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国語教師が言うのもなんだけど、英語、勉強した方がいいよ、というお話。

こんばんは。しめじです。

今日は、用件があって自分のクラスの生徒を呼んでいたので少し話をしたのですが、その生徒曰く、流石に飽きてきた、とのこと。

一応その生徒なりに自分で教科書を広げたりして勉強してはみるものの、やはり気も乗らず、やめてしまうのだそうです。

例えば試験とか、入試とか、目先の目標があるのであれば、一人で黙々と勉強できる時間はいくらあっても嬉しいのかもしれませんが、やはりそうでなければ、「漠然と、自分のため」になってしまいます。

その状況でもしっかり努力するって、実際は難しいと思います。勉強が趣味のように、新しい知識を手に入れるのを、ポケモンを集めて育てるように楽しむことができるのは、現実にはおそらく一握り。

ただ、本当の意味での(といって何が本当の意味なのか私もまだわかっていないですが)自立・自律を目指すなら、「学校の授業」というシステムに依存しなくともほっとけば勝手に勉強するように育つよう支援するのが筋なんでしょうけど、なかなか、難しいですね。

さて、本題。

前回( https://note.com/mrccb/n/n5838679736b9 )、前々回( https://note.com/mrccb/n/n699ff238243b )と、大学入学までにしてみてほしいことを、人文科学と自然科学に分けてお話をしてきました。今夜は、分野に関係なく、今、大学で勉強したいなら、という、どの分野にも共通する、私からのオススメをお話したいと思います。

学部に関係なく、大学で春から学ぶ人に

英語を勉強する。

国語の先生なのに英語を勉強することをお勧めするのはなんだか変な話かもしれませんが、大学で勉強するなら英語をやっておくのは本当にお勧めします。

お勧めの理由は二つ。

1 一年生の初めにtoeicをやって英語のクラス分けをするところが増えている。

多いです。

TOEICのうち、ブリッジテストと呼ばれる種類のものは、6割強の大学でクラス分けのために採用しているという調査結果が出ています。( https://www.iibc-global.org/library/default/toeic/official_data/lr/katsuyo_2019/pdf/katsuyo_2019_school.pdf )

じゃあ上位クラスにいたらどういう恩恵が受けられるか、という話なんですが、これはとても単純に、より高いレベルで英語を学べる、ということです。

私の通っていた大学では、英語の授業は全てネイティブの方が担当してくれました。質問から雑談まで全て英語、ディスカッションも当然英語で行うことが求められました。上位のクラスに分けられると、高校で留学していた人や、英語圏からの帰国子女がグループにいるのは当たり前。同じ帰国子女でも英語圏ではなかった私は肩身の狭い思いをしたものです。

でも、たった一年の授業の中で、特にスピーチ能力は鍛えられたなと感じています。下位クラスがどんな授業だったのか、私は受けていないので友人から聞いた話でしか判断できませんが、上位クラスの方が「嫌でも学ぶことになる」のは間違いなさそうに思います。

2 日本語に訳されるのを待っていられない。

ちょっと脱線したところから話を始めますが、しばしば、日本人は英語を授業で長い年月やっているのに喋れない、という言説を耳にします。

はっきり言って当然の話と言えば当然の話で、そもそも日本の英語教育の原型が「英会話」のためのものではないからです(そのことへの是非はとりあえず脇に置いておきます。今は関係のないことです)。

日本で英語教育の必要性が叫ばれたのは開国後、漢学だけでなく洋学も学ぶ必要があると考えられ始めた時点まで遡ります。今の東京大学につながる期間の一つである「蕃書調所」が設立されたのも江戸時代の末期です。

さらに明治維新を経て、東京外国語大学の元になる、東京外国語学校が開設されます。そしてこれらは、政府の要請、つまりは近代化のために西洋の学問を輸入する必要に迫られて作られたものです。

当然、この時のカリキュラム自体が引き継がれているわけではないのですが、日本の英語教育の原点は「英語で書かれたアカデミックな書物を日本に日本語の形で持ち込む」という要請に基づいて生まれたものでした。必然的にグラマー中心のものとなり、しばしば「ネイティブはこんな言い方しない」系の本で取り沙汰されることになるわけです。

そのおかげもあってか、日本は古今東西様々な古典を母語で学べる国家となったわけですが、インターネットも普及した今日、状況は変わっているように思います。

私は大学生の間、文化人類学というジャンルを中心に学んだわけですが、文化人類学は人文科学の中でも比較的新興の学問ジャンルで、古典が非常に少ない分野です。

すると、必然的に国外の研究者の論文なども積極的に探して読んでいかなければいけません。まだまだ研究者の少ない分野なので、わざわざ誰かが訳してくれてあるということもほとんどありません。すると、結局英語で読まざるを得ないわけです。もちろん私も英語で最後は論文を書くことになりました。

ならば、研究者数が多い学問分野ならどうなるかというと、これも実は結局英語です。研究者数が多いということは、それだけ日々発表される物事の数も多く、更新されている速度も速いということになります。翻訳を待っている暇はありません。英語でそのまま読むのがおそらく一番早いということになるでしょう。

ということで、国語の教師ですが、大学入学までに少しでも英語を勉強しておいた方がお得だと思う、というお話でした。

長い上にまとまりがなくて申し訳ないですが、今夜は、この辺で。

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