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「場の意識」の体験について

「場の意識」の体験についていったい何を書こうかと迷ったのですが、あまり、思想的、宗教的な内容ばかりではどうかと思い、もっと身近なことから書こうと思います。

先の日曜日に「松尾大社」に行った時の出来事です。

そこは、京都最古の神社とも言われ、平安時代以前から、この場所にあったのだそうです。そして、それをこの場所に勧請したのは、「秦氏」だと伝えられています。

さらにご祭神は、「山の地主神」である「大山咋神(おおやまぐいのかみ)」と、「私の産土の神様(宗像大社)」の一柱であり、「秦氏の女神(宗像三女神)」の一柱でもある、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」を祭っています。

さらに、この場所のルーツを辿ると、はるか古墳時代にまで遡るのだそうです。

この神社には、「大地の神様」が背後にいらして、はるか太古の時代から「岩蔵の神様」を「ご神体」として祭っていて、現在に至るまで引き継がれています。

これらもまた、京都に住むことになって、初めて知った事ばかりなのですが。。。

そして先日、家族と「松尾大社」にお参りして神社の「手水舎」で口を濯ごうとすると、「一陣の風」と共に、そこに飾られた「風鈴」が、一斉に鳴り始めたのです。

それはそれは清々しく、心洗われる瞬間となりました。

そして、その風の出所を探ってみると、ご神体の山の間から流れ落ちる滝の清流に沿って、吹いて来ていることに気が付いたのです。

その風鈴がブログの表題にあった写真です。まさにこの少し前に、それは起こったのです。おそらく殆どの方々が、創作と誤解されていると思いますが、本当に起こった出来事です。

この様な体験は、最近ちょくちょくあって、お寺や神社をお参りする際によく起こります。

まさに、大地が発する、「コトバ」を超えた「場の意識」のエネルギーの「発言」として、感じられて来るのです。

私には、まだそれを「コトバ」に翻訳するスキルはありませんが、それが発する神聖なる方向性を、感じ取ることくらいは出来ていると思っています。

さて、「秦氏」は、当時の最先端の文化を、大陸から携えてきており、京都にあるお祭の殆どが、「秦氏」と関係しています。また、日本におけるお酒の醸造技術も、「秦氏」が最初と伝えられます。

お祭の中には、由来のわからないものも多くあり、その一つに「神幸祭」と「還幸祭」があります。このお祭りは、東の端を「八坂神社」が、西の端を「松尾大社」が担う、平安時代から続く祭りなのだそうです。
「松尾大社」
http://www.matsunoo.or.jp/event/event04/
「松尾祭と松尾大社《前編》」
http://www.kyoto-sta-west.jp/topics/detail/20/
「松尾祭と松尾大社《後編》」
http://www.kyoto-sta-west.jp/topics/detail/21/

それはとても勇壮なお祭りで、京都盆地西一帯の神社から集まった6基の神輿が、桂川を船で渡って、その後帰ってくると言う、不思議な神事です。
観光で有名な、東の端の「祇園祭」の「神幸祭」には及びませんが、双方似ていながらも違っている、知る人ぞ知るお祭りなのだそうです。

こうやって、これらの出来事に意識を合わせると、京都盆地一帯の「大地や空間」全体が、「アカシックの記憶庫(虚空蔵菩薩)」の様に、ますます思えてくるから不思議です。

そして、千賀一生氏の「ガイアの法則」に書かれていたある一文が思い返されたのです。

『現在の人類の文明が、今から約6400年前にシュメールからスタートしたように、さらにもう6400年前から始まった文明周期は、今のあなたの国がある、日本列島からスタートしたのだ。彼らは南米大陸まで行けるほどの航行技術と知識を持つ平和な人々であった。この失われた文明の叡智を受け継いだ一団は、日本の各地に移り住んだが、その中心者は、淡路島の東経135.0度の位置に定住した。「古事記」に書かれた国生み神話は、そのわずかな記憶なのだ。』

ほんと、京都と言う場所は、長く住むといろいろと不思議な風習が見えて来て楽しいです。

そしてこのブログを書き終わる頃には、この文章を書き起こすこと自体が、「コトバ」を超えた「場の意識」のエネルギーの翻訳作業に思えてきて、楽しくて、楽しくて、仕方がない自分に気付き始めるのです。

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