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サッカー日本代表 : 選手を戦犯にさせてはいけない
日本 vs サウジアラビア。W杯最終予選2敗目を喫してしまった。落とせない試合だし、皆も気合十分だっただけに痛い。細かいことはさて置き、相手の準備が上回った、日本がそれにうまいことハマってしまった、そんなゲームだったのかもしれない。日本人としてすごく悔しいけど、相手があること、甘んじて受け入れようと思う。数々戦っていく中で一発に沈むこともある。
柴崎のバックパスが....なんて思うかもしれない。それはその通りで、他にも失点2〜3個分を誘発していた。この点はやはり反省すべきで、メンタルも含めしっかり立て直して欲しい。
だが論点はそこじゃない。柴崎のパフォーマンスは後半には既に落ちていて、相手をいなせないし跳ね返せもしない。他の皆が対人強度を高めて前線に向いて戦っているのだから、その強度に見合うものが出せなくなったら躊躇なく交代させるしかないが、図らずもそれは無かった。
試合はそのまま進み、1点が決め手になるだろうという展開。選手じゃなくても、そう誰もが感じていたはずだ。さらに時間が経つにつれ、緊迫感と疲労は共に飽和状態に近づいていく。視聴者の胸にも溜まるものが増していっただろう。
選手の調子が前述した状態で、自身のミスを契機に相手に決定機を献上し、試合を決定付けられたらどうなるだろう。口火を切ったように、皆それ見たことかの大合唱、そして総バッシングが待っているに違いない。何より選手が自ら失望し、崩れ落ちてしまう。
試合直後に監督が『選手はよくやった。この敗戦は私の責任』なんてよく言ったりするが、これはなんの慰めにもならないし、誰のためにもならない。仮に視点をずらそうとしても、この話の帰結を変えることなど出来るはずもない。なぜなら視聴者はたった今、この真実を目の当たりにしていたのだから。
選手の交代は戦術のためだけでなく、選手を守るために、戦犯にしないためにも使える。又はそうあるべきである。
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