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好きな本の紹介:ガブリエル・ガルシア=マルケス「族長の秋」

こんばんは、しめじです。

久々に、好きな本の紹介でもします。

ガブリエル・ガルシア=マルケス「族長の秋」

1 あらすじ(意味ないけど)

宴席には反逆者の丸焼き。荷厄介な子供二千人を乗せて沈んだ船。売却されたカリブ海。国母たるお袋の剥製。でもお袋よ、わしが望んだことなのか? 「百年の孤独」と並ぶ高峰「族長の秋」に連なる山系。純真無垢な娼婦が、年をとりすぎた天使が、正直者のぺてん師が、人好きのする死体が、運命の混沌の糸で織りあげる人間模様。

(新潮社HPより転載)

2 「百年の孤独」以上の混沌。

ガルシア=マルケス、という作家の名前(ファッションブランドの名前にもなっていますが)を聞いた時に、おそらく真っ先に出てくるだろう作品名は「百年の孤独」だろうと思います。

「コレラの時代の愛」も、「コロナの時代の愛」と文字られて、論文や各種記事の見出しに使われたりもしました。
やや短めの作品であれば、「予告された殺人の記録」などが有名でしょうか。これを最高傑作に挙げる人も結構多いように思います。

新潮社からも全集が出されるなど、日本でも読者の多い南米文学の巨人ですが、彼の著作が翻訳されることで、日本に「マジックリアリスム」が輸入されたといっても過言ではありません。

(マジックリアリスムって何か、というのは、簡単にですが

で紹介しています)

で、おそらくその代表が「百年の孤独」なわけですが、この作品はしばしば、「要約不可能」と評されます。無数のエピソードの集合体のような小説であり、大きなストーリーの幹と、登場人物を掘り下げる枝葉、という構成というよりは、際限なく拡散し続ける物語群と、その急速(過ぎる)な収束、という構成だと言えます。

そもそも私たちの世界には物語なんてものは存在しておらず、無数のエピソード、現象の集合体なわけですから、その意味において、現実の世界は物語的には混沌としている、ということになりそうです。

「百年の孤独」は、そうした点において実に混沌とした小説ですが、「族長の秋」は、私の感覚としてはより混沌とした小説です。

まず、

驚くべきことに。

型式段落が六つしかありません。

新潮社版単行本だと、「族長の秋」は139ページからはじまるのですが、その第一段落は183ページまで続きます。43文字×19行のページが、ずーっと続くわけです。

その「物理的密度」に加えて、語り手がころころ変わるという「映像的密度」もなかなかのもの。
冒頭部だけ引用してみます。

週末にハゲタカどもが大統領府に押しかけて、窓という窓の金網をくちばしで杭破り、内部に淀んでいた空気を翼でひっ掻きまわしたおかげである。全都の市民は月曜日の朝、図体のばかでかい死びとと朽ちた栄華の腐れた臭いを運ぶ、生暖かい穏やかな風によって、何百年にもわたる惰眠から目が覚めた。このとき初めて、われわれは勇気をふるい起こして大統領府に押し入ったのだが、しかしそのためには、やたらと威勢のいい連中がけしかけたように、すでにあちこち崩れかけた石積みの塀を破ることも、また、ほかの連中が持ちかけたように、首木につないだ牛を使って正門をひき倒すまでもなかった。

始終こんな感じです。
誤解を恐れずにいうならば、世界でもっともReadabilityを無視した小説の一つなのではないかと思います(もちろん、世界の全ての小説を読んだわけではないですが)。ただ、そこを無視してでも描きたかった物語の密度が、間違いなく感じられるはずです。

初めのうちは読みにくくてしょうがないですが、ちょっとずつ慣れていくに従って、この書き方、この文体でしか味わえない没入感を得られるはずです。

3 南米文学特有の、権力への距離感。

南米文学は、「権力」に対して独特の距離感があります。
おそらく歴史に起因するものであるのだろうとは思いますが、決して屈することはなく、かといって真正面から批判するという立場を取るのでもなく、権力のもつ哀れさ、権力の儚さ、空虚、そういったものをユーモアを交えて描き出す、そんな作品が豊かに存在しています。

冗談じゃない、わしが望んでいた権力は、こんなものじゃなかったはずだ、と抗議すると、サエンス=デ=ラ=バラはそれに応じて言った、他に権力は存在しませんよ、閣下。

おそらく、この物語の根本を端的に示しているように思われる一文です。
権力と西洋文明に蹂躙された歴史を持つ南米の人々が、権力に対してこのような冷笑的態度をとることができる、ということが非常に興味深いです。

権力者が権力を持ち、その権力を自由に行使するのではなく、権力はあくまで権力として在り、権力者であれ一市民であれ、人は須くその権力に振り回される側の存在なのだ、という達観。

日本はしばしば、「世界史の年表で唯一の、一度も途切れず続いてきた一王朝(一国家)である」ということがいわれますが、そんな日本では、よくもわるくも産まれ得なかった物語であるように思います。
そういう点で、世界文学として読み応えがある作品なのではないでしょうか。

では、今夜はこの辺で。

あ、あと、新潮社版で合わせて収録されている、「この世でいちばん美しい水死人」が、めちゃくちゃ素晴らしいです。

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