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最近の、仕事についての雑感。

こんばんは、しめじです。

今夜は、まとめて最近の雑感を。

1 「古典を勉強してつく力」

最近、校長が、「各科目を通してどのような力が身につくか、を文章化して生徒に明示しよう」という取り組みをしています。
まあ、言いたいことはわからないでもないです。
言うなれば、目的意識の問題ですからね。それを勉強してどうなるか、というものが何もないのに勉強し続けるのって、誰にでもできることではないですから。
とにかく手当たり次第に、「昨日知らなかったことを知るのが楽しい」みたいな人間でない限り、そうなんでもかんでも勉強できるわけではない、というのはよくよくわかりますが。

ここからは、私のごくごく主観です。
ただの感想なので、異論反論は特に受け付けません。

古典を勉強して身につく力なんて、特に無いよ。

これにつきます。
「古典」という科目が日本の公教育の中に科目として存在する意義や価値についての私の考えは、以前noteに書いた通りです。
誰しもの生活の中で必要になることはないけれど、全体を見たときに、少なくともこの社会の中の誰かが読めなきゃいけないし、誰かは読める、という状態を社会全体で担保する必要はあると思います。

でも、それだけです。
面白いと思うか思わないかは個人によります。
「古典に親しむ」とか学習指導要領に書いてありますが、ラノベの文章も一冊分読み切れない、文章に対する忍耐力がそもそもゼロに近い子に(ラノベの文章、特に「ハルヒ」以降の文体は、心情の変遷も明確に言語化するという意味においてはリーダビリティを極めています。その点、最も読み手の負荷が小さいジャンルの一つであろうと思います。「〇〇は読むけど他は一切読まない」という子の中で、〇〇にラノベが入る子が多い、ライトノベルならどれだけでも読めるけど他のは全然ダメ、という子が多いので引き合いに出しただけです)、いきなり古典に親しめなんて、無茶です。

もちろん、私は文語をちゃんと勉強してよかったと思っています。自力で読める本の種類が増えた、それだけで手放しでハッピーです。英語もそう、もう一つのほかの言語についてもそうです。
それこそムスカ大佐の「読める…読めるぞぉ!」です。
意味の分からない文字の羅列だったものが、ある時急に意味を帯び始めたときの衝撃たるや。私は、それだけで十分に元取ったと思っていますが、何に感動するかは人それぞれですからね。

ましてや、何か新しい力がつくかと言われると。
少なくとも、私は何の力もついていません。ほかの大多数の人が読めない本と文章を、自分は自力で読める、という程度。だからなんだ、と言われれば、それだけですとしか答えようがありません。源氏物語を原文で読めなかったせいで死んだ人も失職した人も、知りません、多分、いません。

だから、「○○の力がつく」という形では、個人の目標には落とし込めないと思うんです。
(例えば数学の授業で論理的思考力が身につくとか、英語の授業でコミュニケーション力が身につくとか、いろいろ巷では言われていますが、本当でしょうか)
全体的に、「役に立つ、立たない」という次元で、物事の価値が語られることが多いような気がする(あくまで、気がするだけ)の昨今ですが、常に思うのは、「誰にとって」という条件部分が欠落しているのではないか、ということです。
(ちなみに、現代文の答案で、「○○にとって」という条件部分は、本文に記述があるなら大抵の場合必須ですからね)
役に立つ、立たない、という価値軸は、それを対象化したときにはじめて成立するものです。それが自分の生活にそもそも一体化して存在している場合、私たちはそれが役に立っているかどうかを考えることなどありません。「○○力」もほぼ同じのように思います。

なので、校長の指示なのでそれっぽい文面は書きますが。
内心、本当にどうでもいいと思っています。

2 来年は情報部に行きたい。

どうやら次期生徒指導室長にしたいらしいですが。
今までのNoteを読んでくださった方なら察してくださると思うのですが、残念ながら仕事としての関心は全くありません。
やりたい人がやれば、くらいな感じです。
なんなら、校長から本当に2,3年後に打診されたら、
「私が主任になった瞬間、校則全廃に向けて邁進しますけど」とか言い出しそうな勢いです。

で、最近思うのが。

どっちかというと、情報部に移してほしい、ということ。
話を聞く限りでは、今の職場の情報部でやっている程度のことであれば一通りできそうです。

ただ、それ以上に、もうちょっといろいろな面でスマートに作り変えたいんですよね。

まず、自治体に許可をとってSlackなどのチャットツールを導入したい。
学校という職場は、規模にもよりますが、職員の居室がバラバラです。
とにかく、内線が多い。
でも、各自の机に内線があるわけではありません。居室に1つとか、2つとか。
つまり、「自分にかかってきたわけでもない電話に何度も出る」という、時間を奪われ続けるかわいそうな人が発生するということです。
かく言う私も数年前に座席の都合でその憂き目にあいました。
授業で席を外している人への取次ぎを求める電話が10分間で5回かかってきたときは、本当に、5回目の人物に殺意が湧きました。

これ、居室の数だけいる「電話でなきゃいけない係」の人の生産性をガリッガリに削り取っています。本当に、やめた方がいい。

あとは、職場のファイルサーバーを整理したい。
だれも今までやってこなかったんでしょうね。ぐちゃぐちゃです。
整理したいのは2点。

一つは、過去フォルダがほったらかされていること。
普通に、「2018年度1年生」とか名づけられたフォルダが放置されています。
いつのやねん。思わず素が出るレベルです。

一応、次の周りの学年の引継ぎに必要なのだそうですが、であるならばほぼ毎年同じものが使われているはず。
私の職場は、赤、青、白で自転車のステッカや体操着のラインが色分けされているので、「赤学年」「青学年」「白学年」とかでよくない? と思っています。

また、私の職場のファイルサーバーは、フォルダごとにアクセス権が設定されているので、例えば全職員対象に公開したり、書き込んでもらったりしたいものは「職員共有」という全員にアクセス権の付与されたフォルダに置くことになっています。

しかしながら、例えば進路指導室とか、例えば自治会とかは、「進路指導室(内部)」と「進路指導室(公開)」という風な二つのフォルダを作っていて、(内部)の方は進路指導室の職員のみアクセス可で、(公開)は模試の結果などがおいてあるため全職員アクセス可になっているのですが。ですが。

(公開)、要る? っていっつも思っています。
それは職員共有フォルダ内に置くのじゃダメなのか?
職員共有フォルダにおいてある進路指導がらみのファイルもあります。
でも、どういうファイルをどっちに置くか、という使い分けは知らされていないので、何か用があっても、どっちにおいてあるのか探さなくちゃいけない。

そういうところのルールであるとかを、ちゃんと決めたいんですよね。
無駄だらけなので。

なんだか愚痴っぽくなってしまいましたね。
久々に書いたくせに申し訳ないです。

では、今夜はこの辺で。



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