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奇跡は本当に起こるのです。

現在は、多くの人々が、苦しみのさなかにある時代だと言えます。

ここ日本では、オリンピックの開催により、お祝いムードのはずですが、何とも歯切れがよくありません。

コロナ過にあって、密な人間関係が制限されて、経済活動が停滞しています。

また昨今の異常気象の影響により、居場所を失った方々も多くおられます。

これらは人災/天災の両面から、人間社会に加えられる圧迫です。

かく言う私も、過去のリーマンショックの影響で、度重なる失職を経験し、居場所の変遷を余儀なくされましたが、一通りのシャッフルが終わったためか、この度は大きな影響を受けずに済んでいます。

そういった意味で、人生は公平にできている気がしています。

ですがこれらの変遷の意味を探ってみると、奇跡ともいえる出来事が起こっていたことに気づかされるのです。

出来事の詳細は、私の過去ブログに譲りますが、「人生の暗黒期」に多くの「奇跡の体験」がありましたが、これらは決して、偶然に起こったわけではなさそうなのです。

『「奇跡」の復活の時代(みずがめ座の時代へ)』
https://note.com/mr_mu/n/n9172252d7092

『「覚醒」における体験的考察2(どの様に、覚醒に気付いたのか)』
https://note.com/mr_mu/n/nfc029d026a0c


それが、「場を信頼して生きる」ことに繋がっているのです。

ひと言で、「場を信頼して生きる」と言っても、何のことだか分からないと思います。

これは、「場の意識」を信頼する事とも同義なのです。

これらは、「因果の連鎖」のみを信頼する意識を断ち切って、「意味共鳴(シンクロ現象)」を信頼して生きる事とも繋がります。

これらは、「関係の意識の世界」からの卒業を意味し、限られた意識による合理的判断を、手放すことから始まるのです。

「どうせ駄目だ」とか、「やっても意味がない」とか、「結果は明らかだ」とかの「関係の意識の世界」の思考を、手放すことから始まるのです。

起こった「出来事」ではなく、その「意味」に着目するのです。

つまり、固定した「関係の意識」ではなくて、複合した「場の意識」に着目するのです。

つまり、引き起こされた「出来事」の「意味」は、決して一つだけではないのです。

それは、未来から(過ぎ去った過去)でも、変えることが可能なのです。

ひとつ、自身の体験から例を挙げます。

私はこの様な、一見して「荒唐無稽なブログ」を書き綴っていますが、それに拍車がかかった切っ掛けが、以下のブログに示す体験からなのです。

『「場の意識」は、本当にあるのか。』
https://note.com/mr_mu/n/n81c163fe4499

この「9次元存在」に関する「意味共鳴」は、私の過去に体験した事実との驚くべき符合を示していましたし、「場の意識」を高次元へと繋がった意識と捉える私の立ち位置からすると、至極当然の事とも言えるのです。

これらの体験に於ける常識の違いが、「関係の意識」と「場の意識」の違いから来ることは明快ですし、「場を信頼して生きる」ことそのものが、この「9次元存在」を信頼する事とも繋がるのです。

これらは完全に、「今までの現実」からは「逸脱」していますが、もしこれが、「新しい現実」への「進化」を意味するのなら、「奇跡」と表現しても良いものだと考えるのです。

もう既にシンギュラリティ(技術的特異点)は、起こっているのです。

人間が考案したはずのAIや量子コンピュータは、その主人であるはずの、人間の思考を越えつつあるのです。

次は人間の番だと考えて、何が悪いのでしょうか。

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