的な教え方の部分に特化して学んできた教育学部生は少数派です。
(高校が未だに古めかしい講義型の授業をし続けている率が高いのは、多分この教育学部出身者の少なさと、全体的な高齢化が影響していると思います)

だから、教育行政のことなどについても、はっきり言って、一切遠慮なく言えば疎い人が多いです。

だから、例えば校長や教頭みたいな管理職は、当然教育委員会、要は教育行政側の立場に立ってものをいうケースも多く、実際に授業をして成績つける我々平とは対立しやすくなります。
でも、教育学部出身者は、結構管理職の言い分が理解できてしまうわけです。
「うん、ずーっと前からそうなるよって言われてたもんね」という具合です。

でも、それをはっきりいうと、なんか知らんけど浮きます。
なんだかなー、という感じです。

4月からの休日数が、まだ両手行かない。

明日は、模試の監督です。
それが終われば、日曜日。
2週間ぶりの休日です。
何しようかなー。

では、今夜はこのへんで。

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