誰が何をやってるのかわからない、という人に②
こんばんは、しめじです。
今夜は、上に挙げた昨夜の話の続きです。
「誰が」を判別する方法のお話をします。
これは、助詞に注目する方法ではありませんので、少し他の内容を勉強する必要があります。
ですので、ちょっと難度は高いです。ただ、この方法が使えるような文章であり、かつ、これからお話しする知識を正確に身につけていることができれば、ほぼ主語を外すことはなくなります。
ですので、私はこのことを中心にして授業の中で主語判別の話をするのは、主に二年生になってからです。
一年生のうちから少しずつ話始めますが、生徒が「あー、ほんとだ!」と実感できるようになるのはもう少し先のこと。
でも、サボらず古典の勉強を続けてきた三年生は、この方法が使える場合はほとんどこれで考えるようになるくらいです。
では、勿体ぶりましたが、本題いきましょう。
敬語で主語を見分ける。
なぜ敬語で主語を見分けられるか?
至って単純な理由です。
古典は敬語が多いんです。
なぜ多いかと言うと、古典文学の大半が、貴族や武士を主役としているからです。
そもそも、古典は数百年、古いものだと千年ほど前のもの。
その時代に、豊かな言葉を使い、それを字にすることができるのはごく限られた教養豊かな層。武士が主役の作品も、武士本人が自分の武勇伝を書いたわけではありません(ただ、当時の武士の、特に上位層は大変教養豊かでした)。貴族や法師など、書物に日頃触れることが可能な一部の人たちの手によるものです。
それに、紙も貴重品。特に平安時代は庶民が好き放題紙に何かを書くような世界ではありません。必然的に、貴族や法師などが書き残したものしか、古典作品として残らないということになります。
そして、貴族や武士が物語の主役になるということは、その登場人物間に明確な上下関係があるということです。どちらも、上下関係ガチガチの身分社会。ゆえに、敬語が大変明確に使い分けられていることになります。
身分が高い側に尊敬語、身分が低い側に謙譲語や敬語なし、と言う風に、きっちり分かれています。
実際に分かりやすい例を見てみましょう。
例1:枕草子
例を挙げればキリがないですが、特に分かりやすい「枕草子」を見てみましょう。
枕草子のうち、特に中宮定子との話は、中宮定子に尊敬語、自分に謙譲語、とはっきり分かれているので、大変分かりやすいです。
職におはしますころ、八月十余日の月明き夜、右近の内侍に琵琶弾かせて、端近くおはします。これかれ、もの言ひ、笑ひなどするに、廂の柱に寄りかかりて、ものも言はでさぶらへば、「など、かうも音もせぬ。もの言へ。さうざうしきに」と、おほせらるれば、「ただ秋の月の心を見はべるなり」と申せば、「さも言ひつべし」と、おほせらる。
(訳)
職の御曹司(中宮職の建物、部屋)にいらっしゃるころ、八月十日過ぎの月の明るい夜、右近の内侍に琵琶を引かせて、端近くにいらっしゃる。あれやこれやと喋ったり笑ったりしていたが、廂の柱に寄り掛かって、何も言わずにお控え申し上げていると、「なぜ、こうも静かなのか、何かお言いなさい。心寂しいではないですか」と、おっしゃるので、「ただ秋の月の心を見ておりました」と申しあげたら、「そのようにも言えますね」と、おっしゃる。
(九十六段…ただし、底本によって異なる)
この文章、一度も人物名が出てきません。
琵琶を弾かされている右近の内侍は出てきますが、動作対象なので主語ではありません。
一度も主語が出てこないのに、誰だと誰が喋っていて、どっちがどっちのセリフかわかるようになっています。
ちなみに、いらっしゃる、おっしゃるという尊敬語が使われている動作の主語が中宮、申し上げるという謙譲語が使われているのが清少納言本人です。どちらも使われていない、「あれこれ喋って笑っている人」はおそらく他の女房などでしょう。
例2:源氏物語
他にも、源氏物語にもこんな文があります。
第一四帖「澪標」の一節。内大臣まで出世した光源氏は、大阪にある住吉大社に御礼参りにいきます。
大変盛大な行列で参詣し、摂津の守も来ての大宴。権力争いに敗れ、逃げるように、追われるように都を離れて流離生活を送ったあとの栄光。
乳母子(光源氏の養育係である乳母の実の子。源氏と兄弟のような信頼関係を築く)である惟光(これみつ)が、その盛大な源氏歓迎の宴の様子を見て、ちょっと中座した光源氏に歌を詠みかけるという場面です。
(ちなみに、惟光は源氏にとって最も信頼のおける家来でもあります)
あからさまに立ち出で給へるに候ひて、聞こえ出でたり。
という一文。
これ、主語などを補って現代語訳しろ、と言う問題が出たら超高難度です。難関大学の入試問題にできるレベル。
まず、「あからさまに立ち出で給へる」なので、これは源氏の動作。
「ほんのすこし離れなさったのに」みたいな訳です。
続いて、「候ひて、」は謙譲語なので、今度は惟光の動作。「お側に寄り申し上げて」となります。次の「聞こえ出でたり」も、実は「聞こゆ」が謙譲語(「言ふ」の謙譲語です)なので、これまた惟光の動作。「歌をお詠み申し上げた」となります。
というわけで、主語を補って訳すと
源氏がほんの少し離れなさったところに、惟光は近づき申し上げて、歌をお詠み申し上げた。
と言う具合です。(もちろん、敬語がくどいので、「翻訳」するなら全然違うふうにすると思いますが)
このように、敬語の知識が正しく身につけば、主語なんてしばらく書かれていなくても困らなくなります。
もちろん、すらすら見分けられるようになるにはそれなりに訓練が必要ですが、できるようになれば古文はぐんぐん点数上がると思います。
ぜひ、勉強してみてください。
では、今夜はこの辺で。
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