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鮮やかさとコントラストの中で
うつ病真っ只中の事を、「世界から色が消える」「世界がモノクロになる」といった比喩表現が使われることが多い。
これは、私がそんな最中に撮影した写真だ。
視覚情報としては、毎年見る桜であり、花の彩や空とのコントラストは同じように脳への送られる。しかし、その後の解釈が全く違うのだ。それらに何の感想も感慨も少しの変化も湧き上がらず、ただ脳内のアルバムに収納され、二度と開かれることが無い。少なくとも、当時はそのような感覚に陥っていた。
まるで、極力情報を少なくし、CPUの稼働率を最低限に止めようとしているかのように、なんの反応も無いのだ。何を食べても同じものに感じるように、何を見ても同じに感じた。
白と黒の世界、コントラストだけが水を得た魚のように強烈に存在感を増し、全身から鮮やかさを奪っていく。喜怒哀楽、人の感情の彩りまでも無くなってしまうのだ。
それ故、外界と自分の境界線や異相がぼやけ、自己が溶け出し、自我が崩壊していく。
自分はどこにいるのか、他者と自分を隔てるものは何なのか、世界と自分のつながりはどこにあるのか、接続点はどこなのか。
我を忘れ、個が消失し、やがて孤独という殻に閉じこもってしまう。
昔はあれだけ鮮明に見えた青空さえも、今はもうわからない。
そんな日々をどれだけ過ごしたのだろうか。数字にすれば数百日、時間にすれば数千時間。数字化は時に物事の本質をそぎ落としてしまう。確実に死に向かっている自覚と、全く生じない危機感と、それではダメだという理性と、生きたいという本能とが混ぜこぜになり、殻の中で睨み合う。
今思っても、とても辛いワンシーンだった。
しかし、いつまでもこのままではいられない。少なくとも、生命活動を体が維持しているということは、生きる、事を本能的・根源的に求めているのだ。
殻の中で睨み合っていいる「生きたいという本能」に少しだけ力を加えるのだ。そして小さな穴を開けるのだ。
その小さな穴は、自分(あなた)にとって、見たことの無い世界を見せてくれるはずだ。
怖がらずに、叩いてみよう。
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