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誰が何をやってるのかわからない、という人に

こんばんは、しめじです。

今夜は、古典のお話をします。
今年、高校生になった人であれば、とりあえず用言は一通りおわり、今は助動詞に悪戦苦闘している頃でしょうか。
受験生なら、そろそろ「メジャーではない」単語とかも一通り押さえたいところですし、基本の助動詞だけでなく、各種副助詞と終助詞の知識も確実にしていきたいところですね。

ただ、実際に文法を概ね身につけても、古文ってやっぱり読みにくい。
今夜は、ちょっと古文苦手だな・・・と言う人に向けたお話です。

古文って何で読みづらいの?

理由はひとつです。

誰が、何をしているのか途中から分からなくなるから。

これに尽きると思います。
古文が苦手、と申告してくる生徒の大半は、ここでつまづいています。
ですので、今夜は、「誰が」を見分ける方法などについて書いていきます。

もちろんこれで全てが解決するわけではないですが、かなり読みやすくなるはずです。(もちろん、訓練すればです)
あとは、前提となる知識も少しはありますので、それは適宜必要であれば参考書を開いて勉強してください。

1 「人物名など、」「人物名など+動詞など」は大体主語。その直後の文も大抵そのままそいつが主語。

これは今の日本語でもそうですね。
「俺、寝てないわー」とか、「俺寝てないわー」とか、どちらにせよ「俺」が主語ですね。違いは読点の有無のみ。

たとえば、高校1年生の前半で扱われることが多い、伊勢物語の「芥川」と呼ばれる話を見てみましょう。

昔、ありけり。女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率て行きければ、

という書き出しです。
最初に「男ありけり」とありますから、「男がいた」になります。
この「男」がしばらく主語です。

次、「女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを」は、「女で、なかなか手に入らなかったが、長年求愛しつづけた人を(今の日本語に直訳するととても女性に失礼な言い方ですが、要は「なかなか告白にOKしてくれなかったが、長年求愛し続けた女性を」というような意味です)」ですから、ただの目的語。

「辛うじて盗み出でて」は「やっとのことで拐い出して」ですので、これをしたのは「男」。
「いと暗きに来けり」は「たいへん暗い中をやってきた」。もちろんこれも「男」の動作です。

文が変わって、「芥川といふ河を率て行きければ」。これは「芥川という川(にそって)行ったところ」となるので、これも主語は「男」。

ずっと男が主語です。
このように、人物名が出てきたあと、新しい人物が主語に変わらなければ、次の3に挙げるような場合を除くとほとんど主語が変わりません。

2「〜て」の前後は大抵同じ主語。

これは今の日本語で考えてみましょう。たとえば、

私は、朝起きて、カーテンをあけて、着替えて、朝ごはんを食べて、歯を磨いて、カバンを持って、靴をはいて、玄関をあけて、外に出た。

という文があれば、全ての動作の主語が「私」です。
いろいろ自分で例文を作ってみるとわかるのですが、「〜て」の前後で主語が変わる文はちょっと作りにくいですね。(決して無理ではありませんし、もちろん「〜て」の前後で主語が変わる場合もあるにはあります。

これは、古文でも同じで、「〜て」という接続助詞でつながるあいだは、主語は変わっていないものとしてまず読んでみましょう。

3「〜ば」「〜に」の前後は主語が変わりやすい。

接続助詞「ば」は「〜なので」「〜と、〜ところ」、あるいは「〜ならば」と訳します。
また、接続助詞「に」は、「〜なので」「〜と、〜ところ」「〜だが」と訳します。

では、これも今の日本語で考えてみましょう。

私が、朝起きて、下に降りたところ、「おはよう」と言うので、「おはよう」と返事をした、無視した。靴をはいたのに、「これポストに入れといて」というの、ちょっといらっとしてまた脱いだ。玄関を開ける、雨だったの、傘を持って家を出た。

太字にしたところが、古文の「〜ば」「〜に」に当たります。
無理やり古文っぽくすると、

我、朝起きて、下に降りれ、「おはやう」と言ふ、「おはやう」と返し言しけれ、無視せり。靴をはける、「これ投函されたし」と言へ、いささか苛立ちてまた脱ぎたり。戸を開くる、雨なれ、傘を持ちて出でたり。

となります。これ、誰かは書いてないですが、「おはよう」と声をかけてきた人や無視した人は別人ですね。「雨だ」も天気ですから、「私」は主語ではありません。

全てに主語を補って今の日本語で書くと、こんな感じになります。

私が、朝起きて、下に降りたところ、兄が「おはよう」と言うので、私も「おはよう」と返事をしたが、兄は無視した。私が靴をはいたのに、母が「これポストに入れといて」というので、私はちょっといらっとしてまた脱いだ。私が玄関を開けると、天気は雨だったので、私は傘を持って家を出た。

本来受身で書くのが自然なところも受身を使わずに書いていて不自然だったり、「天気は」を主語にしていいのか微妙だったり、やや突っ込みどころはありますが、言わんとするところはわかっていただけると思います。

このように、「〜ば」とか「〜に」のあとは主語が変わりやすいので要注意です。

ただし、あくまで「やすい」の域は出ないので、「ば」が出たから主語変わった! と判断をするのはやめましょう。あくまで、内容優先です。困った時に、可能性として検討する材料になる程度の話です。

無論、「私はお気に入りの服を汚したので、がっかりした」みたいに、全然変わらない場合もありますが、読んでる途中で「あれ、これ誰の動作?」となったら、落ち着いて主語が変わってないか考える必要はあると思います。

あとは、接続助詞「ば」「に」以外にも、同じ働きをする接続助詞はいくつもあるので、それらも同様だと思っておいてください。

ついでにお話しすると、先ほどの「芥川」ですが、続きをみると、

芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、 「かれは何ぞ。」 となむ男に問ひける。

と「ば」になっていますので、主語が変わっています。「草の上に置きたりける露を〜」の主語は「女」です。

という具合に、接続助詞を元に主語が続いているのか、変わっているのかを判断していくのは概ね有効な方法です、というか、そうやって判断していくことになります。

では、今夜はここまでにします。
明日は、もう一つの主語の判別方法についてお話しします。

では、今夜はこの辺で。

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