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【オト・コク】「観念」と「概念」ってどう違うのか。

こんばんは。しめじです。

今夜は、久々に「大人の国語」ということで、「なんだか似たような感じで使っているけど、実際は意味の違いをちゃんと説明しにくい言葉」のお話をしてみようと思います。

今夜は、二つです。

1「観念」と「概念」

どちらも、それこそ「イメージ」のような漠然とした使われ方をしている言葉ですが、実際は明確な意味の違いがあります。

ちょっと具体例を出して説明してみます。

たとえば、「蛙」を思い浮かべてみてください。
出来るだけ、鮮明に、はっきりとお願いします。
あ、一匹でいいですよ。



できましたか?



大きさはどれくらいですか?
てのひらいっぱいの大きな蛙ですか? 指先にちょこんと乗っかりそうなかんじですか?

色はどうでしょう。
緑色ですか? ちなみにそれは濃いですか、薄いですか。
緑一色ですか? 他の色と混ざった斑模様ですか?
なるほど、茶色。そんなのもいますね。

尻尾は? そうですよね、生えてないですよね。
泳ぎますか? それとも泳げませんか?
鳴き声はどうでしょう?

ちなみに、跳びますか?
中にはほとんど跳べないのもいるんですよ。

大体こんな感じでしょうか。

この、一人一人が頭の中に思い浮かべたものを、「観念」と呼びます。

では、これの共通点を挙げてみましょう。
たとえば、

大きさは大体指先に載る程度から手のひらに載るくらいの大きさで、緑色や茶色をしている個体が多い。尻尾は生えておらず、泳ぐ種類が多い。また、大きく跳べる種類も多く、擬音語にすると「げろげろ」や「げこげこ」と表現されるような鳴き声を発する。

という具合でしょうか。
これを、「概念」と言います。

つまり、「観念」は個人的かつ主観的な思考や想像。
「概念」はその物事について多くの人が共通して抱く意味内容
、ということです。

「概」は「概ね(おおむね)」とも読みますから、「大体の人が抱く、おおむねのイメージの範囲」ととらえると理解しやすいかもしれません。

2「身も蓋も無い」と「元も子も無い」

これも、大体似たような場面で使うことが多い言葉です。
置換可能な場合も多く、「同じような意味」で使うことが多いように思います。

でも、よく思い返してみると、置換不可能な場面もあります。
「身も蓋も無い」は使えるけど、「元も子も無い」だと変。
反対に、「元も子も無い」はいけるけど、「身も蓋も無い」には出来ない。

さて、どのような違いがあるのでしょうか。

まず、「身も蓋も無い」ですが、これは「あまりに露骨で、含蓄がない」という意味です。
イメージとしては、入れ物本体(身)も蓋も、どっちもない、つまり中身がそのままボンとさらけ出されている、という感じです。

つまり、中身があらわになっている。オブラートに包むわけでもなく、全くそのままむき出しであるイメージですね。

で、基本的には「露骨すぎて思いやりや配慮が無い」という意味で使われます。何でもはっきり言えばいいというものではないですからね。
「露骨だ」ということを意味する言葉としては「歯に衣着せぬ」というのもありますが、「歯に衣着せぬ」は肯定的、「身も蓋も無い」は否定的な感情をこめて使われることがほとんどです。

一方、「元も子もない」は、「本来の目的や意味を見失い、本来失くさなくてよかったものまで失くすこと、何もかも台無しにすること」という意味です。

「元」は元金、元手。
「子」は利子、利息。

ですから、利息どころか元金まで丸っと無くなったイメージですね。
FXで突っ込んだお金全部溶かした、みたいな。

ですから、

例えば、「試験勉強のために夜更かしして、試験本番で居眠りしていては」の後に続けるなら「元も子もない」が適当だ、ということになるでしょうし、
例えば、「最近頑張ってダイエットしてるけど、そもそも性格悪いの直さなかったらもてないよ」という一言に対する感想なら「身も蓋も無い」の方が適当でしょうか。

後は本来の目的を見失っている状態を「本末転倒」と言ったりもしますね。
これなんかは、「元も子もない」とかなり近いニュアンスの言葉だと言えそうです。

というわけで、今夜はこの辺で。



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