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時事雑感:私服に土足で、いろんな人が出入りできる「教育」を。

https://www.buzzfeed.com/jp/yuyayoshida/haichi1

こんばんは、しめじです。

今夜は、ニュース記事として取り上げられている内容から。

この方の授業、めっちゃわかりやすい。

やっぱり仕事柄、嫉妬とか対抗心とか抜きで、「面白い授業を聞きたい」欲求があるので、結構いろんな方のYoutubeを見ます。
サッカー少年がサッカーの動画見るのと同じ感じです。

鈴木貫太郎さんとか、ヨビノリとか好きですし、この方も今年の春、休校中の課題をやる動画あたりの頃にチャンネル登録をしました。
特に、数学の授業がとてもわかりやすく、(流石に高校数学からは離れて10年以上経つので)「あー、そうそう、そんなのそんなのだった」と思いながら見ています。

で、この方を取り上げた記事を最初に貼りましたが、随分と過激な言葉が並んでいます。
誰が言ったんですかね。学校教師じゃなければいいんですが。(…多分学校教師なんですが)
誰かに媚びるわけでもなんでもなく、私はどんどん面白い授業が世に溢れるのは大賛成です。
こういうのに猛烈に拒否反応を起こす教師って、基本的には自分がそれまで確保していたつもりでいた安全地帯が脅かされるのを怖がっているだけなので。

そもそも教育って聖域じゃないでしょ。

人間社会が大きくなっていくに従って、社会の中で分業が発生し、それが徹底されていく中で、子どもをまとめてあずかり、その社会その社会に応じた市民としての教育を施す仕事が「学校」に割り当てられたわけです。

この社会的な機能の割り当ては、単に合理的だからそうなっているだけであって、「学校以外が手を出してはならない」とは当然のことながらなっていません。

もちろん教員免許はありますが、これは単に最低限の質を担保するために作られたシステムであって(まあそれも、免許更新講習とそれに係る試験のすっからかんっぷりを見る限り、お上がそういう気概をもってやってるのか怪しいもんですが)、免許がなかったら「教育そのもの」に携わっちゃだめ、というわけではありません。(「学校の先生」になれないだけです)
で、各個人の「教育する側」としての能力や資質の高低と、免許の有無は、おそらくですが相関関係も因果関係もありません。

だから、言い方は雑ですが、教育なんてやりたい人がどしどし各自の関われる方法で参入したらいいんですよ。私は「学校の先生」っていう手段を取っただけです。予備校の先生も、家庭教師も、教育系YouTuberも、立ってるフィールドは同じです。目的は一緒なわけですし。
だから、「教育を汚すな」というのはおかしな話で、汚すも何も、聖域では無い。誰もがそこに、私服を着て土足で上がって、そこに好きなだけ居座って、あーでもないこーでもないと言いながら、子どもに少しでもましな教育を届けようよって試行錯誤できるなら、それが一番素敵なことのように思います。

一番いい方法、を決めるのは不毛。

さて、ただ、様々な方法が世に出てくると、なぜか起きてくる「ベスト」を決める議論。

これは本当に不毛です。

学校教師にもいますよ、「塾はー」とか「YouTubeはー」とか言っちゃう人。逆に「学校教師はー」とかTwitterに書いちゃう塾の先生もいますけどね。
ベストなんてあるわけないじゃ無いですか。
それぞれに利点と欠点があるのに。

例えば、YouTubeでの授業のメリットとしてよく挙げられるのは、

「自分に必要なところだけを見られる」という点だと思います。
これは、間違いなくそうです。
例えば四十人相手の一斉授業で、この利点を再現する方法は多分無いと思います。

ただ、このメリットを享受するためには、とても重大な前提が存在していることは見落とされがちです。
「何が必要なのかわかっていないと使いこなせない」
ということ。
(これは、この事例に限らず、「検索」を過度に信頼しているきらいがある人全般に言えることですが)

例えば、学校や塾、予備校で授業を聞いて、「ここがわからないまま終わってしまった」となれば、YouTubeを使えばそれについて何らかの情報にアクセスできます。
古文であれば、「係結びって結局なんなのかわからなかった」と思えば、「係結び」で検索すれば、それについて解説している動画を見られるわけです。
一回見ただけでわかりにくければ何回でも最初から見直せますし、「この人の説明合わないな」と思ったら他の人の動画に行けばいい。

これ、学校で例えるなら、「もう一回説明してもらっていいですか?」を好きなだけ繰り返し、「この先生の説明わかりにくいな」と思ったら別の先生に聞きにいくような感じです。
実際、教師と言えども生身の人間、それってやりづらいですよね。
こちらとしても、全生徒がそういう行動に出たら体が持ちません。
でも、YouTubeならそれができる。

でも、例えばYouTubeだけ与えられて、
「好きなように検索して、三年間で大学合格目指せ」っていきなり指示されたら、どうしたらいいかわからない。どんな科目があるのか、その科目にはどんな単元が含まれているのか、どんなペースで学習していけば間に合うのか、そんなところから検索ワードを考えて一つ一つ自分で検索していかなければならない。
だとすれば、それは学校やら塾やら、ある程度レールを敷いてくれる、ガイドしてくれるところを頼った方が楽なわけです。

つまり、どれか一つだけだと、基本的には不十分になるんですよね。
だから、「ベスト」を決めるのは不毛です。

いろんな形の教育機会を、色々自由に組み合わせていける、それが当たり前になればいいなあと思います。
(そう考えると、通信制の仕組みって最先端なのでは。全日制の学校に寄せようとする変な圧力がなくなりさえすれば、「ベスト」になりうるかも)

では、今夜はこの辺で。

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