多分、国語教師100人中98人くらいがうれしく思うだろう出来事。

こんばんは、しめじです。

先日、授業終わり、教室を出てから生徒が追いかけてきました。
(私は絶対チャイムと同時に授業終わるマンです。終了10分くらい前から、終わりに向けてどこまで話すか、どれくらい話すか、何を生徒に解かせて、何をこちらで解説を加えるか考えながら話していきます。まあ、当たり前のことなんですが、自分が教師になって廊下を歩いて驚いたことのひとつは、チャイムが鳴ってもまだ授業し続けている教員が多いこと。
 チャイムが鳴りだすと同時に挨拶をしてすぐに教室から出てしまうので、たまに生徒がすごい勢いで追いかけてきます。面白半分で走って逃げることもあります)

何かと思ったら、

「先生が、今まで読んできた中で、一番素敵だと思った日本語の表現を教えてください!」

とのこと。
こういうのって、手放しでうれしい。
それが例えば、生徒の、もっと豊かなものに触れたい、素敵なものを目にしたいという衝動に対して、この人なら力になってくれるかもしれないという微かな期待だとすれば、私は全力でこたえたい。

もちろん、その衝動を抱かせたのは、その生徒のこれまでの人生を彩ってきたすべての環境なので、そこは私の力ではないのですが(そしてその衝動を抱かせる最大の推進力になれる国語教師って、本当にあこがれる。今までに、一人だけ、いたんです)。
その衝動を抱いたときに、こいつが素敵だと思うものも、ちょっとだけ興味があるなと思ってもらえたのなら、それは実に国語教師として光栄なことだと思います。

結構悩んだ結果、一番と言われていたにも関わらず、二つ挙げてみました。

一つは、穂村弘の歌に出てくる、「世界中が夕焼け」というフレーズ。
もう一つは、最果タヒの「夜空はいつでも最高密度の青色だ」。

いろいろ悩んだんですよ。
「コインロッカー・ベイビース」にも、「マシアス・ギリの失脚」にも、「塩狩峠」にも、「深い河」にも、「V」や「百年の孤独」の翻訳された文章にも、「雪国」にも、「春琴抄」にも、「憂い顔の童子」や「水死」にも、心を奪われる一節があったんですけどね。今回はこの二つにしました。

この二つが好きなのは、これが言葉でしか表現しえないことだから。

世界中が夕焼けになるということは、現実的にはありえなくて、写真で表現はできないし、おそらく絵にもならない。でも、「世界中が夕焼け」と言われれば、そこには確かに世界中の空が夕焼けに染まった世界が見える。

夜空を写真で見ても、それを最高密度の青色であると知覚することはないし、最高密度の青色を絵具を混ぜて作ることもできない。でも、夜空は最高密度の青色だと言われれば、確かに夜空は最高密度の青色として私たちは知覚できる。

だから、素敵だと思うんです。
言葉は、現実の多くを切り捨てて成立します。
例えば、写真に切り取られた情景を、全く同じものを表現しきれるように言葉で語ることは不可能です。
でも一方で、言葉だから表現しうることも、ある。それを思わせてくれる、この二つを選んでみました。

あと、韻文作品って入り口がどこにあるのかわかりづらいことが多いので、ちょっとでも、韻文にも興味を持ってくれたらいいな、なんてたくらみもあったりしますが。

ちなみに、あんまり熱く語り過ぎたせいか、若干引かれました。
まあ、そんなところです。

以上、ただの日記でした。
今夜はこの辺で。

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